「岸 豊」の記事一覧
2024年5月14日
| 活動内容: |
こんにちは、芋井地区担当の岸です。今回は、りんご栽培についてご紹介させていただきます。
これまでブルーベリー栽培は2年前からやっていましたが、果樹栽培の品目にりんごが加わりました。他のお二方を含めた3人による共同作業になります。
一緒に従事する地域の先輩男性が、栽培を継承してほしいと頼まれたことがきっかけで私も誘われ参加することに。体験農園向けにも活用できること、芋井を象徴する代表的な農産物であることから、栽培に挑戦することとしました。
りんごの木は全部で23本。サンフジ、シナノゴールド、秋映、つがるの4種類。同じ1本の木でありながら、接木により複数品種収穫できるものも存在し、いささか不思議な感じがします。果樹って面白い。
枝が大きく横に広がった大葉立てという栽培方法で、樹齢は40年前後でしょうか−。海抜は推定800m近くの高地にあり。北アルプスが見える風光明媚な場所。土地の傾斜は芋井とすれば比較的緩やかな条件の畑になります。
23本のうち、自分の受け持ちは1〜6番までの6本。果樹栽培のズブの素人で大丈夫かと、心配だらけのりんご栽培ですが、剪定から農作業が始まりました。剪定作業はチンプンカンプン。真上に伸びた徒長子をはじめ、混雑している枝を空いてあげると程度で終了してしまいました。
次は、果樹栽培には必須となる消毒です。J Aさんが指定する芋井地区におけるりんご栽培のマニュアルに従い、合計14回の消毒をすることとなりました。1回使用水量は450ℓ。軽トラにタンクを積んで農地に乗り込みます。
4月に2回、5月の連休明けに1回。これまでに3回の消毒を終えました。消毒は、中古の眠っていた動力噴霧器(略して動噴=どうふん)を修理に依頼することから始まり、一定のコツを掴むのに3回の機会を要しました。
体験農園に活用できると前述させていただきましたが、芋井地域における農的ライフに関心のある知人が摘花(花摘み)に来ていただいたことも良い思い出となりました。たわわに白い花を咲かせたりんごの木の佇まいはとても愛おしいものがあります。
りんごはこれまで、お店に並んでいるものを買ったり、もらったりして食べるモノとしてしか認識したことがありませんでしたが、膨大に咲いた花摘み作業の煩雑さから、日本の果樹農家の大変さを思い知るとともに、スーパーで何気に陳列されて売られているりんごの値段が、農家の手間を考えるととても安いものと痛感することとなりました。
2024年3月19日
| 活動内容: |
こんにちは、芋井地区担当の岸です。今回は、前回に続いて、芋井地区の貴重な財産である飯縄山と飯縄神社についてご紹介させていただきます。
前回のブログでは、あの有名な高尾山の総本山が飯縄山であるとお話させていただきました。その高尾山を昨年、地元の一行と訪ねた際、高尾山の僧侶が飯縄山の由来について話してくれました。
↑ 飯縄山
飯縄山は、山岳信仰の山として山伏が修行する霊山だったそうで、その開山は、戸隠山より早かったと言います。そして、飯縄とは、食べられる砂=メシ(飯)の砂(飯砂=イイズナ)が由来というのです。この砂が転じて、縄(づな)になったとのこと。
この飯の砂は、菌類かバクテリアかで実在したもので、通称「天狗の麦飯」と呼ばれています。山伏がご飯のようにカロリーとミネラルを摂取できるものとして実際に食し、国内で飢饉があった際、山伏が庶民に配り、人々を飢餓から救ったというエピソードもあります。
この麦飯の標本が、芋井公民館や戸隠地質化石博物館に残っているのですが、どちらも真っ黒に炭化した状態で今日に至っています。この天狗の麦飯は明治時代、化学者が大真面目に成分分析した資料も見つけることができとても驚きました。
↑ 芋井公民館に収蔵されている天狗の麦飯の標本
飯縄山と言えば飯縄大権現。そのご神体は、白狐の上に乗った烏天狗。日本各地には、数々の天狗伝説がありますが、飯縄天狗三郎は日本八大天狗に数えられ、その霊力は、もの凄く強かったようです。
飯縄大権現は戦勝の神様とも言われ、戦後武将からも厚く信仰されていました。上杉謙信は自らの兜のシンボル像に採用。芋井地区内の荒安集落にある飯縄神社里宮は、武田信玄が寄進して造られたものだそうです。また、室町時代には、足利義満が、地蔵菩薩像を飯縄神社に寄贈したとされています。
↑ 高尾山薬王院のHPから引用
このように山伏の修験道としては、戸隠山よりも開山が早かったとされる山岳信仰の山である飯縄山、そして、そこに祀られた飯縄大権現。この地元の貴重な財産を、今後の地域の未来のために大切に生かして行きたいと思います。
2024年2月15日
| 活動内容: |
こんにちは、芋井地区担当の岸です。今回は、芋井地区にある貴重なお宝についてお話させていただきます。
それは、タイトルにもあるように、スバリ、飯縄山のことであり、はたまた飯縄神社のことでもあり、その神様である飯縄大権現のことを意味します。
地域おこし協力隊員になる前から、長らく長野市民をしていた自分にとって、飯縄山は、長野市のシンボル的な山であるとの認識はありましたし、飯縄山にも過去何度か登山したことはありますが、戸隠山や会津磐梯山のような地域の財産として、飯縄山を崇めたことは一度もありませんでした。
ところが、昨年の秋、東京八王子市の高尾山の総本山が、飯縄山であるとの話を他人から聞かされ、直後に、地元の関係者一行と高尾山に訪れたことで、その認識は一変することとなりました。
高尾山は年間300万人が訪れる世界一登山客の多い山であるとのことです。昨年11月に訪れた際も、中国人をはじめとした海外の方たちで大変賑わっていました。
急勾配のケーブルカーを降りて、参道をある程度登り切ったところに、神社のようでもあり、ところによってはお寺のような建物やオブジェのようなものが沢山出現して来るのですが、銅像が烏天狗であったり、赤い天狗の仮面が飾られていたり、看板に書かれている文字は、何処も飯縄大権現のオンパレード。飯縄山の隠然たる底力に度肝を抜かれてしまいました。
元々、高尾山「高尾山薬王院有喜寺」は、西暦744年に聖武天皇の勅令により、行基が開山したとされています。その後、室町時代の1375年に京都醍醐山の俊源大徳が入山、飯縄大権現を本尊として中興したとされています。
訪問時は、飯綱高原観光協会の一行として訪ねたのですが、高尾山薬王院の僧侶たちは、総本山の住民である我々をとても厚遇してくださり、護摩焚きのほか、精進料理もおもてなしいただき、飯縄山、飯縄大権現のゆかりについてお話も丁寧にしてくださいました。
飯縄山、飯縄大権現の山岳信仰は室町時代から盛んになり、全国に300箇所以上の飯縄神社が全国各地にあるとされています。
飯綱高原では毎年8月10日に、飯縄火祭りが開催されるのですが、20年ほど前からは、高尾山の僧侶が、護摩焚きの儀式を執り行ってくれるほか、毎年6月5日の開山祭の折にも山伏の格好をした僧侶たちが飯綱高原を来訪されます。
次回は、地元の飯縄山、飯縄神社、飯縄大権現についてご紹介させていただきたいと思います。
2024年1月15日
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こんにちは、芋井地区担当の岸です。今回は、少し前に地元百舌原集落で開催されたそばの収穫祭についてご紹介させていただきます。
地元の百舌原地区には、地区内外の畑の荒廃地対策として、かれこれ20年以上、組合を組織して5haほどのそば栽培に取り組んでおり、私もお手伝いをしています。
毎年勤労感謝の日に恒例のそば収穫祭があり、生産者である組合員の夫と婦人が参加して、そば打ちをした後、そばを茹でて食べるのが習わしになっています。
私も、東京にいた頃、無性に田舎が恋しくなってか、そば打ちセットを購入して、そば打ちを数回体験したことがあるのですが、なかなか上手にはできないものと、そば打ちは縁遠いものになっていました。
今回体験したのは8割そば。そば粉と小麦粉、それに水を厳密に計量した後、まずはそばをこねます。ボールの中に粉を全て投入した後、水を少しずつ入れながら、手作業でこねて行きます。
最初はボロボロした粒子のような状態から始まり、段々と一塊の粘土のような状態になった後、今度は体重をかけながら念入りに仕上げます。この念入りなこねが腰の強いそばの大事なポイントのようです。
次に、この塊を、打粉をまいたそば打ち台の上で、木製の棒を使って四角形に薄く伸ばして広げます。
生地が適量な厚みと大きさに広がったら、今度は、この生地を適度な大きさになるまで半分に畳んで行きます。この際、重要なのは、生地と生地がくっつかないように打粉をふんだんにふること。これが良いそば打ちの重要なポイントです。
打粉が十二分にふられていると、生地同士がくっつかないので、初心者でもそばを細く切ることが可能になります。逆に打粉が十分でないと、太い間隔で切らざるを得なくなり、舌触りも食味もおかしな蕎麦になってしまいます。
出来上がった蕎麦は、薪でぐらぐら沸かした大釜のお湯で茹でた後、水にさらしてざるに乗せて出来上がり。
つゆは、戸隠にあるそば製粉工場特製の既製品。それが地元の方のお気に入りのようです。ねぎと青首大根のおろしとわさびをおつゆに入れて、いざ実食。戸隠そば名店で食べるのと遜色ない美味しさに、昨年初めて食べた際は、驚きと感動を覚えました。
食事会には、そば以外に、取り寄せたオードブルのほかに、某組合員妻がフィリピン出身のため、フィリピンの手料理とデザートもふるまっていただき、会場は、アルコールもあって大盛り上がりでした。
そんな恒例で楽しい収穫祭なのですが、そば組合には課題もあります。これまでは何とか、夏と秋の年2回、そば栽培に取り組んで来ましたが、今年は秋そば一本に集約することになりました。
夏そばを収穫した後、短期間に秋そばのたね撒きをしなければいけないため、担い手の高齢化で身体がきつすぎることからの決断とのことです。もっと深刻なのは、そば生産がこの先、何年続けられるか?という問題です。。。
2023年12月11日
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こんにちは、芋井地区担当の岸です。今回は、小中学生たちが行った葛(クズ)の根掘り体験についてご紹介させていただきます。
皆さん、葛とは何か、ご存知でしょうか?葛もちの原料となる葛粉が採取できる、つる性の多年草です。
この雑草、芋井に限らず、野山や荒地の至るところに沢山生えており、その繁殖力の強さから、別名・グリーンモンスターとも呼ばれています。
どうして、こんな特殊なものを小学生たちと掘ることにしたのかと言えば、自分が小学生の時に、学校の授業時間中に、葛の根掘りを体験し、いい思い出として記憶に残っているからです。
当時は、小学生の同級生15人ほどで4時間以上かけ、直径15㎝以上ある極太の長さ1m以上あるものを掘り当てました。汗だくになりながら、大変な作業でした。
葛の根掘り体験を主催したのは、「体験・発見・貢献隊 わくわくリーダーズながの」という、長野市と上水内郡内の小中学生と学校の先生たちからなる一行の皆さん。17人の生徒が、私が暮らす百舌原集落にバスで駆けつけてくれました。
今年の春先、芋井小学校の先生に葛の根堀りの面白さをアピールした経過があり、それを気にかけてくれていたことから、上記の体験教室で採用されることとなりました。
葛が自生する荒地を事前に草刈りして整備。前日には、芋井小学校で、おやつに食べてもらう葛もちづくりも芋井小の先生たちと行いました。
本番は11月18日。予め、対象となる直径5㎝以上ある葛の根の根っ子を特定しておき、葛とはどんなものか、どうして葛の根掘りをするのか?オリエンテーションを行ってから、4班に分かれて作業が始まりました。
掘削に用いたのは、剣スコとツルハシ。現代っ子たちが面白がって掘ってくれるかどうか一抹の不安もありましたが、その心配は皆無。小中学生は、野山の荒地を舞台に奮闘してくれました。
その集中ぶりは見事。休憩という大きな掛け声が耳に入っても手を休めない様には、私もびっくり。時代が変わっても、子供たちの感性は変わらないんだなと感銘を受けました。
葛の根の形や土の中での根の張り方は複雑でまちまちですが、どの班の子どもたちも、ユニークな形をした根っ子を掘り上げてくれました。
作業を終えた後は、葛もちにきな粉と黒蜜をかけて舌鼓。子どもたちは笑顔で帰ってくれました。