あれから10年(鬼無里地区 木原)
2021年3月15日 | 活動内容: |
東京での生活を続けていくことに疑問を持ち始めたのは10年前だったと気が付いた協力隊員は一体誰か。そう、私です。
2011年3月11日14時46分、仕事で客先に行くためJR山手線で品川から新宿へ向かう途中でした。
渋谷駅手前で電車が急停車したと思ったら、車窓越しに見える建ち並ぶビルが今にも隣のビルにぶつかりそうなほど尋常じゃない揺れ方をしていました。
その後電車が動くことはなく、車両から降りることができたのは地震発生から約3時間後。
「どうやって帰ろうかな...。明日大丈夫かな...。」と、翌日はその時住んでいた埼玉から東京の実家近くのアパートに引っ越すことになっていたため、引っ越し業者が来てくれるかを心配しながら渋谷駅のホームに向かって線路をトボトボ歩いてました。
渋谷駅から歩いて国道246号線に出たらいつも以上に車で大渋滞、公共交通機関が完全にマヒしているため、通り沿いにあった自転車屋さんの自転車がほぼ完売しているという異常な状態。
歩道も人で溢れかえり、なかには会社で支給されたであろうヘルメットをかぶった人たちがあちらこちらに見受けられました。
結局、渋谷から赤羽まで歩いたところでやっとバスに乗ることができたため、何とか日付が変わる前に帰ることができたものの、埼玉での最後の夜をいろんな不安と悩みを抱えて過ごしたことを今でも鮮明に思い出します。
2014年11月22日22時8分に発生した神代断層地震(白馬村を震源として発生したマグニチュード 6.7の地震)は鬼無里地区で震度6弱を観測し、全壊は1棟、半壊11棟、一部破損217棟という被害が発生。
この地震により鬼無里中学校の体育館とグラウンドは使用禁止となり、校舎も耐震上の問題から翌年春には鬼無里小学校に移転されたそうです。
しかし東日本大震災と同じ時期に竣工した平屋の特別教室棟(音楽室・技術室・準備室として利用)は耐震にも問題が無いことから現在では「鬼土間」と名前を変えて鬼無里のソトとナカをつなぐ場所として活用されています。
ちなみに1974年4月竣工の鬼無里公民館も耐震と老朽化のため支所に移転することが決まっています。
自分と同い年の建物が老朽化といわれる時代なのにもかかわらず、その老朽化した体で体力仕事である林業を生業としていこうというのはやはり無謀なことなのでしょうか...。
でも今は木に登ることが楽しいし、もっと技術を身に付けたいと思っていますが、道具を揃えるのに何気にお金がかかってしまうことが悩みの種です。