2021年2月 8日
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私の日本への第一歩は、2013年10月2日(水) 朝7時41分 成田空港でした。その日は 今でも良く覚えています。小雨が降り空気が美味しかった! その日が 日本での生活の始まりでした。
私の心は、これからの不安や期待が入り乱れる中で、空港まで私の従兄弟が車で迎えに来てくれました。いざ従兄弟が住む街 !! そして日本語学校で日本語を勉強するために、宇都宮に向かいました。
その日から従兄弟の家族との共同生活が日本での生活の始まりでした。
しばらくして、従兄弟の友人に高根沢町にある英会話とピアノ教室 の校長先生でニュージーランド人のハミッシュさんご夫婦に紹介してもらいました。ご夫婦は、宇都宮市街地から少し離れた小さな一戸建てにお住まいでした。奥様の名前は、さくらさん!
そこで英語が得意な私は、教えた経験は有りませんでしたが、日本語を学びながら英会話の先生としてスタートしました。さくらさんから教え方のノウハウを学びながら先生とし確固たる基礎を身に付けました。この7年の間、私の人生は劇的に変化しましたが、さくら!お姉ちゃんとの関係は、今も変わらず続いています。私の人生の師匠であり、友でも有ります。さくらお姉ちゃんには、いっぱいの感謝、感謝です。
2015年3月より東京農工大学に入学するにあたり、さくらさんのお陰で英会話の先生として自信が出来た私は、英会話教師として東京の広尾で子供達を教える事になりました。東京で学生と英語教師としてのスタートでした。
それは、日本に来て最初に住んだ思い出がたくさんあった宇都宮の地と恩人のさくらお姉ちゃんと別れを意味していました。私の日本での独り立ちの時でした。とても、寂しく辛かったでした。いつの日か? 私の自伝を書くとしたなら、さくらさんとの出会いは、とても大きな私の物語の章になると思います。さくらさんからの影響は英会話指導技術に限らず、日本生活での対応力やら私を人間的に大きくしてくれました。そして、私の苦手なものもからの脱却も手助けしてもらいました。
祖国の私の家では、子供の頃から鳥や、猫やアヒルや、うさぎなどを飼っていました。
家族6人の中で私だけ動物苦手でした。しかも皮肉にも私の部屋にあるただ1つの額縁の写真は猫でした。なのに! どうして私は目の前の可愛い猫すら触れられないのか? このことは、子供ながらに疑問で辛くて泣いた事もありました。
さくらさん一家はシャローズという名前の犬を飼っています。勿論! 私は動物が苦手なので、私がお邪魔した時には、さくらさんは、気を使ってシャローズを犬小屋から出ないようにしてくれました。最初!!! 英会話の授業は、さくらさんをサポートする形で夢中で働きました。数ヶ月そんな事を繰り返していたら英会話の教え方も上達しましたが、私は犬のシャローズに、無意識で触れることが出きるようになっていました。私の最初の動物との触れ合いでした。そして、愛しい思いも湧いてきました。ワンちゃんに! 「習うより自然に慣れろ」ですね。
今! 私は、犬が大好きです。散歩している犬を見かけたら飼い主さんに触っても良いですか?と尋ねて犬と遊びます。田舎暮らしをしたかった一つの理由は犬を飼うことでした。犬を日常的に留守番させるのは かわいそうなので、犬とずっと居られる共同生活をおくりたいのです。友として!!! 犬と遊びながら飼い主さんとも、会話が出来て知り合いも増えていました。今月も信里で新しい出会いがありました。
私は、信里全体を回っていないので1月7日(木) 青木区長さんに車で案内して頂きました。区長さんから隣の信更町で空き家対策活動が、とても進んでいる話しをお聞ききして 是非担当者にお会いしたく青木さんにお願いして、早々!! お会いしに行く調整をしていただきました。
1月13日(水)、車の点検してもらうために いつも私が苦手な車のことを、優しい言い方で説明してくださる冨田モータースの冨田さんのお世話になりました。1時間かかりそうでしたので信更町を少し歩いて見ました。信里より広いと実感しました。
1月14日(木) 大岡に住んでいるOGの鈴木さんと篠ノ井の方で減農薬りんごを栽培している徳永さんとお茶を飲みながら農業に対して色々面白い話し聞かせていただきました。その後、畑を訪ねてジュース用のりんごを頂き、それ以外にも美味しくみずみずしい甘いりんごを買いました。鈴木さんは時間がある時は、徳永さんを手伝っているそうです。私も出来れば お手伝いに行こうと思いました。
1月19日(火) 信更町に行ってきました。まさか「田舎暮らしを支援する委員会」の7人が、会議に参加していただけるとは想像もしなかったです。2時間を通して島忠徳委員長の貴重な話しを聞きながら大切なお話しを忘れないようにメモしました。最後に委員、中島さんを含めて私と青木区長さんの質問を丁寧に答えてくれました。事務局の吉澤恵利子さんに 「新しい物件を見学する依頼があったら仕事の流れを見に来ますか?」と聞かれて「その時は、是非! 私を呼んでください。」と答えました。信更町の田舎暮らしを支援する委員の方々の取り組み方の熱量には、凄く圧倒され! とても刺激になりました。1月23日(土)の三役会では、見聞きしたことや学んだ事を報告して空き家対策活動の為には、しっかりした組織を設立し、意識改革を再構築していかないと、今後! 信里での移住者が増えるのは難しいと結論を出しました。
1日25日(月) 空き家の状況を再確認するために事務所を出て、25分くらい歩いて十二区にたどり着きました。視際が済んだので帰ろうとした時に、おじいちゃん(野口さん)に声をかけられました。「すいません。この辺で犬を見ませんでしたか。」ちょっと前に犬の鳴き声を聞いたのを思い出して その場所を教えました。野口さんは車に乗っていたから犬の声が聞こえないと思って自分も探しに行きました。声が聞こえたところで犬を呼ぼう! あっ! 犬の名前を聞いていない!それから、谷間に広がる りんご畑に入って ある男性の方(宮下さん)に会いました。私が事の状況を説明して「犬を見つけてあげたい!」と言ったら、親切にも、宮下さんは「車で探しましょう!」と! ほぼ1時間かけて犬の捜索をしてくれました。また、犬のお陰で新しい出会いがありました。宮下さんは8年間インドネシアでIT系の会社を経営した後、東京で暮らして 去年の10月に信里に戻ったそうです。私も自己紹介しながら、出会った方々の中で、久保田さんの有機栽培の話しをしたら、興味をもたれ是非お会いしたいと言って、2月3日(水)に宮下さんの車で中条の久保田さんに会いに行きました。久保田さんはとても魅力的な方なので、再来を約束されました。
1月26日(火) 山布施を歩き回って宮川さんと犬のゴンタくんに会いました。相変わらず犬を撫でながら、宮下さんに空き家の最近の状況を聞いて、去年の9月から変わっている情報もありました。宮下さんは年と関係なくとても活発で社交的な方だと感じました。
1月27日(水) 飯山市で行われた研修会に参加しました。「地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島」の代表も務めた協力隊関係者の支援にも尽力しているOBの吉村佑太さんと地域おこし協力隊運営など、行政連携事業や空き家再生にも注力し全国で講師を務める加藤潤さんの経験の話しを聞いて、とても参考になりました。
1月28日(木) 中島のりこさんの相談を受けて古民家再生を研究している教授に会うために信州大学に行きました。化学工学を勉強ている一年生の面白い大学生2人に建築学科の建物まで案内してもらって、残念ながら土本先生は、不在でしたが研究室にいた生徒さんに先生の連絡先を教えてもらい翌日、土本先生にメールを送って、2月19日! 中島のりこさんの家でお会いすることになりました。
1月29日(金) 木村さんに教えて 頂きながら これからの農業挑戦のために必要なものを揃え始める事にしました。木村さんのアドバイスで買い物すると安心です。午前中信更の中島忠徳さんから連絡があって2月4日(木)に信里の空き家を見に来てくださるという嬉しい連絡がありました。
2月1日(月) 木材を買いにムサシに行たら、ペットコーナーで子猫、子犬、うさぎ、鳥たち等を見てました。その時!!!! 一匹の子犬が、じっと私を見ていたので店員さんに頼んで抱っこさせてもらいました。あの子犬! 叶うなら!叶うなら! 家に連れて帰りたかったです。
2月4日(木) 中島のりこさん、青木区長さん、事務所の中島忠徳さん達から暖かい応援を受けて、雪風の中を、青池、山布施、そして山村の空き家を見に行きました。そして、わずかばかりの希望の光が、見えてきました。これから、春に向かって一歩一歩! 着実に計画を立てて、前に進んで行こうと思いました。空き家対策を!!!!!!!

青池の中島さんが撮った写真です。

この写真もそうです。
余談の余談ですが!!! 1月9日(土) OGの牧野さんが、私を家まで迎えに来てくれて、彼女の自宅で着物を着せてもらいました。異国の地での、一時の楽しいプライベート時間でした。