うちの地区の伝統、その名はタケスキー(信更地区 窪美)
2017年2月 6日 | 活動内容: |
信更地区担当の窪美です。
昨年の夏に都会から来た若者たちと
地元の方たちとの交流の際に聞いた言葉。
タケスキー!?
どこかのロシア人かと思ったら、
地元に伝わっていた昔の雪遊び、
竹で作ったスキー板のことだった!!
そこで飛び出したアイデアが、
『竹スキー』を都会の人に教える竹スキー教室。
これだけで都会から人を呼ぶのはどうかということで、
『雪かきボランティアと地域フィールドワーク』と銘打って、
1泊2日の週末ワークキャンプを企画し、
おまけ的に竹スキー教室も行うことになった。
そして、迎えた当日、
都会から6名の若者が信更町にやってきた。
初日は、長年地域史研究に取り組んできた
元長野県立歴史館総合情報課長宮下健司先生を
お招きしてのフィールドワーク。
地域の風土や歴史やそこに暮らす人々の知恵を
発見・探求しようという内容なんだけど、
教科書的な堅苦しいものではなく、
一種のエンターテイメント!!
一見何の変哲もない民家に、
立派な石垣が積んであるこんな地下室があったり。
(蚕の餌である桑の葉を保存していた場所とのこと)
小柿の実が乾燥して、
言うなれば天然の干し柿になっているのをパクリとしたり。
民家の玄関に貼ってあった「鎮防火燭」のお札。
火災を鎮めて防ぐ意味があるとのことだったが、
「火」が水のように書かれているのが、面白い。
この水で火災を防ぐといった意味合いなのか、
それだけ火災を恐れていたということらしい。
小窓に掘りごたつに使われていた金網を発見。
(って、掘りごたつなんて見たこともないけど)
フィールドワークの途中で、
ご近所の方に味の文化財とも呼ぶべき、
漬け柿をいただいちゃった。
塩水に渋柿を漬けて発酵させたもので、
ピリピリとした食感が独特。
この地方だけに伝わる貴重なもの。
このように、農村大好き人間の宮下先生の手にかかると、
地元の人からは何もないと言われる信更町が
素晴らしいワンダーランドだったことに、
都会からやってきた人はもちろん、
地元の人もびっくりしちゃうのである。
その後は、外を回って冷えた体を温泉に入って温め、
宴に突入しちゃうのだが、その話しは本筋から外れるので省く。
さて、翌日は雪かきボランティア。
の予定だったんだが、
幸か不幸か、ここ最近は本格的な降雪もなく、
当日も雪がちらつく程度で、雪かきの出番はなし。
ここで急遽、おまけ企画だった竹スキー教室が
メインになってしまったのである。
現在、60代のHさんを先生に、
竹スキー作りから滑り方までを教えていただくことに。
(このHさん、きのこ先生でもあるのだ。)
そもそも竹スキーだが、
竹を45cm程度の長さに切って、半分に割り、
先端部を軽く曲げただけの代物。
しかし、竹スキーで遊んでいたHさんも、
自分で作ったことはなく、近所の駄菓子屋さんで
買っていたとのこと。
そのため、
先端部をどうやって折り曲げるかは、
70代以上の方たちにリサーチする必要があった。
しかし、70代以上の人からの聞き取りは、
もう60年くらい前の話しということもあるのか、
なかなか核心に迫ることが出来ない。
まずは、そり作りの話しに飛んで、
しまいには、木曽馬の話しになってしまったが、
どうにかこうにか聞き出したのは、以下2つの方法。
1つ目は、お湯で竹を柔らかくして折り曲げるやり方。
2つ目は、火にあぶって折り曲げるやり方
今回は、簡単そうなお湯をチョイスしたが、
具体的なお湯の温度やなんかは聞き出せなかったため、
自分たちで試行錯誤することに。
さて、当日の様子。
事前に切り出して、半分に割っていた竹を加工する参加者。
竹の先端を熱湯でぐらぐらと10分程煮ると、
竹が少しだけ柔らかくなってきた。
早速取り出して、折り曲げてみると曲がった、曲がった!!
ただし、そのままではまた元の形に戻ってしまうので、
雪で冷やすことで、先端の折り曲げを固定する。
こんなそんなで、色々と試行錯誤を重ねて、
なんとか先端部を折り曲げることが出来た。
さて、各自自作の竹スキーを持って、
ゲレンデならぬ、雪の積もった坂道に向かう。
始めはなかなか滑れなかった参加者も、
Hさんの指導で、徐々に滑られるようになる。
本当は午前中だけの予定が、
すっかり夢中になってしまい、午後も竹スキーになってしまった^^
現代の遊びが道具の購入等、
消費活動の部分が多いのに対して、
自分たちで道具を作って遊ぶと言うことが実に創造的な点が、
夢中になってしまった理由の一つだと思う。
しかし、一番楽しんでいたのは、地元の先生、Hさんだったな。
(思い出補正もあるしね。)
ちなみに、現在50代以下の方たちからは、
竹スキー遊びも徐々にやらなくなっていってしまったらしい。
フィールドワークの宮下先生も言っていたけど、
江戸時代から続いていた農村の伝統・暮らしは、
高度経済成長が始まり、急激に失われていったということらしい。
竹スキー遊びなんかもその流れの一つ。
地元の子どもたちと一緒に竹スキー教室をすることが出来れば、
ささやかながら伝統の復活と言う小さな一歩になるかもしれない。
といったアイデアの生まれた週末であった。