私の地区の鉄道
2016年7月21日 | 活動内容:活動内容 |
こんにちは、小田切地区担当の涌田です。
今回は 【私の地区の鉄道廃線跡】を紹介します。 と言っても、実際には小田切地区を通ってはいなかったのですが、地区の住民の足として、"善白鉄道" と言う鉄道路線がありました。
当初の構想では、善光寺と白馬を結ぶ計画で、それぞれの頭文字をとって 善白鉄道と命名されました。
路線は鬼無里から長野市街地に向けて流れる裾花川沿いに建設され、現在のJR長野駅の安茂里よりに 善白鉄道 "南長野駅" があり 起点駅となっていました。長野市街地をぬけると裾花川の芋井側を通り、現在の裾花ダムの下に終点 "裾花口駅" がありました。 短期間の営業でしたが、うちの地区のおじいちゃんや、おばあちゃんのなかには 電車(実際は気動車)に乗った方もいて、懐かしそうに話をしていました。 現在でも、所々に、廃線跡の残骸が残っているので、探索してみました。
トンネル跡や鉄橋のあとです。
廃線跡です。
善光寺温泉の跡です。白壁や駐車場の看板が残っていました。
路盤跡です。(善光寺温泉駅付近)
戦後、休線のまま残り 国鉄が長野から白馬までの "信越西線" として計画されましたが、裾花ダムの建設によりルートが確保が難しくなったため、昭和44年7月に 正式に廃線となりました。もし、この路線が開通していたら、長野 - 白馬間の快速列車や、首都圏から 長野経由 白馬行き特急列車なんかも運転されていたのではないでしょうか?そう考えると、なんかワクワクしますね。ぼくだけでしょうか!興味のある方は、善白鉄道の廃線跡をたずねてみてはいかがでしょうか。
そして、いつもの "ぼくの列車紹介" です。
今回の列車は上野 ー 青森間を結んでいた 特急 "ゆうづる" です。
昭和40年10月のダイヤ改正で誕生した寝台特急です。前年に誕生した、同じ上野 - 青森間を走る特急 "はくつる" が東北本線経由であるのに対して "ゆうづる" は常磐線経由で運転されました。登場時は、20系寝台客車が使用されましたが、昭和43年10月からは583系寝台電車が加わり、昭和51年10月に20系寝台客車から24系寝台客車に変更され、昭和53年10月からは 14系寝台客車が加わりました。また、この列車は 青函連絡船との乗り継ぎを考慮した列車でもありました。 昭和57年の東北・上越新幹線の大宮暫定開業直前には、季節列車2往復を含めて 7往復が設定され、全盛期をむかえていました。以降、東北・上越新幹線の上野開業や、青函トンネルの開通などで、本数をを減らし、平成5年12月に特急 "北斗星" にその使命をゆずるかたちで、その歴史に幕を閉じました。