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ナガラボはながのシティプロモーションの一環です

No.312

田川

賀子さん

カフェ+まち案内えんがわ 店主/編集者・ライター

タウン情報誌で培った編集力でつなぐ町と人

文・写真 くぼたかおり

ぱてぃお大門の一角にある「カフェ+まち案内 えんがわ」は、長野市のタウン情報誌「月刊ながの情報FREE」編集室を併設し、町の観光案内所として訪れた人たちにさまざまな情報を届けています。

「出版業」に憧れて入社し、理想と現実を知る

店主で編集者兼ライターの田川賀子さんは、大門町に店兼事務所を構えて13年になります。現在は、長野市の印刷会社カシヨ株式会社が発行するタウン情報誌「月刊ながの情報FREE」を、田川さんを含む3人の女性を中心に編集・取材・制作をしています。

「月刊ながの情報」は1972年に全国初のタウン情報誌として創刊しました。当時は広告代理店兼総合情報サービス業をしていたケイシイシイという会社が発行。栃木県の短大卒業後の進路をどうしようかと模索していた田川さんは、偶然この会社の求人情報を見たのがきっかけで入社しました。文学を専攻していただけに出版業に憧れがありましたが、実際は雑用が多くて体力勝負。それでも社員には同世代が多く、サークルのように活気があり、楽しかったと言います。

田川さんは最初に求人情報誌の部署に配属され、2年ほど過ぎてから経理部門へ異動になりました。何よりも数字が苦手だった田川さんは辞めようと考えたものの、「何事もひと通りできるようになってから」と考えて経験を積んでいきました。フリーランスとなった現在では、経理で培った経験が役立っているそうです。

善光寺表参道沿い、ぱてぃお大門の入口に立つ

仕事してばかりの日々。続けられた理由は人にあり

自分のペースで仕事ができるようになり、このままでもいいかなと思っていた27、28歳のころ、ながの情報のデスクとして異動が決まりました。

「そのころには編集部の忙しさを知っていたので、うれしいというよりは困ったなぁ……という気持ちでしたね。入社して数年経っていましたが、編集経験と言っても求人だけだったので、大丈夫かなという想いもありました」

雑誌は主に、特集、インフォメーション、読者交流の構成で、多い時で200ページ近くを4・5人の編集者と制作。当時は今のようにイラストレーターやインデザインなどパソコンを使って制作するのではなく、写植という技術で雑誌が作られていました。写植とは写真植字といい、文字や記号の写真のことです。それらを切り貼りしてレイアウトを台紙に作る版下を行い、製版屋に依頼する等、今はパソコン1つで出来てしまうことを手作業で行っていました。

「パソコンでデザインや編集、ライターをしている今の世代より、このころいた人たちのほうが確かな技術を持っていたと思います。それに手作業で雑誌を作っていた分、今よりも1つひとつの事を丁寧に作っているという実感がありました」

それゆえ、1文字でも誤字があれば修正するのもひと苦労。それでもパソコンに向かって静かに作業をするのではなく、みんなでたくさんの会話をしながら制作していたので、社内にはいつも活気があったそうです。

テーブルとカウンター席がある店内には、田川さんお気に入りの作家作品も展示されている。ドリンクのほか、見た目も華やかなデコレーションカップケーキやどうぶつドーナツなどもある

「20~30代は本当に仕事中心の毎日でした。それでも同じようにがんばる仲間がいて、楽しかったんですよね。結局どんな会社でも、人が良ければ乗り越えられるんですよ」

しかし年齢を重ねるにつれて任される仕事も変わり、デスクワークが増えていくように。そんなある日、泊まりで乗鞍高原へ取材した時の清々しさや気持ち良さに感動し、こういう気持ちの中で過ごしたいと考えるようになっていきました。

「自分の中でやり切ったかなという想いがふと湧いたんです。そして、34歳の時に退職しました。特に独立思考があったわけではなかったけれど、辞めてからすぐに取材の依頼が来るようになったんです」

それならば自宅以外の拠点を持とうと考えて、当時同じくらいのタイミングで辞めたケイシイシイ時代の同僚と、大門町の金栄堂があるビルの2-3階を借りて、仕事を始めるようになりました。

「屋号をえんがわにしたのは、訪れた人たちが集まっておしゃべりできるような場所にしたいと考えたからです。始めたころは時間もあったので、昼からのんびりビールを飲みながら仕事なんて日もありましたね。笑」

カフェの奥には編集室がある。ここから毎月「ながの情報」が作られていく

長く続ける秘訣は、こだわり過ぎないこと

そして2003年、現在の場所に引っ越しました。田川さんが以前から気になっていた建物でしたが、長い間使われずにシャッターが閉まっていたそうです。建物は大門町の有志が出資して作った会社が所有。整備にあたって使ってくれそうな人を尋ねられたりする中で、自分の意志よりも、なりゆきで場所を借りることになりました。それまでの家賃より倍以上する金額です。果たして不安は無かったのでしょうか。

「会社員のころから、門前に観光案内所があればいいのにと思っていました。そのころはまだ中央通りに喫茶店がほとんど無く、寄りつく場所が無かったんです。漠然とした想いが現実となり、ぱてぃお大門に出店が決まったのは、本当にラッキーでした」

ちょうどオープンした年は御開帳があったので、まずは観光案内から始めました。公共の案内所では主な観光スポットの案内に終始することが多く、個店情報までは教えてくれません。田川さんは、それでは観光客の満足感を得られないのではと感じていました。一方でえんがわは、タウン情報誌ならではの町の情報をたくさん持っているベースを生かして始めたのです。

以降少しずつカフェメニューなどを充実させていきました。奥には編集室も兼ねていますが、場所が狭くなってきたため、現在ではもう1拠点借りて仕事をしています。

「今は、私の他に2人仕事をする仲間がいます。その2人が『月刊ながの情報』を中心に、私は大門町南方商和会の会長として、町のさまざまな行事に関わりながらちらしやパンフレット等を作っています」

田川さんは何年も町の活動に参加する中で、「編集する視点」が必要だと話します。

「私の場合、このイベントをする時に誰に頼んだら楽しくなるだろうかと考えます。雑誌の特集作りもテーマがあって、それに沿うスポットなどを紹介しますよね。特集を考える編集者が楽しんで作れば、読み手にも伝わる。それと同じように、人をつなぎ合わせて一緒に楽しんで作ると、結果良いイベントになるんです」

とてもたくさんの仕事を任される中で、モチベーションを落とさず、長く続ける秘訣って何なのでしょうか。

「ながの情報」以外にも、長野県内の観光関連の仕事に多く携わっている

「うーん……、こだわり過ぎないことかな。のめり込み過ぎると、疲れてしまうと思うんです。私の場合、どんなに編集作業が忙しい時でも、カフェにお客様がいらっしゃったら店に出る。そこで息抜きできるからこそ良いサイクルが生まれるし、飽きずにいられるのかなって思います」

それでも今後のスタンスについては、もう一度考えたいという時期にあるそう。

「最近ではフリーの編集者やライターというより、商店会の仕事が多いんですよね。でも、やっぱり自分たち発信で何かを作りたいって想いはあるんです。情報誌出身なので、純粋に楽しい!と思うことや、おもしろい!と思うことを伝えていきたいですね」

灯明まつりが終わり、これから5月までは善光寺花回廊の準備で忙しくなっていきます。どんな時でも田川さんは飄々とした雰囲気で、サクサクと、的確に仕事をしていきます。だからこそ、町の人たちは信頼をして、いろんなことをお願いするのではないでしょうか。

いつか、えんがわ発信で新たな何かが生まれることを期待して待ちましょう。

ぱてぃお大門中庭では、不定期で催しが開かれる。2月の灯明まつり期間中には、ぱてぃお大門の中庭で日本酒のイベントがあった

(2016/02/29掲載)

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長野市大門町45ぱてぃお大門内
電話 026-232-4178
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