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No.490

かいせ

由子さん

Atlier COTAN主宰/画家

20代の若さで筆を折る苦しみを経て、再び画家である人生を選択。
色鉛筆で魅せる芸術作品をめざして

文・写真 くぼたかおり

長野市と白馬村の中間に位置するのが、長野市の中山間地域の1つ・信更(しんこう)町です。長野市民でも知る人が少ないこの町に愛知県から移住したのが、日本画家、色鉛筆画家、そしてデザイナーとしても活躍しているかいせ由子さんです。移住する前後で画家人生が大きく変わり始めたかいせさんは、この秋にはイタリアの美術展に出品するために創作活動に励んでいます。画材に使用するのは色鉛筆。多くの人がまだ知らないその魅力や、そこにいたるまでの生い立ちを伺いました。
 

山村に住む人が言う“なんにもない”は“街なかに自然がない”と同じ

2020年に愛知県から移り住んだ画家のかいせ由子さんは、長野市信更町の中心部に住居兼アトリエを構えています。地元の人たちは「なんにもない地域」と謙遜する山あいの町ですが、かいせさんの創作活動に必要な植物や自然といったインプットする対象物がたくさんあると言います。
 
「信更町の人がよく言う『なんにもない』は、街なかに住む人にとって『自然がない』と同じで、あることが当たり前すぎて目を向けていないだけだと思うんです。私はこの町の美しい自然に毎日魅せられている。たとえば愛犬のマフィオと散歩していると、同じ目線に霧が発生して流れているのを全身で感じます。そのとき、実際には聞こえない、霧が流れていく音を感じるんです。遠くの景色を見ているときも、山の間から雲が湧き出るように発生する瞬間が見えたり、朝靄も、夜闇の複雑な色も惚れ惚れします」
 
信更町の好きなところを語り出したら止まらなくなるほど、ここにしかない自然風景に魅せられているようです。
 
国道19号から脇道に入った信更町三水地区から見た朝の風景。かいせさんの住むエリアは、この山側にある
▲国道19号から脇道に入った信更町三水地区から見た朝の風景。かいせさんの住むエリアは、この山側にある
 
かいせさんが移住を考え始めたのは、40代後半になってから。自分には、あとどれだけ時間が残されているのだろう? と考えたことから、これからの生き方を模索するように。暮らしていくには何不自由のない便利な環境でしたが、もともと自然がある環境や草花への興味が高かったことから、豊かな自然がある場所で暮らしてみたいと思うようになります。
 
最初は全国を対象にインターネットでさまざまな物件を調べていましたが、次第に引っ越しにかかる費用や人脈がある名古屋と往来できる距離を優先するようになり、候補地を岐阜県と長野県に絞りました。長野県内でかいせさんが目を留めた物件は長野市の中山間地域のものが多く、中条や信州新町、信更町などの物件を見学。そして2年ほどリサーチを続けたある日、相談していた不動産屋・信州田舎暮らしの方から紹介してもらったのが、現在の物件でした。
 
「両親も一緒に移住することになっていたのですが、長年離れて暮らしていたので完全に同居するのは難しいと感じていました。その点、信更町の物件は母屋と離れが渡り廊下でつながっていて、お互いの居住スペースとプライベートを保ちつつも自由に行き来できそうだと思ったんです。アトリエを構えたいとも考えていたので、付属する二階建ての納屋が使えそうだとイメージが広がりました」
 
こうして見学で初めて訪れた信更町の物件を即決しました。
 
リノベーションした母家の1階。室内からも庭の景色がよく見える心地よい空間になっている
▲リノベーションした母家の1階。室内からも庭の景色がよく見える心地よい空間になっている

 

がむしゃらに突き進んだ時代を経て、ふと歩みを止めた40代。残された時間を、どう生きるのか

幼い頃から華道、茶道、絵画教室に通っていたかいせさんは、それぞれの稽古で審美眼を鍛えてきました。建築デザイナーを目指して工業高校のデザイン科に進学しましたが、当時はまだパソコンではなく手描きで制作するのが主流で、ポスター1枚を作るにもレタリング、着彩、緻密で総合的な構成力などが必要でした。今のように、モニター上で何度でも色や構成を変えられなかった時代です。デザインを極めるには総合的な力が足りないと感じて、短大では日本画を専攻。そこで作品制作の主題に選んだのが、植物でした。実はかいせさんは、華道で師範を育成する指導者でもあります。そのため植物はとても身近な存在で、デッサンの題材に適していたのです。
 
庭の植物を生けるのが日課。剣山や花瓶を使わなくてもバランスよくまとまっている
▲庭の植物を生けるのが日課。剣山や花瓶を使わなくてもバランスよくまとまっている
 
卒業後は就職しつつ日本画家として創作活動を続け、個展や公募展に出品するなど精力的に活動を続けていきました。
 
「20代はがむしゃらでした。誰もが1日24時間ある中で、私は48時間の経験を積むんだとがんばっていました」
 
ところが28歳のある日、突然絵を描けなくなってしまいます。物心ついたときから絵を描くのが当たり前だったのに、自分が何を描きたいのか、絵が自分にとってどういう存在なのか、そもそも何をしたいのか。インプットが枯渇してしまったかいせさんは、折筆を決意。
 
その後、結婚して旦那さんと起業しましたが、8年後の離婚を機に会社も辞任。その3カ月後には、1人でデザイン会社を立ち上げました。めまぐるしく変化する環境にもめげず、半ば意地でがんばっていたものの、東日本大震災を機に被災した企業からの未払いなどが発生し、今度は廃業を余儀なくされます。
 
「再起業してデザイン専門学校の非常勤講師を請け負いながらの1人社長でしたが、意欲的な数年間でした。廃業を決めてからの最後の1年間は、清掃から家政婦までなんでもしました。ジェットコースターのような5年間でした(笑)。その後一般企業に就職して気持ちが落ち着いた48歳ごろ、私の人生はあと何年残っているのだろう、私はどうしたい?と自問するように。そのころは漠然と、田舎で晴耕雨読ならぬ晴耕雨描の生活を送れたら……と思ったんです」
 
現在もかいせさんの住まいに飾られている日本画。インドの更紗生地を題材に描いた作品(写真提供:かいせ由子さん)
▲現在もかいせさんの住まいに飾られている日本画。インドの更紗生地を題材に描いた作品(写真提供:かいせ由子さん)
 

色鉛筆の特性を理解し、色鉛筆にしかできない表現を追求する

15年ぶりに自分の時間が持てるようになると、自然に絵を描きたくなってリハビリがてら色鉛筆でデッサンをするように。最初に完成したのは、当時飼っていた愛犬の絵でした。試しに「ペットの肖像画を描きます」と作品とともにネットに掲載したところ、希望する人もちらほら現れるようになりました。
 
初代相棒のぱぴをモデルに色鉛筆で描いた肖像画。今にも動き出しそうな雰囲気だ
▲初代相棒のぱぴをモデルに色鉛筆で描いた肖像画。今にも動き出しそうな雰囲気だ
 
そんなある日、岐阜県のテーマパークからワークショップを開いてほしいという依頼を受けます。屋外で絵の具を使うには準備や片付けが大変だと考えたかいせさんは、画材に色鉛筆を用いることにしました。
 
「絵を描くときには形を取るデッサンと色を塗る着彩、2つの異なる技術が必要です。多くの人はデッサンに苦心して描けないとか苦手だと感じてしまうので、それなら色で自分を表現する楽しさから知った方がいいんじゃないかなと考案したのが『七彩(なないろ)の鉛筆画』でした」
 
七彩の鉛筆画で用いる色鉛筆は、たった9色のみ。使い方を学びながら塗っていくと30色以上の色を生み出すことができます。現れる色に「かわいい」「好み」と純粋に楽しむ人、無意識にその日の気分を色に求める人など自由に絵と色に向き合えるのがポイントです。かいせさん自身はその時間をセルフフィーリングに近いと言います。
 
「色鉛筆は身近な画材ですが、多くの人にとってスケッチのための備品的な扱いで使われています。いろいろなメーカーがある中で私が主に使っている色鉛筆はドイツのメーカーですが、色幅は120色もあるんです。ほかのメーカーも同様の色幅を持っていて、それぞれ硬さや描き心地が違います。それだけ色幅と特徴をもって作られているということは、芸術作品の表現画材としてもっとできるはずだと気づいたんです」
 
無数にある色鉛筆。制作中によく使うものはそばに置いている。同じ色のようで実は異なり、色幅の多さにおどろかされる
▲無数にある色鉛筆。制作中によく使うものはそばに置いている。同じ色のようで実は異なり、色幅の多さにおどろかされる
 

日本画から洋画へ。“移住”という変化で掴んだ大きなチャンス

自然があって土いじりができる生活環境を探した移住先・信更町で創作活動を始めたかいせさん。再び日本画を制作しようと絵絹に向かいましたが、何かが違うと手が止まってしまいます。
 
ある日、ホームページに掲載していた作品を観たという企画会社から「国際平和美術展2021」に出品してみないかというオファーを受けます。
 
「話を聞くと、日本画ではなく色鉛筆画を出品してほしいと言うんです。色鉛筆は写実が得意な画材なので、ペットの肖像画も色鉛筆で描き、それらをブログで公開していました。その表現力を見込んでとのこと。色鉛筆で勝負できないかと考えていたころだったので、思い切って心象絵画を制作。本当に良いチャンスをいただきました」
 
作品《A moonbow》は受賞後、ロンドン、ニューヨークでも展示された(写真提供:かいせ由子さん)
▲作品《A moonbow》は受賞後、ロンドン、ニューヨークでも展示された(写真提供:かいせ由子さん)
 
作品制作で大切にしているのは、空気を描くこと。そのモチーフにしているのが、空や雲、植物です。信更町に来てから、夜は決して黒一色ではないと再発見したかいせさんは、インプットした夜の景色と、霧が多い夜に月の光を反射して生まれる虹・ムーンボーをイメージした作品《A moonbow》を出品。画家として再スタートした最初の作品で、英国王立美術家協会から名誉会員が授与されました。
さらには2022年に開かれた「日本の美術〜全国選抜作家展〜」で、審査員特別賞も受賞したのです。
 
審査員特別賞を受賞した作品《月が私を見ている》
▲審査員特別賞を受賞した作品《月が私を見ている》
 
取材時は、11月にフィレンツェで開かれる「ART BLEND ワールドコンペティション」への出品が決まり、制作の真っ只中でした。その作品を見せてもらうと、洋画でありながら、色使いなどから日本画の風情が感じられます。さらによく見ると、紙に3mm方眼のマス目が引かれていることに気がつきます。
 
「色鉛筆は筆圧を強くしても、紙の目に入りきりません。しかも、どうしたって筆先は1mm以下でしか塗れないので、絵の具のような重厚感が出しづらいんです。その表現のために模索してたどり着いたのが、方眼のマス目を一つずつ塗りつぶしてベースを作ってから、上に何層も描き重ねる方法でした。透明水彩に似て、色鉛筆も下の色を完全に塗り消すことはできません。その効果と使用する紙質で生まれる、なんとも言えない透明感に惹かれています」
 
普段、絵の制作は1日4〜7時間ほど。時には窓から見える庭の草が気になって中断することもあるそうです。締め切りを考えたら見ないふりをしてしまいそうですが、その時々の状況やモチベーションに合わせて創作と暮らしを上手に行き来している様子が伺えます。
 
普段、絵の制作は1日4〜7時間ほど。
▲普段、絵の制作は1日4〜7時間ほど。
 
「描いている時間は、自分との対話であり内省のような……。写経に近いものを感じます。インスピレーションが沸いたら自分の中でその火を絶やさないように作画と向き合う。だからと言って長時間制作を続ければいいというものでもなく、ノリノリで筆を進めたときほど近視状態で失敗することも。想いに飲み込まれず、ある程度の工程を見越したところまでは黙々と、時々離れて全体を見るという、主観と客観を交互に行います。どちらも製作中の絵を通して自分と向き合う作業です。それでも想いに固執してしまうことは多々あるので、日常的に瞑想を取り入れています。日々のさまざまな執着や感情をクリーニングして極力手放すことで、ゼロの状態で作画に向かえるようになります。そういうことも、年齢を重ねたからできるようになったのかも」
 
いつかは思い入れがあるイタリアに留学して絵の勉強をし、海外で個展を開くのが目標だと語るかいせさん。11月の出品はきっと、その足掛かりになることでしょう。
 

(2023/09/12掲載)

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