No.466
塚田
和大・香里さん
暮らす店 実と花
自然体で「暮らすように働く」。心地よい空間の本質にあるもの
文・写真 島田 浩美
「暮らすように働く」。これは、暮らしの道具も扱うカフェ「暮らす店 実と花(みとか)」のコンセプトにある言葉。職住一体の平屋の空間は、長野市三輪の静かな住宅街にありながら、わざわざ足を運びたくなる心地よさに満ちています。
ふたりの共通の思いから生まれた、住まいを兼ねた店づくり
「暮らす店 実と花」のオープンは2020年6月。ちょうど先月、1周年を迎えました。営むのは、塚田和大さん・香里さん夫妻。築およそ45年の民家をリノベーションし、ゆったりとした配置の客席では、利用客がほどよく互いの気配を感じながら、居心地のよい空間で自分の時間を楽しむことができます。
「仲介してくれた不動産屋さんから『こんなに席数が少なくていいのか』と心配されましたが、コロナ禍という時代もありますし、周りを気にせず過ごしていただける距離感はこのくらいがいいかなと思っています」(香里さん)
提供しているのは、和大さんが淹れるハンドドリップコーヒーと、香里さんが作る台湾スイーツの豆花(トウファ)や季節のスープとスコーン、蒸籠(せいろ)を使った野菜料理など。どれも丁寧に作られているのが伝わってくる、やさしい味わいです。
スコーンはサクサクのイングリッシュタイプで、少し塩気があって、それがまたハチミツの甘さとマッチしてとてもおいしい! と感激していたところ、どうやら汗をかくこの時季は塩の量をわずかに増やしているのだとか。そんな細やかな気遣いが随所に感じられます。
和大さんは、2018年から善光寺近くの築100年を越える小さな蔵で、母のめぐみさんとともにカフェ「薫蔵 COFFEE KAGURA(以下「薫蔵」)」も経営中。
現在、平日の「薫蔵」の営業はめぐみさんに任せているそうですが、香里さんとの出会いもこの店でした。店主と客として話をするうちに、お互いの価値観に共感を覚えたといいます。
「いろいろと話すなかで、仕事とプライベートを分けすぎる生き方はちょっと違和感があって疲れちゃうよね、という思いがお互いにあることがわかって、暮らしながら仕事ができたらいいねと話すようになりました」(和大さん)
「その頃、私はコーヒーチェーン店で働きつつ、ブリザーブドフラワーやドライフラワーのアレンジメントもしていて、雇われず、組織に属さず生きていく暮らしをいろいろと模索していた時期でした」(香里さん)
というのも香川県出身の香里さんは、大学時代にロシアに留学していたり、旅好きで各国を巡っていたり、長野市に移住する前は三重県で暮らしていたりと、土地に縛られることなく各地を転々としてきたそう。
「あまり場所にこだわりがなく、タイミングが合えばどこでも移住してきました。長野市にひとりで引っ越してきたのは5~6年前。そろそろ長野から離れるか、どうしようかと思っていたタイミングでカズさん(和大さん)と知り合って、長野に根付いてしまいました」(香里さん)
和大さん自身も東京出身。そんなふたりが知り合ったのは、まさに縁とタイミングが合ったのでしょう。2018年末に結婚。香里さんも週末は和大さんとともに「薫蔵」の店先に立っていましたが、次第に「薫蔵」とは別に、お茶と雑貨の店を営もうと、住居を兼ねた店舗物件を探すようになりました。
本当に納得したものを取り入れる暮らしそのものが仕事に
場所は特に定めておらず、「薫蔵」に通える範囲を想定し、当初は善光寺門前エリアに空き家が多いと踏んで物件を探していたそうです。ところが意外にも借りられる物件は少なく、「少し門前から離れるけどおすすめ」と不動産屋から紹介を受けたのが、現在の「暮らす店 実と花」の建物でした。
「はじめは古民家をイメージしていたんですが、一軒目にこの物件を見たら、ほかは考えられなくなりました。この雰囲気もありだねって妻と話しました」(和大さん)
「庭が広かったのもよかったんですよね。5年ほど空き家だったそうですが、大事に思われてきた家なんだっていう空気感がありました」(香里さん)
こうしてひと目惚れの建物を見つけたのが2019年秋のこと。リノベーションは大きく手を加えず、かつての民家の面影を大切にしました。
▲庭に面した大開口窓のある居間を客室に
壁や床、天井は当時のままのデザインを残し、居間の一角にあった畳の空間も、畳を新調しただけで間取りはそのまま生かしています。
こうしたリノベーションを終え、引っ越したのが2020年5月。工事自体は順調でしたが、想定外だったのが新型コロナウイルスの流行です。
「物件を決めた時は何もなかったのに、いざスタートとなったら世の中が大変だぞと。とはいえ『薫蔵』も全然お客さんが来なくなったので、思い切って一旦『薫蔵』は休業し、こちらに集中しようと思いました」(和大さん)
そこで、当初は香里さんが中心となる予定だったオペレーションをふたり体制に。おかげで提供できるものが増え、食事メニューやスイーツのバリエーションも豊かになりました。
▲一見すると個人宅の佇まい。看板が目印
▲「実と花」の店名はフラワーアレンジメントの際の香里さんの屋号「atelier mitoca」から
食事メニューは香里さんが今まで訪れた海外でおいしかったものを軸に構成。よく旅行していた台湾の豆花が看板メニューのひとつで、香里さん自身が食べたいから作ったといいますが、これをめざして来店する人も多いのだとか。
「豆花を食べてみたいという方や、コロナ禍の今は台湾に行けないからと来てくれる方がいます。先日もなかなか帰国できないという中国出身の方が『久しぶりに本格的な豆花を食べることができた』と話してくれてうれしかったですね」(香里さん)
▲あずきとピーナッツ、白きくらげを甘く煮込んだものに自家製の和紅茶シロップをかけた豆花
季節のスープも、冬の期間を中心に提供しているボルシチは香里さんが留学していたロシアの名物料理で、これまた本格的なものはなかなか日本では食べられないと評判です。「初めて食べた」という人も少なくありません。
▲冬の定番メニュー、根菜のビーツを使った真っ赤なスープのボルシチと陽だまり色のスコーン
お茶も、こだわりをもって提供しています。和紅茶は奈良県で自然栽培、有機栽培をしている「月ヶ瀬健康茶園」のものを使用。もともとふたりが普段から愛飲していたもので、大切にお茶を作る姿勢や、毎年面白い紅茶作りをする取り組みにも惹かれているといいます。
▲「月ヶ瀬健康茶園」の和紅茶はメニューで提供しているほか、茶葉の販売も
「自分たちが心地よく暮らすための情熱はあるほうなので、やはり私たちがおいしいと思っているものを提供するのが一番よいと思いましたし、『暮らすように働く』というひとつのテーマのもと、メニューも雑貨も、自分たちの暮らしの延長線上にあるものを提案したいと思っています」(香里さん)
その言葉のとおり、販売している作家ものの器や日用品などの雑貨も、愛知県の陶芸家のものや香川県の伝統的工芸品の保多織など、土地にこだわらず、実際に使って納得したものばかり。数は多くありませんが、いずれもの塚田さん夫妻の心を動かしたものたちです。
「長野県にも素敵な作家さんがたくさんいますが、お客さまにとってなかなか知る機会がない県外の作家さんと出会うご縁がここであればいいと思いますし、なんとなく日本旅行をしているような気持ちで寄っていただけたらいいですね」(香里さん)
また、「暮らすように働く」ことで、素敵なものづくりをしている作り手に還元できることもふたりの喜びだと話します。
ちなみに、豆花の豆乳は当初、自家製にすることも考えたそうですが、“餅は餅屋”の考え方で地元の豆腐屋の豆乳を使っています。
「プロのほうがおいしいものが提供できますし、私たちが購入し、お店で提供することで地域に還元できるならいいなと思っています」(香里さん)
それにしても、各商品に添えられた香里さんの手書きポップの文字の美しく丁寧なこと! もともと文字を書くのが好きで、コロナ禍での開業にあたり、それぞれの作家への取り扱い依頼も直接会いに行くことができなかったため、手紙を送ってお願いしたのだとか。快諾してもらえたのは、きっと心のこもった丁寧な手紙も功を奏したのでしょう。
和大さんが提供するコーヒーも土地にとらわれず、味わいによって、東京と山梨、大阪と、3カ所のロースター(焙煎所)から仕入れています。抽出方法にこだわり、「3種のコーヒーと3種の生チョコレートを楽しむコーヒーの飲み比べ」は、すっきりとフルーティーな味わいを生かした「浅煎り」、オイルがほどよく抽出されてマイルド感を高めた「中煎り」、しっかりとコクのある味わいを抽出した「深煎り」と、それぞれにドリップのスタイルを変えて提供してくれました。
▲左から「浅煎り」のペーパードリップ、「中煎り」のステンレスドリップ、「深煎り」のネルドリップ
▲飲み比べと楽しむ生チョコレートはビーガン専門店のもの
このほかに、完全無農薬の希少な台湾産ゲイシャコーヒーも提供。長野市内で味わえる場所はほかにないのでは。コーヒー好きは見逃せません!
日々の楽しみと安らぎを与える空間をめざして
さて、1周年を迎えた「暮らす店 実と花」は常連客も増え、ふたりは少しずつ手応えも感じているといいます。
「繰り返し来てくださる方も多いですし、その方の暮らしのなかで何かしら変わったという話を聞くとうれしいですね。電子レンジではなく蒸籠を買って使ってみたとか、お茶を淹れるようになったとか、定年退職後にコーヒーにハマった方もいたりと、ここをきっかけに新しい趣味を見つけてくださっていると、店をやっていてよかったなと思います」(香里さん)
▲香里さんが提供する「実と花のお茶」。こちらは、クコの実と八角、庭で採れる青山椒を使ったほうじ茶「緋衣草」
コロナ禍ではやはり来客に波があり、当初はハラハラして過ごしていたそうですが、人の流れがわかってきた今は、世情が落ち着けば集客が戻ってくることがわかって穏やかに待つことができているそう。
「きょう来ることができない人も、この店のことを考えてくれていると思えるようになったのが、1年間やってきた結果かもしれません。最近、よくいわれるのが『ここに来ると浄化される』ということ。お客さまにとっては何気ないひと言でも、私が伝えたいあり方を感じてくださっているようでうれしいです」(香里さん)
しかし、こうした言葉がかけられるのは、ふたりの接客の心遣いがあってこそでしょう。
「私たちは主役ではなく、あくまでこの空間の風景の一部でありたいですし、私たちが変わらずここにいることが空間の要素になればいい。もちろん、お客さまとお話もしますが、その時のテンションを汲み取って会話の量を減らしてみたりと、お客さまの心の機微に対して繊細でありたいですね」(香里さん)
▲壁一面に広がる大きな本棚にはふたりがセレクトした本や香里さんが昔から親しんできた児童書が並び、そのラインアップからも人柄が伝わってくるよう
▲店内を流れる音楽は和大さんがセレクト。あまりの安らぎに、時には読書をしながら眠ってしまう人もいるのだとか
なお、土・日曜、祝日は和大さんがめぐみさんに代わって「薫蔵」の接客を担当するため、「暮らす店 実と花」の営業は香里さんが中心に。そのため、メニューをガラッと変えて中国茶を提供しています。
「普段のメニュー数を減らすことも考えましたが、それでは私もお客さまも楽しくないので、せっかくならスタイルを変えて週末に来る楽しみをつくってもらいたいなと思っています」(香里さん)
▲味だけでなく、香りや茶葉の美しさなど、五感を使って楽しむ中国茶
以前から中国茶に興味があったそうですが、上海に駐在する中国茶の講師と知り合う機会があり、猛勉強の末に提供が実現したのだとか。茶葉も現地から仕入れ、食事もマーラーカオ(中華風蒸しパン)を提供したり、BGMを中国風にしたりと、平日とはまた違った雰囲気が楽しめます。
くわえて、火曜から日曜の夜は予約制で和大さんが提供するコーヒーラウンジ「珈琲 月薫(つきのか)」に。店内の照明を落とし、暗闇に包まれた庭は森のような風景になるそうで、昼夜の空間の違いが楽しめます。
▲19〜22時の予約制で営業する「珈琲 月薫」。コーヒーのコースメニューも
「お客さまの気分に合わせてそれぞれにゆったりと過ごしてもらい、忙しい日々のなかでふっと気持ちをゆるめてもらえる空間になれたら。先日、本を読んでポロっと泣いていた方がいましたが、自分の心に素直になれる場所でありたいですね」(香里さん)
それが実現できるのも、ふたりが心赴くままに無理せず働いているからこそ。
「もちろんお店のことは常に考えていますが、それが苦ではなく、暮らしであり仕事であるのが楽しいですね」(香里さん)
▲「都会と違って長野の暮らしは周囲とのほどよい距離感もちょうどいい」のだとか。「またいつでも帰ってきてください、といえる場所でありたい」とも話します
生活と仕事の間に境界線を引かず、暮らしながら商いをする、生業と暮らしが一緒にある、ということは、かつては当たり前の風景でした。奇しくもコロナ禍でリモートワークが定着していたり、ワーケーションや二拠点生活を楽しむ人が拡大していたりと、暮らし方や働き方が見直されている今、再び仕事と暮らしがボーダレスになっている気がします。「暮らしながら働く」というふたりのコンセプトは、これからの時代に大切になってくる考え方なのではないでしょうか。
住宅街という立地も「暮らしながら働く」というふたりの考えを反映しています。駅近や繁華街という環境は店の人気を左右する重要な要素ですが、駅から遠くても、わかりづらい立地でも、そこに魅力あるメニューと落ち着きのある空間、そして温かい笑顔で迎えてくれる人がいれば、人は足を運ぶのだと「暮らす店 実と花」は教えてくれます。
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会える場所 | 暮らす店 実と花 長野市三輪8-37-4 電話 090-8974-2325 ホームページ https://www.instagram.com/mitoca.kurasumise/ 営業時間:11~18時 |
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