No.447
水谷
翔・江希さん
農家民泊・ファーマーズレストラン・ビオファーム「KOKONOE」
生きることは、喜び食べ、美しく輝くこと。自家菜園で育てた野菜と戸隠の恵みを深みのある料理で提供
文・写真 島田 浩美
昼夜の寒暖差が大きい長野市戸隠の気候風土を生かし、高原特有の花豆や、食べられる花・エディブルフラワーなどの栽培をしながら、農業体験ができる農家民泊と旬の素材を使ったファーマーズレストラン「KOKONOE」を営む水谷翔さんと妻の江希(みずき)さん。こだわりの農法と食事の提供から、戸隠でさまざまな可能性を追求しています。
土作りからこだわった野菜と自家製発酵調味料が決め手の色鮮やかな料理
「戸隠の圧倒的な自然のなかで、感動して心に響き、魂が一新されて、薄皮がするんとむけるような場所をつくろうと常に意識しています。生命が動的に動いていることを空間で提供したいと思っています」
こう話す水谷翔さんと妻の江希さんが営む「KOKONOE」。戸隠高原の入り口「戸隠野鳥の里」の近く、民家がぽつんぽつんと佇む先、戸隠連峰や北アルプスが見渡せる場所にあります。食事だけの利用もでき、農家民宿と名付けられているものの、和風オーベルジュのような雰囲気。小鳥のさえずりや水の音などのBGMが流れる穏やかな空間が広がり、そのなかで味わえるのが、化学肥料と化学農薬を使わず土作りにこだわった自家菜園で、丁寧に栽培された野菜を主役にした華やかな盛り付けの料理です。
「土壌を肥沃にすると野菜の品質がよくなり、長持ちします。肥沃な土壌にはわずか1gに数十億を超える微生物が存在し、そのメカニズムと機能は驚異的で、野菜の生育とも密接に関係しています。微生物による窒素固定や硝酸同化、炭素固定、代謝産物生合成、遺伝子水平移動….といった自然環境中で絶えず反応している複雑な生命現象のメカニズムの理解を深化させていくことで、農業はもっと面白くなっていきます」
なにやら科学的な話…? というのも、実は翔さん、信州大学大学院で遺伝学や分子生物学の研究室に所属し、土壌微生物の菌叢解析に取り組んでいる大学院生という顔ももつのです。土壌にこだわることで耕作放棄地の活性化につながるだけでなく、微生物の働きを理解すると時間とお金を削減できるケースが多く、地球環境を考えた農法はグローバルスタンダートになりつつあることから、むしろ強みに転じるのだそうです。
▲圃場内で発酵熟成させた100%自然原料由来の堆肥を毎年土壌に加えて肥沃化させ、植物を優勢に生育。これにより、環境問題や地球レベルでの物質循環への視野も広がったそう
こうして作られた野菜や地域の農産物を使って主に調理を担当するのは、都内で料理教室の講師をしていた経験とマクロビオティックインストラクターの資格をもつ江希さん。もともと外資系メーカーでブランドマネージャーやデザイナーとして働き、製品を魅力的に仕上げる思考と視点を磨いてきた一方で、自然と調和するライフスタイルに興味をもっていたという江希さんは、これまでの経験に加え、戸隠で昔から作られている伝統食や発酵食を地域の人から学び、自家製の発酵食品や発酵調味料を作って料理に取り入れています。
野菜が主役の料理と聞くと、素材を生かした地味な見た目と味わいのものを想像しがちですが、江希さんが作る料理は想像を覆す美しさと味わい深さ。もちろん、野菜に繊細な切れ込みを入れるなど滋味に富む素材自体のおいしさを引き出しつつも、手作りの調味料による味付けが独創的でインパクトがあり、何層も折り重なった旨みを感じるのです。
「おいしいと感じる満足も大切ですが、食べたときにその人の魂が喜ぶような食事を作りたいと思っています」
こう話す江希さんが手間を惜しまず食材と向き合って生み出す料理は五感を大いに刺激し、遠方から訪ねてくる人も多いという話も納得です。
▲こちらはシンプルな見た目に反し、素材を生かした濃厚なスープや繊細な切り口の野菜に染み込んだソースのパンチ力に衝撃を受けたひと皿。特にきのこのパテに添えられたスパイシーなチョコレートソースは初体験の味わい
心と身体を根本からアップデートできる修行の場を求め戸隠へ
翔さんは三重県出身。名古屋市の私立大学の経済学部卒業後は社員研修・コンサルティング系の企業に就職しました。その後、山梨県の八ヶ岳山麓、小淵沢で音(周波数)によるヒーリングの仕事に携わるなかで、農家の家系育ちだった感覚が強まり、次第に農と食の意識が高まったといいます。
きっかけになったのが、コンサルティングのカウンセリングや音を通じたセミナーなどを通じて実感していた、現代社会にうつ病など心の病気や悩みを抱えている人が多いということ。また、水谷さんの家族が次々と大病を患い、短命だったこともひとつのきっかけとなりました。そうしたなかで、古神道の行者やスピリチュアルな考えを大切にしている起業家、科学者に出会ったことで、世界情勢にも自分自身にも危機感を覚えたそう。
「世の中の経済も政治も、自分の思考力や体自体も、本来もっている力より弱くなっているという感覚があって、20代後半になるほど『このままじゃあかん。人生100年といわれると、もっと根本的に直さないといけない』と思うようになりました。“修行”レベルで鍛えたほうがいいと思ったんです」
▲「KOKONOE」の一角には音にまつわる道具も。左は全身の細胞を深部から震わす地響きのような音が鳴る直径120cmのメガゴング
そこで“修行ができそうなところ”を求め、各地を訪ねるうちに、2015年の冬、吸い込まれるような感覚でやってきたのが戸隠だったそう。
「戸隠という場所自体はあまりわかっていませんでしたが、修験道の霊場だったと聞いて戸隠神社奥社に着いたとき、強いパワーを感じて『ここは相当修行ができる場所だ』と思ったんです。そして、『ここに住まなあかん』と思いました」
その後、行政に移住相談をしたことで地域おこし協力隊の募集を知り、圃場付きの住まいも決定。不思議なほどとんとん拍子で手はずが整い、2016年に戸隠に移住して、地域おこし協力隊としての仕事を開始しました。
過去の経験と地域おこし協力隊の活動がつながり「KOKONOE」に
地域おこし協力隊のミッションのひとつが「農産物を売ること」。そこで翔さんが目をつけたのが、冷涼な地域でしか実らず、全国的に貴重なことから高値で取引される花豆の栽培です。その卸先として築地市場の老舗の豆問屋に問い合わせたところ、大粒で実の厚い有機栽培で作ったものは全て購入するといわれたことで気合が入り、“修行”の精神で、なんとほぼ独力で5反歩もの耕作放棄地を開墾しました。
「もともと土中の微生物にも興味があり、戸隠の土を調べると火山灰土と腐植で構成された黒土で、有機物の含有量が多いことから微生物に注目した農業を探求すると面白いと思ったんです。これも自分のなかの“修行”だと感じました」
この発想が膨らみ、もっと専門的に土壌の微生物について勉強しようとの考えが、その後の大学院進学につながっています。
また「民泊」というミッションもあったため、小・中学生の修学旅行をはじめとする民泊の受け入れを開始。その様子をSNSで発信したところ、都会暮らしの友人たちが興味をもったことで「KOKONOE」の農家民宿の事業へと発展しました。
さらに「加工品の開発」というミッションに対しては、菓子製造業の許可を取得し、翔さんに続いて移住した江希さんがエディブルフラワーのクッキーを製造。帰国子女でもある江希さんは、長い海外生活のなかで触れてきたエディブルフラワーが日本で一般的に販売されていないことから、自ら作ろうと思い立ったそうです。そこでオーガニックの種を探し、国内で手に入らない品種は海外から取り寄せ、文献もない手探り状態のなかで発芽・育苗させました。生育には寒冷地ゆえの難しさがあったものの、何度も試行錯誤して、ようやく自家採取の種で栽培ができるようになったとか。
▲花の発色が鮮やかで日持ちもよく、専門家から「ほかのものより香りが高く甘くておいしい」と評されるエディブルフラワー。クッキーにしても花の美しさはそのまま
▲なんと2019年放送のテレビドラマ『グランメゾン東京』の料理にも「KOKONOE」のエディブルフラワーが採用されたそう。監修レストランのシェフや担当者から「土からこだわるアプローチが面白い」と好評の声も届いているとか
こうして、地域おこし協力隊3年目の2018年、「KOKONOE」を開業しました。
「『KOKONOE』は、ここの縁を大事にしようと思いが由来です。ここに来るまでいろいろな人に助けられましたし、自分たちの役割は、戸隠の人と外の人をつないでいくこと。その縁もあります」
こう話すふたりは、実際、この3年間で地域の多くの人と知り合い、長野県外の人には戸隠の魅力を発信し続けているのだそう。また、翔さんは戸隠をきっかけにクリエイターやアーティスト、科学者など分野を超えたさまざまな人と出会い、刺激を受け合っているのだとか。2020年は縁と知識の合流地点の年とし、自分たちが積み上げてきた農・食・泊をベースに、音の仕事を通じて習得した海外の会員制高級リゾートホテルにも導入されていたフェイシャルエステのメゾットをブラッシュアップしてスタートしていこうと、新しいアイデアを練っているそうです。
「農民であると同時に、研究フィールドに身を置いていろいろな知識や知恵が実体験ベースで混ざってくると、次々と多面的な打ち手や新しい可能性が見えてきます。それに、戸隠には自然とともにあり山の神様を大事にしている人がたくさんいて、そこからもエネルギーをいただいています。ほかの人がやらないようなアプローチで何か常に地域に貢献していきたいですね」
▲エディブルフラワーや花豆をはじめとする果菜類の栽培をもとに、養蜂も開始
そう話す翔さんもまた、地域の人やこの地を訪れる人にエネルギーを与えているようです。
日本有数の聖地として知られ、そばの名産地としても多くの観光客が訪れている戸隠。そんななかにあって、「KOKONOE」には、ここでしか体験できない特別な空間と時間、そして出会いがあります。
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会える場所 | 農家民泊・ファーマーズレストラン・ビオファーム「KOKONOE」 長野市戸隠豊岡327 電話 ホームページ https://togakushikokonoe.com/ |
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