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No.502

山﨑

達也さん、恵さん

信州やまざき農園

「FUN・LOVE・SMILE」が溢れる農業で地域も暮らしも豊かに

文・写真 島田 浩美(文)、木下 光三(写真)

担い手の減少により、40代でも“若手”と言われる農業。そんな業界に、社会人生活を経て2019年に専業農家として飛び込んだ「信州やまざき農園」の山﨑達也さん・恵さん夫妻。3人の子どもを育てながら、自分たちらしいスタイルで農業の明るい未来をめざしています。
 

社会人経験を経て30代で生まれ育った若穂地域の専業農家に

長野市最東端に位置する若穂地域。山地が広がる農村地帯で、なかでも綿内地区は果樹を中心とした農産物の栽培が盛んです。一方、高齢化や後継者不足により、遊休農地や耕作放棄地も増え、昭和50年代には約3,400トンを出荷していたというリンゴの生産量も、現在は8割以上が減少。基幹的農業従事者の年齢も6割以上が70歳以上です(2020年農業センサス「長野市綿内地区」より)。
 
長野市最東端に位置する若穂地域。山地が広がる農村地帯で、なかでも綿内地区は果樹を中心とした農産物の栽培が盛んです。
 
そうしたなか、40代の“ホープ”として地域に期待されているのが、山﨑達也さん・恵さん夫妻です。達也さんはもともとこの地で生まれ、4人きょうだいの末っ子として伸び伸びと育ちました。専業農家だった祖父母は、りんごや巨峰、米、野菜などを育てながら、牛や鶏も育て、排泄物と稲わらで堆肥を作る循環型農業に取り組んでいたそうです。
 
「祖父は子牛を買ってきて農作業に生かしながら育て、大きくなったら売ってお金を稼いだり、鶏小屋の卵を家族で食べるだけでなく、夕食が鶏鍋の日は鶏を自分で捌いたりと、生きる力がすごい人でした」(達也さん)
 
40代の“ホープ”として地域に期待されているのが、山﨑達也さん・恵さん夫妻です。
 
ところが、やはり当時から「農業では食えない」と言われていたこともあり、達也さんの両親は一般企業に従事。特に父は農作業を手伝うことはほぼなかったと言います。そんな父が、祖父の他界と自身の定年退職が重なり、それまで関わることのなかった農業に本格的に携わるようになったことは、達也さんにとって驚きだったとか。しかも“新しいもの好き”な性格を生かし、シャインマスカットや長野県のオリジナルブドウ品種・ナガノパープルなど、今では人気品種として定着したブドウの栽培に地域でいち早く着手。達也さんも会社員として企業で働きながら、草刈りなど少しずつ農作業を手伝うようになりました。そして数年後、父が体を壊して農業が難しくなったことで、達也さんが主体的に農業に取り組むようになったのです。
 
「親父が元気な頃は農作業を手伝う程度で作っている実感がなかったんですが、次第にできたものを人に食べてもらい、『おいしい』と言ってもらえるうれしさを感じるようになりました。会社員時代には味わったことがない感覚で、農業が面白そうだなと思うようになりました」(達也さん)
 
取材はシャインマスカットの畑で。少しずつ実が大きくなっていた頃
▲取材はシャインマスカットの畑で。少しずつ実が大きくなっていた頃
 
そして、37歳の時に父が他界したことで、専業農家になることを決意。3児の父として「稼いでいけるのか」という不安はあったものの、元来の自己肯定感の高さと、年齢が離れた遠方暮らしのふたりの兄から「実家の歴史ある土地を継いでほしい」と言われていたこと、そして母ひとりに農業の苦労をさせられないという思いが後押しになりました。
 
他方、恵さんは、当時は保育士として働く公務員。仕事は大変だったものの、当初は「夫婦ふたりで専業農家に」という気持ちはなく、興味があったコーチングの勉強のために月一回、東京の講座に通って自己研鑽に励んでいました。しかし、講座の仲間に達也さんが作ったブドウを渡すと喜ばれ、あっという間になくなる光景を見て、農業の可能性を感じたと言います。
 
「『農業はお金にならない』と言われるなかで農産物に価値を見出している人もいて、何とか求めている人に上質な作物を届ける仕組みづくりができないかと考え、夫の作業を手伝うようになりました」(恵さん)
 
こうして2019年、達也さんと恵さんによる「信州やまざき農園」が立ち上がりました。
 
旬の新鮮な農作物を味わえるのも作り手ならではの楽しみ(写真提供:信州やまざき農園)
▲旬の新鮮な農作物を味わえるのも作り手ならではの楽しみ(写真提供:信州やまざき農園)
 

紆余曲折と試行錯誤を経てたどり着いた自分たちの農業のかたち

作業も慣れないなかで始まった独立1年目は、苦労の連続だったそう。ネクタリンの畑に病気が蔓延したうえ、10月には令和元年東日本台風(台風第19号)の災害によってブドウ棚が流され、完全に打ちのめされたと言います。
 
被災当時。ブドウ畑が一晩で跡形もなく更地になってしまったという(写真提供:信州やまざき農園)
▲被災当時。ブドウ畑が一晩で跡形もなく更地になってしまったという(写真提供:信州やまざき農園)
 
そこで2年目は自分たちがやりたいことを見直し、教科書通りの方法で基本に忠実に農業に取り組みました。奇しくも新型コロナウイルスが流行。世の中が動かなくなった分、やるべき仕事に専念でき、教科書に書かれている農薬や肥料が本当に必要なのかと考え直す機会にもなったと話します。
 
「この辺りの農家さんは昔から野菜をたくさん作り、余ったら人にあげていましたが、さらに残ると畑に廃棄する様子を目の当たりにしていました。でも、家族で食べるだけなら、そんなに多くの量はいりませんよね。それなら、収量を上げるために化学肥料を与えなくても十分育つのではないかと思ったんです」(達也さん)
 
農薬の使用を疑うようになった背景には、台風の翌年、浸水した畑の野菜がよく育ったこともあるそう。川から肥沃な土砂が入ったためではないかと考え、土地の力を見直す機会につながったという(写真提供:信州やまざき農園)
▲農薬の使用を疑うようになった背景には、台風の翌年、浸水した畑の野菜がよく育ったこともあるそう。川から肥沃な土砂が入ったためではないかと考え、土地の力を見直す機会につながったという(写真提供:信州やまざき農園)
 
その検証のため、3年目は春からの消毒を一切やめて無農薬栽培を実践。すると、初夏に通常では見受けられない虫が飛び交うようになったことから、作物ごとに使うべき消毒や、時期によって必要な農薬があることなどがわかってきたそうです。
 
「結果的に、無農薬や無肥料で作物を育てたいというよりは、必要のないものは使わないという視点で農業をしています」(達也さん)
 
「自分たちも口にする野菜だし、自分たちが食べたいものをお客さんも食べたいと思うから、できれば作業の手間をかけても農薬を使わなくて済むなら使わないほうがいいけど、それで自分たちの農業が苦しくなってしまうのはよくないかな」(恵さん)
 
可能な限り農薬は使わず、どうしても消毒が必要になる果樹も減農薬で育てるなど、自分たちの農業スタイルを確立。
 
こうして、可能な限り農薬は使わず、どうしても消毒が必要になる果樹も減農薬で育てるなど、自分たちの農業スタイルを確立。昔から顔馴染みの地域の先輩農家たちからは親切心で消毒を散布されるなど、理解してもらうまで地道な説明と成果が必要だったそうですが、毎日早朝から農作業に取り組み、周囲とコミュニケーションを図ってきたことで、徐々に認められるようになりました。
 
「『米は除草剤を使わず無農薬で作ろうとしている』と伝えると『それは無理だ』『そんな面倒くさいことやるなよ』と言われたりもしましたが、そのうち昔ながらの除草機の使い方を教えてくれたりと、少しずつ自分たちの考えが浸透していった感覚がありました」(達也さん)
 
「だいたい二言目には『売れるんか』『どこに出荷しているんだ』と聞かれましたが、コロナ禍でオンライン販売が成長し、『都会の人から注文が入って完売しました』と言うと納得してもらえました。ちゃんと売れているかどうかも気になっていたようですね」(恵さん)

 
家族で食べ切れないほど採れた野菜は当初「収穫祭」として、オンラインでプレゼント企画も実施。予想以上にニーズがあり、紹介などで顧客が広がって、今では県内外30組ほどに定期便を届けている(写真提供:信州やまざき農園)
▲家族で食べ切れないほど採れた野菜は当初「収穫祭」として、オンラインでプレゼント企画も実施。予想以上にニーズがあり、紹介などで顧客が広がって、今では県内外30組ほどに定期便を届けている(写真提供:信州やまざき農園)
 
4年目には収量も安定。「1年目、2年目はスタートラインにも立てていなくて、3年目にようやくラインに立ち、4年目にやっとスタートを切れた」と達也さんは当時を振り返ります。
 
「今は地域のなかで若手の減農薬農家というポジションを確立して、会合などで『お前の悪い噂は聞かない。気持ちのいい奴だ』と言ってもらえ、すごくかわいがってもらって重宝されています。農業は特に地域に根差した産業。周囲の人と話ができたり、気を遣えたりすることが大事ですね」(達也さん)
 
現在は米とブドウ(シャインマスカット・ナガノパープル・クイーンルージュ)、プルーン、アンズを主に栽培。米は農薬・化学肥料不使用で育て、はぜかけ(天日干し)で乾燥させている(写真提供:信州やまざき農園)
▲現在は米とブドウ(シャインマスカット・ナガノパープル・クイーンルージュ)、プルーン、アンズを主に栽培。米は農薬・化学肥料不使用で育て、はぜかけ(天日干し)で乾燥させている(写真提供:信州やまざき農園)
 

未来を見据え、さまざまな仕組み化で幸せを分かち合える業界に

独立して5年目の現在は、達也さんの母、定年退職をした恵さんの父を加え、主に4人で農業に取り組んでいます。大切にしているのは「おいしいものを届けたい」という思い。特に収穫にはこだわり、果樹は完熟してから採取しています。初物が高値で取引されていても、納得の糖度になるまでは出荷しません。
 
「やはり食べておいしいと思ってもらえるには、完熟するまで我慢が必要。熟しすぎると落果や腐敗などロスのリスクが高まりますが、まずいものを出荷しても意味がありませんから」(達也さん)
 
ちょうど完熟期を迎えていたプルーンの畑
 
こうした実直な姿勢により、高齢化で離農する近隣農家から「畑を引き継いでほしい」との依頼も多く受け、農地は年々拡大。そんななかで今年、新たに立ち上げたのが、地域の農業全体の未来も見据えた「FUN・LOVE・SMILEプロジェクト」です。「FUN(暮らすことを楽しみ)・LOVE(人と人、自然の中で愛し愛され)・SMILE(笑いがいっぱいの日々を生きる)」は、ふたりが日々の暮らしのなかで大切にしているキーワードでもあります。
 
取材場所のブドウ畑も、元は地域の高齢農家から譲り受けた田んぼだった土地
▲取材場所のブドウ畑も、元は地域の高齢農家から譲り受けた田んぼだった土地
 
「僕たちは担い手不足が社会問題になっている農業の最前線にいますが、そうした課題に関心を持ってくれている人は少なくありません。そこで、そんな人たちにうちの商品を購入していただくだけでなく、もっと前段階の農業から情報を共有し、門戸を開きたいと思ってプロジェクトを始めました。遊休農地が増える前に出資などで協力していただき、社会課題に関わっている実感を持てるような関係づくりをしたいと思っています」(達也さん)
 
具体的には、来年2025年4月、近隣農家から譲り受けた約1,200m²の畑にブドウ棚を建設してナガノパープルの苗を植える計画に向け、建設や育成にかかる費用を「数年後に収穫するブドウを先に購入してもらう」というかたちで出資を募るプロジェクト。クラウドファンディングのように短期間で建設費を募って返礼品を届けるのではなく、自分たちの思いに共感してくれた人たちとブドウが成長していく過程を見守り、皆で社会課題に向き合うきっかけにしたいと考えています。
 
台風被害を受けて流されたブドウ棚も支援金を募り、ブドウ棚を新設した4年後、実ったブドウを返礼品として送った。その経験から「最初は支援者が少なくてもじわじわと増え、コアなファンが残ってくれる感覚がある」と恵さん
▲台風被害を受けて流されたブドウ棚も支援金を募り、ブドウ棚を新設した4年後、実ったブドウを返礼品として送った。その経験から「最初は支援者が少なくてもじわじわと増え、コアなファンが残ってくれる感覚がある」と恵さん
 
さらに、将来の展望として考えているのが、農業の仕組み化です。新規就農者が最も苦労をするのが、初年度の収入源。野菜や米は1年で収穫できるものの、安定収入が得られるまでには時間がかかりますし、収入が見込みやすい果樹も、ゼロから始めた場合は収穫までに時間を要するとなると、将来的に新規就農者がすぐに農業に取りかかれるよう、畑の貸与や譲渡に向けて、今のうちに農地を維持拡大させておくことがひとつの展望です。
 
「自分たちもいずれは年を取り、生産性が落ちることは避けられません。それに対し、農業に興味があっても『自分でできる気がしない』『農業は定年後でいい』と、始める取っかかりがない人もいます。そこで、同世代のロールモデルとして『農業は楽しそう』『自分でもできるかもしれない』と思ってもらえるような成功例を重ねていきたいと思っています」(達也さん)
 
「私がこの5年間で感じているのは、農業は自分が作りたい作物を生み出せ、さらにそれを喜んでくれる人がいて、その采配を自分で取れるという面白さです。加工品も含め、収穫したい状態をイメージし、ゴールに向けてスタートが切れるという農業のやりがいも伝えていきたいですね」(恵さん)

 
「思いに賛同してくれた人や興味がある人を巻き込み、週末に副業的に農業に取り組んでもらうなど、お互いにWin-Winの関係を築ける自由な農業も考えていけたら」とも達也さんは語る
▲「思いに賛同してくれた人や興味がある人を巻き込み、週末に副業的に農業に取り組んでもらうなど、お互いにWin-Winの関係を築ける自由な農業も考えていけたら」とも達也さんは語る
 
それでは、ズバリ、農業は若い人におすすめしたい仕事でしょうか。
 
「定年退職後に始める方も多くいますが、若いからこそ型にハマらずにチャレンジできることもあるでしょうし、若手だからこそ同世代から届く声もある。そういったニーズを聞き、届け先をイメージして作物を作る楽しさは、年を取ってからでも味わえますが、米や果樹は年1回しか収穫できない分、早く始めたほうがいい。それに、個人的には社会人を経験したことで人脈を広げ、いろいろな発想もできるようになって、会社員時代とは違う喜びを得られるようになりました。結果的によかったと感じています」(達也さん)
 
「子どもたちにとっても、小さいうちから野菜に興味をもつようになりましたし、農産物の物々交換など、お金のやりとりだけではない経済活動や社会性について話したり、働くこと、ご縁の大切さなどを伝えることができています。それが今後の子どもたちの成長の糧にもなったらいいですね」(恵さん)

 
旬の果物を使ったおやつや食事も子どもたちとの会話が増えるきっかけに
▲旬の果物を使ったおやつや食事も子どもたちとの会話が増えるきっかけに
 
どんな仕事にも苦楽がありますが、自然相手の農業は一筋縄ではいかないからこそ、ふたりが大切にしている「FUN・LOVE・SMILE」の心持ちが生きてくるのかもしれません。無理をせず自然体で取り組む「信州やまざき農園」の農業は、食べる人はもちろん、家族にも地域にも幸せと笑顔をもたらしています。
 

(2024/09/17掲載)

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会える場所 信州やまざき農園
長野市若穂綿内6920
電話
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メールアドレス info@yamazaki-noen.com

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