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No.356

金子

智美さん

アイスホッケー レフェリー

頑張る女性レフェリーが
長野にもいるとアピールしたい

文・写真 坂西孝美

2014年、日本代表“スマイルジャパン”のソチ五輪出場を機に注目を浴びた女子アイスホッケー。日本の競技人口は多いとは言えませんが、金子さんは1998年長野五輪に先駆けて競技を始め、その魅力にはまった一人です。以来ずっと続けながら、レフェリーとしても活躍。国内の女性では数えるほどしかいなかった国際レフェリーとして、世界の舞台を経験したこともあります。

ジュニアチーム創設を機に

金子さんとアイスホッケーとの出合いは1988年(昭和63)、小学4年生のとき。長野市は冬季五輪招致運動のさなかにあり、市民も盛り上げようと担任の先生たちが創設した、男女混合のジュニアチームに入部したことがきっかけでした。

「当時は学校近くに『長野スケートセンター』があって、スケートの授業があったり、家族で滑りにいったりと、スケートは身近なスポーツでした。でも、アイスホッケーは未知の世界。それがこれほど続くとは…。よほど自分に合っているんだと思う。先生自身がアイスホッケーをやっていたことも大きかった」

中学生になると、女子が男子チームに混ざって全国大会に出ることはできません。当時市内にできたばかりの女子チーム「ポーラースターレッツ」に入り、以来チームの主力として活躍してきました。

アイスホッケーの審判員は、レフェリー(主審)が1~2名、ラインズマン2名の3~4人制(国際的には審判員の総称も「レフェリー」)。金子さんは、国際レフェリーとしてはラインズマン登録をしていたが、国内では主審を務めることも。きびきびとした動き、コールで試合運びを円滑にする

レフェリーの楽しさと 「選手としてもっと上へ」という思い

初めてレフェリーを経験したのは2003年(平成15)、長野市のリーグ戦でした。

「チームの分担でやらざるを得ないところからのスタートで、最初はルールブックを片手に動き方を教わりながら、とにかく経験を積んでいくという感じでした」

国内でアイスホッケーのレフェリーを目指す場合、専門の資格制度があるアジアリーグを除いては、自分が所属する都道府県連盟の評価によって、より高いレベルの試合派遣が可能になります。金子さんも経験を積むにつれレフェリーの楽しさを感じ始めましたが、半面、選手としての自分の可能性を試したいという思いも強くなっていきます。そのころ女性レフェリーといえば、全国大会で常に上位争いするようなチームのOGが多かったことも影響しました。

「彼女たちにはプレーヤーとして『やりきった』という思いがあった。でも、私には共有できるような全国大会の試合体験がない。それどころか『長野市にもチームあったんだ』と言われる悔しさもあり、選手として実績を積みたかった」

どんな形でも選手としての自分の力を試したい――金子さんの思いは、2005年、06年に軽井沢チームの補強選手として全国大会に出場することで実現します。「選手としてそれだけできるなら、レフェリーでも上を目指せる」という声も聞こえてきましたが、当時はまだ心に響きませんでした。

市内の女子チーム「ポーラースターレッツ」でプレーヤーとしても活躍中。ポジションはずっとDF

2011女子世界選手権でデビュー

その後も選手とレフェリーの両立は続きますが、選手としての成長以上にレフェリーとしての評価が上がり、2010年(平成22)、ついに国際レフェリーに登録を果たします。翌11年にはオーストラリアで行われた女子世界選手権(ディビジョンⅢ※)で、初めて世界の舞台に立ちました。

「私の国際レフェリーデビュー戦は、大会開幕戦。地元オーストラリアの試合ということもあり会場は満員、その盛り上がりようはさすが“世界”でした。印象的だったのは、観客の人たちが選手だけでなくレフェリーも称えてくれること。試合後に『さっきの試合を担当してくれたレフェリーだよね? グッジョブ!』と声をかけられたのはうれしかった」

外国人のレフェリーたちとコミュニケーションは―? と聞くと、「海外には遊びに行った程度で、英語は…」と苦笑い。

「でもルールは世界共通だし、試合前に確認することも日本と何も変わらない。携帯電話を片手に翻訳したり、リンクの絵をノートに描いて説明したりして意志疎通を図りました」

相手が初対面であれ外国人であれ、臆することなく接するところが金子さんらしさ。世界選手権には国際アイスホッケー連盟(IIHF)がレフェリースーパーバイザーを派遣し、レフェリーの評価を行いますが、金子さんには「語学力は十分ではないが、コミュニケーション能力が高い」という評価がありました。

「それも子どものころからアイスホッケーをやっていたからこそ。学校の部活動よりずっと幅広い年代の先輩・後輩たちと交流しながら、自然と身についたんだと思います」

※アイスホッケー女子世界選手権はトップディビジョン以下、ディビジョンⅠ、Ⅱ…とクラスごとに競技を行う。

2013年女子世界選手権フランス大会の公式パック。レフェリーを担当した試合で使ったものを記念にいただいた。右はレフェリー用に常に携帯しているルールブック

「ホッケーに多くのことを教わった」

国際レフェリーとして2011年のデビュー後、12年韓国(Div.Ⅱ)、13年フランス(Div.Ⅰ)、15年中国(Div.Ⅰ)と女子世界選手権に派遣。結婚し家庭を持った今は、レフェリー登録を国内にとどめていますが、国内ではこれまで既に、地域の大会から全国大会、国体まで、男女を問わずあらゆる試合でレフェリーを経験してきました。

「海外で度胸はついたけど、どんな大会も怖くないなんてことはないんです。自分が正しいと思ったジャッジでも批判されたり、間違えば試合の行方を左右することも。そんなつらさもあるだけに、後輩の育成には難しさも感じます。ある意味、私は物好きなのかもしれない」

それでもレフェリーを続けていきたいと思う、最大の理由は「自分にとってプラスになる」から。

「楽しいのはもちろん、国内外に貴重な人間関係が築けたり、コミュニケーションのしかたを学んだり、一歩踏み込まなければ経験できない世界が広がっていることを知りました。国内でも各地域に頑張っているレフェリー仲間はたくさんいるし、長野にもそんな女性レフェリーがいるんだとアピールしたい」

プレーヤーもやっぱり続けていきたい、と金子さん。「アイスホッケーに教わったことがいっぱいあるから」。かつて五輪に沸いた長野の地を見渡せば、アイスホッケーの尽きない魅力にとりこになった人たちがたくさんいるのです。

国内外に心強いレフェリー仲間がいる(写真は2013女子世界選手権フランス大会、金子さん提供)。2013年、金子さんの結婚式には海外のレフェリー仲間からSNSでビデオメッセージが届くといううれしいサプライズも

(2017/01/25掲載)

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