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No.336

宮下

英子さん

長野市人権擁護委員/ガールスカウト長野30団団委員長

戸隠の自然をこよなく愛す
不屈のキャリア・ウーマン

文・写真 みやがわゆき

戸隠の名物おばあさん

その肩書きはどうあれ、長野市内でこの人ほど幅広い分野で活躍し、多彩な趣味を持つ女性はそういないのではないかと思うほど、さまざまな顔を持つ宮下英子さん(以下、英子さん)。あるときは、戸隠森林植物園のボランティアガイド、あるときは、お孫さんの保育園の送り迎えをする優しいお婆ちゃん、またあるときは、地元戸隠小のコーラスサークルのメゾソプラノとして。豊かな知識と人脈を持ち、多くの人から「宮下先生」とも慕われる“戸隠の名物おばあさん”は、各所で“女性初”を経験してきた時代の先駆者でもあります。

英子さんは上水内郡信濃町出身。長野西高校を卒業後、信州大学教育学部に入学。その後、女子学生として初めて地質学を専攻します。今でこそ理系女子=「リケジョ」がもてはやされる時代ですが、地方都市長野の大学では、初めてのこと。同じ研究室の学生からは「女に地学を汚されたくない」と酷な言葉も浴びせられたとか。けれど、逆境にめげることなく、学生時代は長野の地質の魅力に没頭しました。

そして、卒業後、英子さんが結ばれたのは、そのとき、層位学(そういがく)への転入を反対した同級生の宮下忠さんでした。ご主人は高校、英子さんは小学校の教員として、ともに教員の道を進まれました。

8月、戸隠キャンプ場で行われた「ミセスウェストン祭」で歌う英子さん(前列右側)。2016年に10数年ぶりに活動を再開したガールスカウト長野30団の団委員長として。

駆け抜けた教員時代

新卒で山王小学校に赴任した英子さん。教員として忙しい日々を送りながら、
初めての妊娠・出産を経験します。「育休」という言葉もなかった当時、産後の休みはわずか8週間。毎朝、ほ乳瓶に一日分の母乳を搾って学校へ行き、夕方にはパンパンに張った胸を抱えて帰宅するという日々だったそうです。

4年後、柵小学校(旧戸隠村)に転任。担任として受け持った1年生を6年生で卒業させるまでの間に、第二子、第三子も誕生し、子育てと仕事の両立に奮闘しました。戸隠の大自然での生活にもすっかり慣れ、教員として10年のキャリアを積んだ頃、英子さんの人生は、だれもが想像しなかった方向へと向かうことになったのです。

きっかけは、当時の校長が伝えた一言でした。ある会議で発せられたという「宮下さん、また子ども産むんじゃあるめえ……」。明らかに女性蔑視の発言に、英子さんの堪忍袋の緒はぷつりと切れました。そして、「じゃあ、私辞めます」と、6年生の卒業と同時に、自ら教員生活に終止符を打ったのです。

「辞めろ」と言われた訳ではないけれど、“子を産む”という理由で、疎まれたことが「許せなかった」と当時を振り返ります。

まだ、「セクハラ」という言葉もなかった時代ですが、英子さんが辞める決心をした翌年には、「育児休暇法」が制定されるなど、働く女性の地位が、社会的に向上しつつある時代でした。

教員時代のスナップ写真(上:山王小学校、下:柵小学校)※宮下英子さん提供

地域に寄り添い続けて

教員退職後、第四子を出産。子育てのかたわら、農協、戸隠公民館の社会教育委員、戸隠村地質化石館(現戸隠地質化石博物館)の補助員、戸隠地区のガールスカウトの団委員長など、人望が厚く、頼まれた仕事を断れない性格の英子さんは、さまざまな分野で活躍を続けます。

のちに長野県指定天然記念物となった「シンシュウゾウの下顎化石」の発掘を中心となって進めたのも、英子さんでした。長野県で“女性初”の候補者として村長選に担ぎ出され、選挙戦を経験したこともありました。

子どもが好きで、子宝に恵まれた英子さんですが、実際の子育ては決して思い通りではありませんでした。感受性の豊かな第四子が中学1年生のとき、友人関係のトラブルからか登校拒否をして部屋に引きこもり、出てこない日々が何日も続いたことがありました。心を閉ざした我が子に向き合うのが辛く、「死にたい」と思ったこともあったと振り返ります。

まさに「波乱万丈」の人生を経験してきた英子さん。古希を超えた今なお現役で、地域の人権擁護や社会教育に携わるパワーの原点にあるのは、自身が経験した苦しい経験と、弱い立場への理解、そして何より、戸隠を愛する心だと筆者は感じました。

現在、戸隠連峰がよく見える場所に建つ家で、外国人女性と結婚した二男家族と3世代で暮らしています。国籍も文化も異なるお嫁さんに、戸惑うことはありますが、「他者を受け入れること」こそが、英子さんのライフワークである人権教育の基本。

「彼女と暮らすことで、本当にいろいろなことを教えられる」と、しみじみと語る英子さん。生涯現役の生徒であり、先生です。

上:戸隠村公民館時代に作った人権学習の教材。「扉の向こうへ」というテーマソングを自ら作詞した。 下:趣味で描いている草花のスケッチ(絵手紙)の作品は100点以上。ギャラリーで作品展を開いたこともある。

(2016/08/17掲載)

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