No.292
浦野
孝三さん
小玉屋染物店
独特の風合いとデザインを彩る
この道56年の熟練染職人
文・写真 島田浩美/阿部宣彦
長野市に唯一残った「小玉屋」で、染色の技術を今に伝える
街を歩くと、そば屋の軒先やビルの壁面など、そこここに色鮮やかな暖簾(のれん)や垂れ幕を見かけます。また、最近は多様な用途で使われるデザイン性豊かな手ぬぐいも多く見かけるようになりました。長野市でこうしたさまざまな布の染色を手がけているのが、善光寺近くの岩石町(がんせきちょう)に仕事場「小玉屋染物店」を構え、この道56年となる浦野孝三さんです。
「昔は長野市内に『小玉屋』という染物屋が何軒もあって、うちは千歳町にあった『小玉屋』に父が丁稚奉公に行って暖簾分けで始めた店でした。でも今はみんな辞めてしまって、『小玉屋』はうちだけになってしまいましたね。市内の染物屋自体も、うちのほかには2軒ほどしかないんですよ」
岩石町の路地裏にある「小玉屋染物店」。門前界隈の店舗の暖簾などだけでなく、善光寺をはじめとする寺社仏閣の染物も多く手がけている
そう話す浦野さんの仕事場の中を覗くと、街なかで見たことがある暖簾や手ぬぐいの型紙がずらり。「この店の暖簾や、この作家の手ぬぐいまで!?」と驚くほどです。なかには、長野市内各町の祭り用法被(はっぴ)の型紙もいくつもあります。
特に今年は稲荷神社の旗を何本か納品したのを皮切りに、善光寺御開帳に向けて門前のさまざまな店が暖簾を新調しようと仕事が入って忙しかったという浦野さん。その流れは現在まで続き、「反動で来年はひまになるかもね」と笑いますが、取材中も依頼の電話が鳴り響きます。
店舗の奥にある仕事場。天井からかかる大半の型紙は、原寸大の下絵から浦野さんがカッターを使って切り出したもので(細かい図案の場合はプロッターでカット)、木枠も含めて全て手作りだ
反応染めにかけた職人の心意気
そもそも浦野さんがこの道に入ったのは高校生の時。中学1年の時に父親を亡くし、母親が一人で染物を続けていたため、中学を卒業すると定時制高校に進学して、日中は家業を手伝って仕事を覚えていきました。
「当時は着物の染めがほとんどでした。染め方は母親に教わったり、本家の『小玉屋』に行って指導をしてもらったり。でも、当時の私は、何かあれば映画を観に行ったり、音楽に夢中になったりと、ほとんど遊んでいましたね。その頃から一生懸命に仕事をしていれば、もっと職人として成長していたかもね(笑)」
本腰を入れたのは二十歳すぎ。結婚をして3人の息子にも恵まれ、養っていくために職人としての自覚が芽生えてきました。
色見本をもとに染料粉を量る浦野さん。これをお湯と混ぜ、さらに粘着性を出すために海藻でできた粉を加えて染料をつくる。水っぽいと染料が布に染み込みすぎ、粘着力が強いと布の裏まで染料が染み渡らないので、ちょうどよい加減が大切
「当時はバブル景気で、着物がよく売れたんです。それに着物の染め替えも多くて、1日に300反も依頼が入るほどでした。家族だけでは間に合わないから、女房の友だちもよんで仮縫いを解く簡単な作業を手伝ってもらったり。それでも、取引先の会長は頭が切れて厳しい人だったから、細かい部分まできちんとやらなければと鍛えられたよね」
「染め替え」とは、昔の着物を解いて反物に戻し、色を抜いて染め直したあとに仕立て直す方法。仕事は長野県に限らず、染め物や洗い張りの取次を行う「悉皆屋(しっかいや)」を介して、京都の専門店へと注文を出したりもしました。
しかし、1990年代初頭にバブルが崩壊すると、着物の売れ行きは下火に。
染料を含ませた刷毛でムラにならないように何度も均一に重ね塗りをし、裏側も丁寧に染め上げていく。文字や模様など白抜きにしたい部分は、染料が染み込まないよう糊が塗られている
それでも「なんとかこの仕事で食べていかねばならない」といろいろな人からアドバイスを聞くうちに、浅草の染料屋から「反応染め」という特殊な染め方を勧められます。これは布の上で反応性染料に苛性ソーダなどのアルカリ剤を添加して化学反応を起こし、染料を布に固着(反応)させる方法。反応性染料は綿やレーヨンを染めるのにもっとも利用されている染料で、鮮やかな色からくすんだ色まで多彩な色を表現でき、化学結合して染着するので耐久性にも優れているという利点があります。
「染料屋の話を聞くと、作業は手間がかかって面倒くさいけれど、これはやらないともったいないと思ったんです。それで、すぐに『反応染め』を始めました。これによって、やっと職人として格好がついた気がしましたね。職人のなかには受注してから別の職人に送って染めてもらう人もいるけれど、それでは結局、商売になってしまう。職人じゃないよね」
染料を塗った後にアルカリ剤(苛性ソーダ)を刷毛で塗り、染料が固着するように翌日まで乾かす。なお、暖簾を染める作業は室温が高かったり乾燥していると先に塗った部分が乾いてムラになってしまうため、気温が安定している早朝にやることが多いそう
常に研究の姿勢を忘れず、反応染めの技術を未来へ
現在、この「反応染め」を長野市内で手がけているのは、浦野さんだけ。そうした技術面の強みに加え、浦野さんには何より、職人としての誇りがあります。
「反応染めはアルカリ材で色を染め、すぐに水洗いをしなければいけないんですが、水に入れる時間が長いと、今度は白地部分に色が移ってしまう。失敗したもののなかには一見わからないものもあって、『この程度なら大丈夫だよ』と言う人もいるかもしれないけど、それをやったら職人としてお終いです。自分で満足したものでなければ絶対に納めないからこそ、今、多くの方に『小玉屋』を知ってもらえているのかな」
イメージとの色合わせも難しいそうで、色を決めるまでに依頼主のところに3回も足を運んで色を確かめてもらったこともあったとか。このように労力を惜しまずに妥協をしなかったからこそ「地元に根付いてずっとやって来れたんですね」と浦野さんは言います。
染色後は余分な染料やアルカリ剤を取り除くために水洗いをし、染めムラ等を防ぐためにソーピング剤(石鹸)をいれて熱湯で10~15分間煮沸する。手間がかかる作業だが「反応染めは、こっくりとしたいい色が出る」と浦野さん
近年、染物は海外の工場で大量に染めたり、インターネットでも気軽に注文ができるようになりました。しかし、海外のものは出来がよくないものが多く、インターネットは裏が白い片面染めの「プリント」が多いそうです。それに対して浦野さんの反応染めは1枚1枚が手染めなので、裏面まできれいに仕上がります。また、手ぬぐいには「注染(ちゅうせん)」という伝統的な型染めもありますが、細かい絵柄表現が難しいのに対し、反応染めはさまざまなデザインと色合いが表現できます。それでも、こうした特徴に甘んじず、浦野さんは常に意欲をもって仕事に取り組んでいます。
「いつも、もっといい色が出ないかと考えていますね。特に染料のなかにはムラになりやすい色があって、素人目にはわからないけれど、専門家が見ればムラがあるとわかってしまう。それに、まだまだ染料の使い方もあるかもしれないから、いつまでも研究していかなくちゃ。これだから、いつまで経っても暮らしが楽にならないや(笑)」
奥さんと二人三脚で歩んできた浦野さん。ふたりとも地域に長年根ざして仕事をしてきたため話題が豊富で、話していると時間を忘れてしまうほど
こう笑う浦野さんですが、これまでは必死に仕事を続けてきて、実は染めがおもしろいと思ったのは最近なのだそう。
「今まではとにかく食っていくために頑張ってきたけど、今は『こういう方法でこんな色を出してみよう』と、やっとやりがいを感じるようになりましたね。それに、自分で満足するものができることが一番うれしい。その分、いつも間違えないようにと気が抜けなくて、無事に納品してやっとひと安心です。こんな風に気が小さいから、いつまでも儲けることができないのかな(笑)」
そんな浦野さんは、現在、御年72歳。「先日も友だちと会ったら、みんな具合が悪いと話していたけど、こっちは倒れてられないよ。まだ若いつもり」と言いますが、そろそろ後継者についても考えているそうです。
「この技術を自分の代で絶やすのはもったいないし、去年あたりからまた仕事も増えているから、うまく息子たちに引き継げたらいいですね。でも、最近は裏面が白いプリント染めでも許されてしまう時代だからこそ、いい仕事をしないとお客さんが逃げちゃう。まずはいい仕事。まだまだこれからだね」
これまでに浦野さんが手がけた染物はさまざま。背中心で縫い合わせる法被は左右の後身頃を別々に染めるため、最終的に文字の線がきれいに重なるよう、縫い代部分も考慮しながら染める必要がある
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会える場所 | 小玉屋染物店 長野市長野岩石町230 電話 026-232-6629 |
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