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ナガラボはながのシティプロモーションの一環です

No.232

杉山

一真さん

ヘアサロンアルファ代表

長野のヘアサロン文化を築き
イベントから可能性を広げる

文・写真 島田浩美

この道41年、長野の美容業界を牽引

今やコンビニの約4倍もの数があるヘアサロン。長野市でも、年々新たなヘアサロンがオープンしています。そんな長野市の美容業界で長く存在感を示し続けてきたのが、現在、市内に5店舗を展開するヘアサロンアルファ代表・杉山一真さんです。

原宿の美容室に勤めて芸能人を相手に美容を手がけていた杉山さんが地元・長野に帰ってアルファをオープンしたのは1981年。28歳のときです。その理由は「人を育てたかったから」だといいます。

「原宿では店長を務めていたんですが、若手の教育方針で社長ともめて。社長が『お前の指導は厳しくて、みんな辞めてしまう』というんです。でも、俺は厳しい分、フォローもしていましたし、その指導を乗り越えれば絶対に力のあるやつが残って売上も上がると思っていました。実際、サロンの売上は3年間で倍になり、雑誌やテレビで特集されるほどになりました。でも、社長に認めてもらえないなら自分で開業しようと思ったんです」

そのとき、某美容雑誌の編集長から「これからは地方の時代だ」といわれたことがきっかけで帰郷を決意した杉山さん。長野市にアルファをオープンしたものの、しばらくは東京でのフリーの仕事も続けていました。しかし、次第に地方の仕事に集中しなければいけないと思い直したそうです。

「1年も経つと東京の仕事が少しずつ減ってきて、原宿にいたからこそもてはやされていたことに気付きました。そして、長野で人を育てることこそが自分の仕事だと思うようになったのです」

スタッフを雇い、人材育成に力を入れると売上は上昇。オープンして5年目には、顧問会計士に「長野市で一番成長率が高いトップ企業になった」といわれたそうです。

「考えてみれば、周りのことは全く気にはなりませんでしたね。とにかく『長野のヘア文化を創りたい』ということばかり考えていました。最初は受け入れてもらえないこともたくさんありましたが、長野がおもしろくなってきましたね」

人材育成に力を入れつつも、まだまだ現役美容師としてお客様のカットもしている杉山さん。原宿時代から通っているファンもいるそう

「成功したい」強い思いから業界トップ美容師に

そもそも杉山さんが美容室を目指したきっかけは、高校受験に失敗し、野球に明け暮れた中学卒業を機に髪を伸ばそうと美容室に行ったらパンチパーマをかけられ、髪型でも失敗したというダブルの失敗経験が起因しているそう。

「田舎での受験の失敗は、みじめなもんです。そのとき『なぐさめられる人生は嫌だ。いつか成功したい』と決意しました。それなのに美容室でも失敗され、毎日髪型を直しに行っていたら、そこの美容師さんから『あなたはこだわりを持っているから美容師になったら? これからは男性美容師が世界で活躍できる時代だよ』と言われたんです。当時、長野には男性の美容師は全くいませんでした。母からは『苦労する』と反対されましたが、直感で『人がやらないことをやらないとダメだ。そこにチャンスがある』と思ったのです」

東京の美容専門学校に進み、好成績で卒業。校長先生に「日本のトップレベルの男性美容師のもとで学びたい」と願い出て、紹介を受けたヘアサロンで「海外に行かせてもらえる」という条件のもと就職しました。「とにかく最短距離で成功するにはどうしたらよいか」その一心でした。
ある日、フランス出張で初めて外国人の髪に触れ、全くうまくいかずに恥をかいた杉山さん。帰国後、世界のコンクール出場を見据え、外国人モデルを使って深夜まで猛練習を始めます。少ない給料を月2~3回行われるコンクールに費やし、日本代表となって世界大会にも出場するようになりました。

杉山さんが働く「Alpha PIA」は、長野駅近く「南千歳町」信号角のビル4階にある。同じフロアには、アルファ独自の新人ヘアデザイナー教育機関「AHA」も併設

長野にヘアショーの文化を

順調な美容師人生を歩んできた杉山さんですが、アルファをオープンしてすぐは思うようにいかなかったそうです。

「スタッフを雇いたくても、長野では全く応募がない。これでは人を育てられないと思い、それならカット講習を行おうと『原宿からこんにちは』というキャッチフレーズで新聞広告を出したら、周囲からは冷めた目で受け止められました。それでも遠方の美容師さんが来てくれたことで、次第に評判が広がりました。『アルファに行けば本物の美容師になれる』と感じてもらいたくて、ヘアショーもオープン2年目から開催しています。よい社員を育成すれば、余計な宣伝をしなくてもお客様は来ると信じていました」

ヘアショーでは初年度に70~80人しか集まらなかった観客も10年ほどで7~8倍に増え、スタッフも50人以上になったといいます。さらに、アルファから独立起業したスタッフは40人以上。孫がいる人までいるそうです。

「当然、彼らはアルファのライバル店となりますが、仕方がないですよね。彼らからは『杉山さんはこれまでよい思いをしたんだから、あきらめてください』と言われています。それなら、もう少し儲けておけばよかったかな(笑)」

これまでにアルファが開催したヘアショーは25回以上。長野の美容文化の発展をリードしてきた。(写真は2012年に行われた「irofes.ZENKOJI」)

「ナガコレ」に思いを馳せて

そんな杉山さんが今、力を注いでいるのが、5月5日にセントラルスクゥエアで開催されるイベント「ナガノコレクション HAIR ART KIMONO 2015」、略して「ナガコレ」です。県内50店以上の美容師が集い、総勢100名のモデルが門前町を着物とヘアショーで華やかに彩ります。杉山さんは、美容師に加え、美容学校、呉服店などでつくる実行員会の代表も務めています。

ナガコレ開催のきっかけは、2012年に日本ヘアカラー協会長野ブロックが善光寺で開催した「irofes.ZENKOJI」。2000人以上の観客が来場し、各方面から高い評価を受けました。そこで3年間かけて各方面からの協力を得て、ナガコレの開催へとたどり着きました。

「僕が原宿にいたときにラフォーレ原宿ができ、館長や地元美容師、ファッション関係者が中心となって、当時古い下町だった竹下通りの活性化のためにタケノコ族を歩かせたんです。その結果、急激に街が変わって、仕掛けのおもしろさを実感しました。ナガコレでも、若い美容師たちからは同じエネルギーを感じます。そういう若者は応援したい。だから、今年は開催1年目なので僕が責任を持ち、この成功を将来につなげて若い人たちに引き継いでいきたいですね」

ナガコレには一人で店を営むオーナー美容師も何人も参加しています。これまで、ベテランから初心者までさまざまな美容師が一堂に会し、熟練した着付師や美容組合、着付師協会なども一緒になってひとつのイベントを作り上げていく企画は、長野にはありませんでした。

「この開催で、これまでショーに出たことがない若い美容師たちも経験を積み、次のステップになると思っています。とはいえ、美容師が呉服屋と同じ土俵に立ち、ファッションを主体としていろいろな人が関わっているので、毎日もめていますけどね(笑)。水と油をなんとか混ぜるようなものです。どうなるかな」

善光寺までまっすぐにのびる表参道に100人もの着物のモデルが練り歩く様子は想像するだけで圧巻ですが、このイベントには、それだけでは終わらない未来への希望も広がっています。

ナガコレには「長野県理容美容学園」の学生たちも出演する。リハーサルも念入りに行い、当日まで気合い十分!

(2015/05/01掲載)

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会える場所 ナガノコレクション HAIR ART KIMONO 2015
長野市問御所町1307 セントラルスクゥエア他
電話
ホームページ http://naganocollection.naganoblog.jp/
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