No.495
伊藤
誠さん、志保さん
フィンランドヴィンテージ雑貨と自家焙煎コーヒー「istut」主宰
フィンランドと長野はどこか似ている。故郷で始めた私たちの第2章
文・写真 石井 妙子
フィンランドの古いものと、おいしいコーヒー
出会いは12歳の時、長野市の柳町中学校。初デートは中3の春、今はなき善光寺門前の老舗「ティールーム藤屋」で。同級生の伊藤誠さん、志保さんは市内の同じ高校へ進み、卒業後は別の道を歩きながらも30代の時に東京で再会、結婚。時を経て2022年冬、35年を過ごした東京での暮らしを畳み、長野へと帰ってきました。
穏やかな空気が漂う二人の共通点は、おいしいものとお酒が大好きなこと、古いものを愛すること。くだんのティールーム藤屋も柱時計のある落ち着いた空間が好きで、大人になってからも帰省した時に何度か足を運んだといいます。
▲夫婦が愛するフィンランドのデザイナー、カイ・フランクのプロダクト(写真提供/istut)
二人が営む「istut(イストゥット)」は、フィンランドをテーマにした店舗を持たないショップです。扱う軸は雑貨と喫茶。北欧で買い付けたヴィンテージのテーブルウェアや布小物、自家焙煎コーヒーや自家製焼き菓子などを、オンラインストアや都内のイベントで販売しています。都内のショップに卸している特製シナモンロールも、コーヒーに合うと評判です。
「昔から北欧のデザインが好きで、家具や器を愛用していました。二人で色んな国を旅しましたが、フィンランドの古い家具や器、建築には不思議と心をつかまれて。それに、フィンランドはどことなく長野に似ている感じがするんです。向こうでよく目にする白樺は長野の県木だし、キノコやベリーを日常的に楽しむ暮らしも、長野と重なる。買い付けでフィンランドを訪れるたびに、“ただいま”という気持ちになるんですよね」
▲年2回開催される「東京蚤の市」には毎回出店(写真提供/istut)
▲istut特製シナモンロールは誠さんが担当。スパイスのカルダモンの皮を手で剥いてミルで挽き、生地に練り込んで焼き上げる丁寧な工程(写真提供/istut)
istutの始まりは2012年、東京で。荻窪の元とんかつ屋をリノベーションして、小さな店舗を構えました。一つの空間でカフェとヴィンテージ雑貨店を営み、地元の常連さんやフィンランドファンに支えられながら10年の月日を重ねました。
そして今、愛するフィンランドに空気が似た長野に場所を移し、istutの第2章が始まっています。
▲買い付けに訪れたフィンランドで(写真提供/istut)
バックパックの旅で決めたこと
30代までの会社員時代は、二人とも北欧とも飲食とも縁のない仕事。人に料理を振る舞うことが大好きで、週末は自宅で心づくしの料理とお酒で友人をもてなす「居酒屋しほ」が定番でした。
転機は40歳。いくつかの理由から二人そろって会社を辞め、バックパックで世界一周の旅に出ます。これからの二人の人生を、じっくり考える時間でもありました。
「現地のアパートメントを借りて、市場やスーパーで食材を買ってきて自炊して。昼間は街を散歩したり疲れたら昼寝をしたり、その街に暮らすような旅でした」
行く先々で立ち寄ったのが、地元の人が通うような気取らないカフェと立ち飲み酒場。現地のおしゃべりを聞きながらコーヒーを味わい、にぎやかなバルでビールを楽しむ。それぞれ色が違う多様な空間の心地よさを知るうち、ぼんやりと抱いていた「いつか飲食店を開きたい」という夢が、輪郭を持つようになりました。
▲「こんな空間を作りたい」と二人の原点になったフィンランドのカフェ(写真提供/istut)
9か月の旅を終えて東京に戻った二人は、修業のため飲食店でアルバイトを始めます。志保さんはスペインバルと純喫茶で、誠さんは意外にも焼き鳥店で。
「当時はお酒を呑める店を開くかカフェを始めるか、決めあぐねていたんです。見習い修業をした焼き鳥屋さんは昔からよく通っていたお店。安くておいしくて、何より店の人の顔が見えるから会いに行きたくなる。そういうお店を自分たちも作りたいと思って」
▲取材時、誠さんが淹れてくれたコーヒーは気持ちが落ち着く味。添えてくれたカルダモンサブレも美味!
2年の修業を経て決めたのは、愛するフィンランドのメニューやインテリアを取り入れたカフェとヴィンテージ雑貨の店を開くこと。開業前にフィンランド、スウェーデン、デンマークへ7週間、買い付けの旅へ出かけました。
フィンランドのプロダクトには、簡潔な美しさと古びない魅力があります。「いかにそれが庶民の暮らしの中で使いやすいか、心豊かな気持ちになれるか、長く愛し続けられるかに焦点を当てたデザイナーの想いが、その裏に流れていると思う」と志保さん。
現地でいくつものカフェを巡り、北欧のコーヒー文化を改めて学んだ二人。フィンランドは1人あたりのコーヒー消費量が世界トップクラスで、一日5杯6杯は当たり前。仕事中のコーヒー休憩が雇用契約に入っていて、午前と午後にそれぞれ確保されているそう。コーヒーのお供は、シナモンロールや「ムンッキ」と呼ばれるカルダモン入りドーナツ。そのスタイルを踏襲しようと、オリジナルのレシピを研究しました。
▲長野の厨房でコーヒーを淹れる誠さん。豆の焙煎も手がけています
フィンランド、長野、荻窪のあれこれを混ぜ合わせて
2012年、東京・荻窪の商店街にistutをオープン。フィンランド語で「座る」を意味する店名には、ゆっくりくつろいでほしいという思いが込められています。北欧デザインを中心に一脚一脚違う椅子を並べ、テーブルウェアやアートも眺めて楽しめる空間にしつらえました。
▲東京で営んでいた二人のお店「istut」。大きな窓からの光がヴィンテージ雑貨をやさしく照らします(写真提供/istut)
▲フィンランドで買い付けの旅の様子(写真提供/istut)
コーヒーとシナモンロール、ムンッキは誠さんが、料理とスイーツは志保さんが担当。メニューはフィンランドにこだわらず、各国を巡っておいしかった料理を再現しながら、日本人が親しみやすいスタンダードなメニューを揃えました。
「フィンランド好きの人でなくても気軽に通える店にしたかったんです。『ここは居心地がいいの』と通ってくださる常連さんや、毎日うちまで30分歩くことを日課にしているおばあちゃんもいらっしゃいました。カフェというと女性客をイメージするかもしれませんが、男性のお一人様も多かったんですよ」
▲東京の店舗で。主に誠さんがホール、志保さんがキッチンを担当(写真提供/istut)
フィンランド料理や北欧雑貨をテーマにしたイベントも開き、フィンランド文化に触れられる店としても認知されていきました。北欧デザインは当時から人気でしたが、現地の文化や料理に触れられる場は、都内でも珍しかったのです。都内の骨董市にも毎月出店し、北欧ヴィンテージ雑貨の対面販売も行うようになりました。
長野の食材もメニューに取り入れました。小布施名物の栗落雁をコーヒーに添えたり、長野市から取り寄せたリンゴで作ったデザートを提供したり。八ヶ岳産の色鮮やかなルバーブはジャムにして、フィンランドの伝統的な冬のお菓子「セムラ」を作りました。長野の郷土玩具・鳩車とフィンランドのガラス製品を組み合わせて、二人らしい展示を開催したことも。
「リンゴのコンポートや真っ赤なルバーブジャムは、当店の人気商品でした。振り返れば当時から長野とつながっている感覚があったから、長野でもistutを続けられると思えた気がします」
▲東京時代の冬の北欧メニュー「セムラ」。中に挟むルバーブジャムがおいしいと大人気でした。ジャムは現在も北欧イベントなどで販売しています(写真提供/istut)
▲信州人になじみ深い鳩車とフィンランドのガラスのプロダクトを組み合わせて展示したイベント(写真提供/istut)
二人で店を切り盛りすることは楽しいことばかりでなく、言葉にできない苦労も多かったでしょう。けれど入れ替わりが激しい東京の街で10年。多くの人に愛された日々は、今も二人の背骨になっています。
移住=前向きなスタート、ではなかった
2020年。世界を大きく変えたコロナ禍は、二人にとって二度目の転機になりました。
営業時間と席数を減らし、慣れないテイクアウト営業に苦戦。先の見えない状況に不安ばかり募る日々で、次第に志保さんは心身の調子を崩すようになります。ペースを落としながら営業を続けましたが、コロナ禍に入って1年が過ぎた頃、心と体は限界に。
「私たちも50代を迎えて、いつまでも気力を保てなかった。当然、お金の不安も大きかったです。誰が悪いわけではないけれど、飲食店を応援するムードも1年経つとだんだん薄れて、それも正直きつかった。
振り返れば、istutを始めて10年になろうとしていました。自分たちの状況をじっくり考えて、お店を閉じることで区切りをつけようと考えるようになったのです」
▲長野の仕事場に大切に飾られていた、フィンランドの風景を切り取った写真と白樺のかご
店を閉じることは、すなわち東京を離れるということ。店舗と住まい、高額の家賃を二重に抱えて先の見えないコロナ禍をくぐり抜けることは、どうしてもイメージできなかったのです。
東京を離れてどこへ行こうか。自然と浮かんだのが故郷の長野市でした。
「愛着があるし、一人暮らしをしていた誠さんのお母さんも心配でしたから。とはいえ気力も体力も切羽詰まっていた当時、前向きに長野移住を選んだとは言えません。拠点がある安心感から選んだのが本音。私たちとしては、“負けて東京から撤退する”感覚でした。
でも、なじみのお客様に伝えると『長野へ移住なんてうらやましい』『いい所ですよね』と、良い反応ばかりで。撤退どころか、戦略的な移住と捉えられることが多かったんです」
地方移住を決めた人にはしばしば羨望の眼差しが向けられますが、背景は人それぞれ。分かりやすい幸せの形からはみ出したようで、いたたまれない思いをした二人の複雑な気持ちが伝わってきました。
▲長野の仕事場でも北欧の古い椅子を愛用
移住を決めた根底には、「長野でもistutを続ける」という強い意志がありました。変化への不安に押しつぶされそうな二人にとって、istutを変わらず続けていくことが一筋の確かな光だったのでしょう。
「どんな形でも続けることが、長年お世話になったお客様への恩返しだと思いました。『お店がなくなっても応援します』と言ってくださる言葉に応えなきゃ、と」
▲仕事場の壁には友人のアーティスト、田中栄子さんが二人の旅立ちに贈ったistutの新パッケージの原画が飾られていました
東京との絆、長野での挑戦
2022年に長野市に移住し、istutを再始動。コロナ禍真っ只中、まして35年ぶりの帰郷で浦島太郎状態の二人は店舗を構えることはもとより考えず、オンラインストアと出張販売に軸を置くことに。誠さんの実家の一部を改装し、コーヒー豆の焙煎や菓子製造ができる厨房をしつらえました。
移住を後押しした一つが、新幹線ですぐ東京へ行ける利便性。今も毎月東京に通い、骨董市に出店したり、人気ショップにシナモンロールを卸したり。北欧をテーマにした都内のイベントに出店することもあります。そんな時、東京時代のお客様が顔を見せてくれることが望外に嬉しい、と二人は口元をほころばせます。
「今でもお客様の9割は東京時代からの方です。想像以上に私たちを覚えていてくれて、会いに来てくださることが嬉しい。感謝しかありません」
つながり続けているのは物理的な距離だけでなく、誠さんと志保さんが10年かけて築いたistutの価値がもたらすものなのでしょう。人生の半分以上を過ごし、気の置けない友人も多い東京は、二人にとって今も変わらず大切な場所です。
▲実家の一室を改装した厨房で(写真提供/istut)
長野ならではの新しい試みも始めています。地元の果物で作るジャムやお菓子のラインナップを広げるほか、昨夏は都内のショップに新鮮なワッサーをどっさり持ち込み、生で味わってもらうイベントを開催しました。
「これまでistutが築いてきたものに長野の魅力が合わさって、相乗効果が生まれている気がします。移住して改めて感じることですが、“長野ブランド”は東京ですごく人気が高い。ただ松本や白馬ではなく長野市となると、どんな街か意外と知られていないんだなと感じることもあります。私たちなりの方法で、東京の人やフィンランドファンに長野市や北信地域の魅力を伝えていけたら。そのためにも、長野でも活動の幅を広げていきたい」
▲長野市の農園で仕入れたワッサーを販売するイベント「生のワッサーをかじろう!」を都内のショップで開催(写真提供/istut)
長野での活動を広げあぐねている理由はいくつかあります。長野と東京で出店イベントの日程が重なりがちなこと、東京と同じ価格設定が難しいこと、地方都市ゆえフィンランドというニッチなコンセプトへの反応が薄いこと。
でも志保さんが、こんなことを話してくれました。「長野市の人は、フィンランド人と気性が近い気がするんです。人と距離を縮めるまでに時間をかけたり、少しシャイだけど親しくなると性根は優しかったりね」。
istut第2章長野編は、まだ始まったばかり。これからどんな風に地域と溶け合っていくのか、とても楽しみです。
大人になって分かる長野のよさ
東京時代は1日のほとんどを店舗で過ごし、「とにかく忙しくて、体がきつかった」と振り返る二人。店で提供するドレッシングやシロップに至るまで手作りにこだわっていたため仕込み時間も長く、ほぼ休めない日々が続いたそう。貴重な休日も結局仕事に追われたり、疲れ果てて眠って終わったり。「やりたくて始めたお店ですが、理想と現実のギャップは大きかったです」。
店舗を持たない現在のスタイルに変えてからは、働く時間を自分たちのペースで決めています。早朝に仕事を始め、午後3時に終えることも。
「東京では常に時間に追われていましたが、今は一つひとつの仕事に丁寧に取り組めています。疲れたら休む。シンプルに、体に正直に働けていますね。もっと若かったらこのスタイルを選んだか分からないけれど、私たちにとっては良いライフチェンジでした」
▲結婚23年目。今も仲睦まじい二人
暮らしに意識を向けるようになった長野での日々は、多くの発見をくれました。朝は鳥のさえずりで目覚めること、思い立ったらすぐ行ける温泉の素晴らしさ、水のおいしさ。直売所で手に入る野菜や果物、山菜の味わい深さ。蕎麦好きの二人にとって、お気に入りの蕎麦屋をローテーションするランチタイムは至福の時間です。istutのインスタグラムには、「#蕎麦活」のハッシュタグとともにおいしそうな写真がずらりと。
「18歳までは長野を出たくてしょうがなかったけれど、今となってはなんて贅沢なことを言っていたのかしらって。色々な経験を経た今だから、長野の良さを感じます。一方で、外から見て改めて気づく東京の魅力や、何気なく過ごしたあの頃を尊く思うこともある。例えば美術館や映画館の文化的な刺激は東京だから得られたものだし、歩いて行ける距離にたくさんあったおいしい居酒屋も恋しい(笑)。
かといって、もう一度東京で暮らしたいとは思わないんです。今は距離をとりながら、うまく付き合っていきたい。そう思えるのも、新幹線でつながっているこの街に暮らしているからなのかな」
▲長野での二人(写真提供/istut)
「これさえあればいい」が分かった
長野で選んだ住まいは、見晴らしの良い古い団地。「遠くに山がすこーんと抜けて見えた」のが決め手でした。
「建物も道具も、長く大事に使われてきたものに愛着を感じます。次々に無機質なビルに建て替えられていく東京の街に息苦しさを感じたこともあったけど、長野はなんだか暮らしやすい。時間の流れもゆっくりに感じられます」
▲ゆったりとした間取りの団地暮らし。北欧のプロダクトやアートが和室になじんでいます(写真提供/istut)
念願の猫との暮らしも、長野で叶えることができました。東京はペット可物件の賃料が高く、仕事で留守にする時間も長いことから諦めてきましたが、長野の団地はペットOK。伊藤家に大切な家族が加わり、穏やかな日々を過ごしています。
「長野に暮らしてから、物質的ではなく精神的に豊かな気持ちになることが増えました。例えば近所のサイゼリアでワインを飲んだ帰り道、夜空にネオンじゃなく星が見えた!と小さな喜びを見つけたりだとか。“足るを知る”というのかな。あれもこれもなきゃいけないじゃなく、これさえあればいいと思えるものを見つけられた気がします」
一度はこの移住を「撤退」と表現した二人。でも踏み出してみれば、心と体に合う新しい生き方を見つけることができた。東京で実直にやりたいことに向き合い、人とのつながりを大切にしてきた経験が、場所が変わっても二人を支えているのだと思います。
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会える場所 | Istut(イストゥット) 電話 ホームページ https://lit.link/istut オンラインストア https://istut.shop-pro.jp/ |
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