No.489
笠井
茂真さん・彩夏さん
spice & herb AYA CURRY(アヤカレー)・クラフトジン蒸留所「oto.no.ka(オトノカ)」(2025年開業予定)
地域の資源と素材でつくる、妻のカレーと夫のクラフトジン
文・写真 島田 浩美
緑豊かな長野市中条のなかでも、さらに山深い日下野地区。小さな集落で廃校となった「日下野小学校」の木造体育館は、長らく音楽ホール「中条音楽堂」として愛されてきましたが、2022年3月に惜しまれつつ閉鎖しました。そして、2023年5月、スパイスカレー店「spice & herb AYA CURRY」として新たなスタートを切ったのです。店に立つ笠井茂真さんは、まさにこの地域で生まれ育った地元出身者。妻の彩夏さんとともに、2025年にはクラフトジンの蒸留所「oto.no.ka」も開業すべく、奮闘中です。
山あいの旧音楽堂に復活した、やさしい味わいのスパイスカレー
長野市街地から中条方面へと進み、県道31号線の「中条トンネル」の先から山道を約4km。やや不安になるほどクネクネと坂道を上って下りて、ふと視界が開けた先に見えてくるのが、かつて校庭だった草原と木造の「spice & herb AYA CURRY」の建物です。
笑顔で迎えてくれるのが、笠井茂真さんと彩夏さん夫妻。長年連れ添った夫婦は顔が似てくるといわれますが、ふたりは「付き合いはじめた当初から兄妹と間違えられた」と話すほど、まとう雰囲気も含めて“似た者夫婦”。そんなふたりが“カレー”と“クラフトジン”という、スパイスやハーブを使う共通点のあるものにそれぞれ惹かれていったのも、必然だったのかも知れません。
「AYA CURRY」はその名の通り、彩夏さんが料理を担当。地元の食材や有機素材を多用し、和食の要素も取り入れたオリジナルのスパイスカレーは、食べ疲れず胃もたれしないやさしい味わいが評判です。カレー好きはもちろん、自然派の料理好きからや小さな子ども連れ、地元の高齢客まで、幅広い客層が訪れ、その年齢幅は、なんと0歳から90歳代までだとか! ほどよいスパイスはまるで薬膳料理のようで、年配の人もぺろりと食べてしまうそう。
「もともと学校なので子どもが遊び回れる広さがある分、ファミリー層も多いですし、以前のお店からのお客さんもたくさん来てくれてありがたいですね」(彩夏さん)
こう話す通り、実は彩夏さん、2018年まで5年間、長野駅近くで「AYA CURRY」を営業していた経緯があります。その第一幕を閉じ、旧「中条音楽堂」でファン待望の復活。その背景には、茂真さんの酒造りの夢がありました。
ウイスキーに魅せられ、ワイナリーに影響され、自分の酒造りへ
現在、「AYA CURRY」で接客とドリンクを担当する茂真さんは、父がまさに「日下野小学校(1978年閉校)」の卒業生で、閉校後、建物がしばらく保育園として使われていた際には姉が通っていたというほどの“地元民”です。
長野市内の居酒屋でのアルバイトから酒の面白さに魅了され、2006年にレストラン&ウエディング業でリニューアルした善光寺門前の「THE FUJIYA GOHONJIN」の立ち上げスタッフとして入社すると、ラウンジバーのバーテンダーに名乗りを上げました。そこで働くうちに、手間と時間をかけて造られ、「まるでゆっくりと“時を飲んでいるような”気持ちに包まれる」ウイスキーの虜になっていったと言います。
▲木樽での長期間熟成で琥珀色に変化し、複雑な香りや個性、味わいが深くなっていくウイスキー(写真提供:笠井茂真)
同時に、飲食店仲間や同業者の知り合いも増えました。当時、沖縄料理店で働いていた彩夏さんと出会ったのもこの頃です。次第に街なかの個人店に惹かれるようになったある日、市内でイタリア料理店「オステリア・ガット」を経営していた成澤篤人さんから誘われたのが、バー部門の拡充と店長職でした。こうして、2013年に同店に転職したことが大きな転機となりました。
▲「オステリア・ガット」店長時代の茂真さん(写真提供:笠井茂真)
当時、成澤さんは生まれ故郷の坂城町にワイナリーを設立しようと奔走中。その姿に刺激を受けた茂真さんは「自分も大好きなウイスキーを造ってみたい」と、都内のウイスキーセミナーやウイスキーフェスに参加するようになったのです。
2017年には、そうしたなかで知り合った福島県の「笹の川酒造株式会社/安積蒸留所」の山口哲蔵社長に「ウイスキー造りを学びたい」と猛プッシュ。同社は日本酒蔵の一角にウイスキー蒸留所を構える蔵元で、当初は「本当にうちでいいのか」と心配もされたようですが、時間をかけて話し合ううちに「最終的には社長がすごく面白がってくれました」(茂真さん)。
▲2017年には、善光寺門前でウイスキー蒸留所やユニークなパフォーマーなどを招いたイベント「Malt Lover2017」を企画。山口社長も、その参加者の一人だった
一方、彩夏さんは2013年に沖縄料理屋から独立し、長野市南石堂町で「AYA CURRY」を開店し、2014年に茂真さんと結婚。2018年に茂真さんが福島行きを決めた際は、店の営業を一区切りつけようという気持ちもあったようです。
「お酒造りは短期間で学べるものではないのだから、すぐに行ったほうがいいと思っていましたし、『AYA CURRY』はちょうど5年間営業したので、またやりたければどこかではじめればいい。福島についていくことに迷いはありませんでした」(彩夏さん)
好相性の「スパイスカレー ✕ クラフトジン」を地元に!
こうして2018年、夫婦で福島県へ移住。茂真さんは「笹の川酒造株式会社/安積蒸留所」で幅広く酒造りに携わりました。ところが2019年、さらなる転機が訪れます。知り合いを介し、イタリア人オーナーが飯山市で海外輸出専門のウイスキーやスピリッツ製造を手がける「飯山マウンテンファーム蒸溜所(きよかわ株式会社)」の立ち上げにあたり、製造責任者を探していると声がかかったのです。地元の長野県ですぐにウイスキー造りに携われるなら、と帰郷を決意しました。
「結果的に福島で酒造りを学んだのは1年間でしたが、日本酒造りから焼酎の蒸留、ウイスキーのブレンドや瓶詰めまで、さまざまな酒造りを学べました。今思い返しても、あれが1年間だったとは思えないほど濃厚な日々でしたね」(茂真さん)
▲ウイスキーは最終工程のブレンドを経て重層的な味わいが増し、完成度を高めていく(写真提供:笠井茂真)
ところで、近年は世界中でウイスキーブームが起こり、特にジャパニーズウイスキーの人気が急上昇していますが、それ以上に世界規模で存在感を増しつつあるのが、素材や製法にこだわって少量生産される個性豊かなクラフトジンです。日本でも独自のジンが誕生し、国内出荷量だけでなく、ほぼゼロだった輸出も急増。従来のオーソドックスなジンとは一線を画す、新ジャンルのスピリッツとして大きな注目を集めています。
茂真さんも「飯山マウンテンファーム蒸溜所」でウイスキーだけでなくクラフトジン製造にも携わるなかで、自由な素材選びで地域色を出すことができ、豊かな香りも生み出せる面白さに引き込まれていきました。決定打が、東京で開催されたジンフェスティバルです。
「今まで夫婦でお互いにつくっているものを気に留めていなかったんですが、クラフトジンの製造会社の出展者から使っている素材の話を聞いたら『この素材でカレーができるね』と言われて。そこでようやく『クラフトジンとカレーは完全に一致するな。それなら、ふたりで一緒に店ができるな』と思いました」(彩夏さん)
こうして「地元に根ざしたクラフトジンを造りたい」と考えていた茂真さんと彩夏さんの思いが重なり、紆余曲折を経て辿り着いたのが、2022年3月に閉鎖が決まった馴染みの場所「中条音楽堂」でした。永眠しつつあった地域の資源を自らの手で掘り起こそうと考えたのです。
▲かつてコンサートなどが行われていたホールの半分ほどのスペースを蒸留所に改修予定
▲学生時代にバンドを組み、このホールで練習していたという茂真さん。以前にグランドピアノが置いてあったステージには、現在、茂真さんのドラムが置かれている
ローカルな新拠点から生み出す、自由で楽しい味わいと空間
しかし、たとえ地元民であっても、公共施設の「中条音楽堂」を借りるのは一筋縄ではいきませんでした。当時管理していた住民自治協議会から話を聞き、2年ほどかけて行政と調整。広大な土地にかかる家賃や、面積に応じた大きな浄化槽の設置に伴う莫大な工事費など、県の補助金も申請しながら検討していきました。
「準備中は苦労も多く、何回もやめたくなって泣きました。『ここを借りるのは、もう無理だよ』って(笑)」(彩夏さん)
今だから笑い話ですが、その広さを考えると、相当な困難があったことが伺えます。それでも「ここから中条を盛り上げて見せるしかないね」と笑い合うふたりの笑顔が、今の充実感を物語っているようです。
▲「中条音楽堂」の待合スペースだった空間を生かした「AYA CURRY」。改修は友人大工の福田真享さんに依頼した。梁や柱はほぼ以前のままで、大きなテーブルは体育館のステージの木製ひな壇を活用。椅子も倉庫に眠っていたもの
▲カウンターは音楽堂に大量に残っていたベンチシートをリメイク。ペンダント照明もかつての水差しを再利用
蒸留所に先行してオープンした新生「AYA CURRY」は、5年前よりも進化系に。スパイスカレーを定食のように見立て、玄米ご飯に西山大豆の味噌を使った味噌汁風のダール(インドの豆の煮込み)がついた、和洋折衷ならぬ“和印折衷”スタイルです。
▲「3種のカレー フルコンボ」(1500円)。この日はチキン・海老のレモンココナッツ・ベジタブルマスタードの3種のカレーで、小皿には西山豆腐の冷奴にえのき茸のアチャール(インドのピクルス)をトッピング
▲玄米と味噌汁の組み合わせは、なんだか安心感を覚える。ドリンクは茂真さんが手がけるオリジナルのクラフトコーラ「しげこ」に山椒の実を加えた「季節のしげこ(700円)」
定食に添えられる3種のカレーは別々にご飯にかけても、混ぜ合わせても、副菜を絡めても、食べるごとに味に変化が生まれておいしい! 豊かな香りとほどよい刺激がふんわりと口に広がり、スパイシー加減が絶妙。また、味噌汁風のダールによって、懐かしさと新しさを感じさせる不思議な感覚にも包まれます。
「これだけスパイスカレーがブームでも、やはりスパイス=辛さだと思っている人が多いので、それだけではない風味や香りの魅力が伝わればいいなと思っています」(彩夏さん)
▲店内の一角に設けたオープンキッチン。棚にはスパイスの入った瓶がずらりと並ぶ
ちなみに、彩夏さんとスパイスカレーとの出合いは、2年間のオーストラリアでのワーキングホリデーを経て、帰国途中にアジアを一人旅した頃。インドで日本のものとは全く違うカレーを食べて驚いたと言います。とはいえ、その頃はカレー屋の開業は考えておらず、帰国後は長野市内の沖縄料理屋で働きました。そして、同店が移転し、跡地が空き店舗になったことで「なにかはじめたい」と思いついたのが、当時、市内になかった“スパイスカレーも食べられる飲み屋”でした。
すると、使うスパイスもスタイルも自由なスパイスカレーにどんどんのめり込み、激戦区・大阪で食べ歩くなど、独学で成長。今もまだまだ試行錯誤の連続だそうですが、夫婦二人三脚で躍進中です。
そして、蒸留所「oto.no.ka」でめざしているのは、西山大豆など地元産の素材や、地域で余っているはね出しの野菜や果物などを使ったクラフトジン造りです。
「『きよかわ(飯山マウンテンファーム蒸溜所)』では、余った日本酒をクラフトジンの素材として使えることを知り、もったいない精神も相まって、すごくいいなと思いました。現場で働いていたからこそわかった仕組みです。それに、豆の油脂分は香りを集める効果があることも学んだので、西山大豆を使って地域特性を感じさせるクラフトジンが造れたらいいですね」(茂真さん)
このほか、日本酒だけでなく、クラフトビールやワインなど県産の酒類をベースにした蒸留酒に、地域のボタニカル(香草や薬草類)を加えるなど、独創的なクラフトジンを思案中。蒸留の技術を駆使したノンアルコールや低アルコールなど、近年注目のジャンルの開拓も見据えています。
そのためにも、目下の目標は「AYA CURRY」の営業をしながら、蒸留施設を着実に整えていくこと。
「地域の方からは『AYA CURRY』のオープン前から『楽しみにしている』と声をかけてもらえましたし、開店後は年配の卒業生が来て懐かしんだり喜んだりしてくれ、地元の期待を感じています。今後は広いスペースをワークショップなどに貸し出すなど、空間を有効に使う方法も考えながら、私たちなりの場所づくりを叶え、建物を存続させていきたいですね」(彩夏さん)
▲8月3日(木)には店舗をもたないスパイスカレー店「トッキ」「gacha」とともに、「フルーツ✕スパイス」をテーマとした3店舗合同の3種あいがけカレーを提供するイベントを開催した
▲9月16日(土)には旧音楽堂のホールを生かし、沖縄出身のシンガーソングライター&スティールパン奏者による「ヤンバラー宮城 with 渡辺明応 – Tropical Live in NAGANO-」も開催予定
少子化の影響で、各地で増えつつある廃校施設。その貴重な資源が地元の若者によって再生され、新たな魅力や原動力となって未来につながれていくことは、地域の人々にとって、きっと大きな喜びでしょう。
クラフトマンシップが溢れる空間で味わう、自由で楽しいカレーとジン。スパイスは嗜好性が高いものだからこそ、組み合わせの可能性も、チャレンジングな夫婦のポテンシャルも、無限大に広がっているようです。
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会える場所 | spice & herb AYA CURRY 長野市中条日下野4792 電話 026-405-8048 ホームページ https://www.instagram.com/aya_curry/ 営業時間:11時~15時(14時30分L.O.) |
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