No.487
海野
原久さん
原寿鉄工
競技スキーから鉄工の世界へ。どんな依頼にも全力で応える「断らない鉄工職人」
文・写真 石井 妙子
元スキー選手という異色の経歴を持つ鉄工職人、海野原久(もとひさ)さん。この世界に入ったのは、30歳目前のことでした。「初めて溶接をやってみた時、おもしろい!と思ったんです」。さまざまな縁に導かれて長野へ移住し、「原寿鉄工(もとひさてっこう)」を立ち上げました。
「仕事を断ったことがない」
公園の遊具、ショップのドア、農業用倉庫、トラック荷台の幌フレーム、カフェのコーヒー器具、住宅の階段、郵便ポスト、ステンドグラス。これらは、海野さんが独立して2年半の間に手掛けた仕事のごく一部。鉄、銅、真鍮、アルミ、ステンレスなどあらゆる金属を扱い、企業や店舗はもちろん、個人のお客さんから直接依頼を受けることもあります。
時には、他社で断られた難題を相談されることも。そんな時も「知恵比べの感覚で、考える時間が楽しいんです」と、からりと笑います。
▲左/善光寺門前のカフェ「うみなつ珈琲」のオーダーで製作したドリッパースタンド。コの字の中にスケールがぴったり納まる設計 右/軽トラックの荷台に幌をかけるためのフレームを製作
▲左/住宅の階段のささら桁(段板を支える部分)と手すり 右/トレーラーハウスの鉄柵も
▲左/鉄とクリ材を組み合わせたオリジナルのデスクとスツール 右/松本市のカフェ・ギャラリースペース「KAJIYA」の外壁に鉄板を貼ってリノベーションしたことも(以上6点の写真提供:原寿鉄工)
「仕事を断ることはないんですか?」と尋ねると、「ないんですよ」と驚きの答え。
「断らないと決めているわけではないんです。ただ依頼してもらった以上、形にしてお返しするのが自分にできる最大のサービスだと思っているから、まずは引き受ける。どう作るかは、そこから考えます」
無鉄砲なようですが、これまで受けた仕事はすべてきちんと完遂してきた実績が、海野さんの誠実さと技術の高さを物語っています。どんな仕事にも、持てる技術を総動員して全力で応える姿勢があるからこそ、次々と依頼が舞い込むのでしょう。
例えば、ファッションブランドからの「持ち運べるフィッティングルームを作ってほしい」という一風変わったオーダー。複数の細いアイアンフレームを蝶番で接合して組み立てるデザインを考案しました。まわりをカーテンで覆うと、手軽に試着室になる仕組み。パタパタ折り畳むと、大きめのトートバッグに入るほどコンパクトなサイズになります。
▲アパレルブランド「Bourgine」の依頼で製作した試着室。複数のアイアンフレームを接合し、組み立てると立体になる。折り畳みも簡単(写真提供:原寿鉄工)
毎回違う依頼に、工夫を凝らして最適解で応える。海野さんの言葉からは、考えるプロセスそのものを楽しんでいる様子が伝わってきます。
「こんな物がほしいと相談を受けて考えて、スケッチに起こす。材料とデザイン、安全性、そして誰にも真似できないかどうか。考える過程が一番おもしろいんですよ。作り方が見えてくるまでが仕事の8割。実際に作る過程は、答え合わせみたいなもので」
驚くのは、鉄工の枠を超えた仕事も軽々とこなすこと。個人住宅の庭に薪棚を作る仕事では、土台になるコンクリート打設から行ったそう。もはや大工の領域です。経験のない仕事を引き受けることに、不安はないのでしょうか。
「不安よりも『きた!』という喜びの方が大きいですね。好きこそものの上手なれと言いますが、まさにそれだと思います。とにかく毎日、物を作ることが楽しい」
▲個人のお客さんから依頼を受けて製作した薪棚は、土台のコンクリートから施工。線路脇の立地から、線路をモチーフにデザインを決めた(写真提供:原寿鉄工)
最短距離でいく
断らずすべての仕事を引き受けるから、スケジュールは常に一杯。毎日現場を飛び回る海野さんが大切にしているのは、品質を守りつつ「最短距離を選ぶこと」だと言います。
「頭の中はいつもフル回転。目指す場所へ最短距離で行くにはどうしたらいいか、ずっと考えています。たぶん、通常の3倍の作業をこなしていると思いますね。『もうできたの?』とお客さんに驚かれることもあって(笑)」
いわく「段取りが8割」。前日のうちに作業の準備を整えておく、別の仕事でも同じ作業は一度に終わらせる、使いたい道具をすぐ手に取れるよう作業台は常に整頓しておく。準備を万全にして、いかに早く、良い結果にたどり着けるか。その姿勢は、プロアスリートにも通じるようです。
▲作業道具をすぐ手に取れるよう立てて整頓しているのも、スピードアップの理由。道具立ても鉄で製作したオリジナル
▲使いやすい作業用ワゴンも鉄で製作したもの
スキー選手から鉄工職人へ
静岡県出身の海野さん。幼少期から競技スキーに打ち込んできたという意外な一面があります。学校卒業後は、実業団の選手として競技生活と仕事を両立する日々。練習のためオンシーズンは毎週のように長野の山に通い、「いつか長野に住んでみたい、となんとなく思っていました」。
20代前半でスキー競技に区切りをつけ、一時は競輪の選手を目指しましたが膝の故障で断念。25歳から3年間は、東日本大震災の被災地へ物資を運ぶドライバー職に従事しました。その後、静岡のスポーツ用品ショップで働いていた時、常連のお客さんから思いもかけない誘いを受けます。
「溶接をやってみない?」
縁のなかった溶接の世界になぜ誘われたのかは、今も分かりません。海野さんの実直な性格が、職人として開花すると見込んでのことだったのでしょうか。工業分野の仕事は未経験ではあったものの、DIYや車いじりが好きだった海野さんは、持ち前のフットワークの軽さも手伝って溶接の世界に飛び込みます。30歳を目前にした時のことでした。
▲「溶接は裁縫と似ているんです」。返し縫いのように“進んで戻る”を繰り返すときれいに仕上がるのだそう
就職先は機械部品の製造工場。働き始めてすぐ、海野さんは鉄工の仕事に魅了されます。
「初めて溶接した時に見えたんですよ、鉄が溶ける様子が。どうすればうまくできるか、教わらなくても感覚的に分かった。それがおもしろくて、のめり込んじゃって」
すぐに感覚を体得したのは、スキーで体感を研ぎ澄ませてきた素地があったからなのかもしれません。そこからぐんぐん技術を吸収し、会社で覚えられることはすべて習得。溶接面をグラインダーで研磨してフラットに仕上げる加工も手掛けるようになりました。
金属は、二つのパーツを溶接して研磨すると元から一つの物体だったように見えるのが特徴です。「ずるい素材なんですよ」と笑う海野さん。そうした素材のおもしろさも、技を磨くモチベーションにつながりました。
▲グラインダーで研磨し、溶接面をなめらかに整える
美しいものを作りたい
就職先で製造していたのは機械のパーツ。家具のように細部まで美しさを求められる分野ではありませんが、「細かな部分まできれいに仕上げる」という思いは、鉄工を始めた当初から海野さんのなかに途切れずにあります。
「入社直後に上司から『最大限、丁寧なものづくりを心がけて』と言われたんです。とはいえ“最大限”の基準は、一人ひとり違うじゃないですか。雑な出来でもそれが自分の最大限だと思ってしまえば、それ以上力は伸びない。そう思ったから自分なりに探究して、高いレベルできれいな製品を目指すことにしたんです。会社に求められたわけじゃない、自己満足なんですけどね」
きれいに仕上げるとはつまり、工業製品の基本である「直線、垂直、平滑」をシンプルに徹底すること。金属は温度によって伸縮するため、「溶接時に逆算して角度を決めることが重要」と海野さん。すうっとまっすぐなラインを描くパーツはシャープで美しく、何よりも機能的。独立して多忙を極める現在も、「きれいに仕上げること」は海野さんの仕事のベースにあります。
▲「直線、垂直、平滑」を徹底した製品には簡潔な美しさが宿る
鉄工の面白さに開眼した海野さん。次第に、「この技術でもっと人の役に立ちたい」という思いが強くなっていきました。会社では客先の発注を受けてさまざまな機械のパーツを製造していましたが、実際に使われるシーンが見えないことに、少しずつ物足りなさを感じるように。
「お客さんと直接やり取りして喜んでもらえるものづくりをしたいと思うようになったこと、そして品質より納期を優先する会社の方針に違和感を感じて、退職を考えるようになりました」
静岡から長野へ、縁がつないだ移住
転機が訪れたのは、キャンプや登山によく出かけていた長野・安曇野。ひょんなことから、鉄工所を営む高齢のご夫婦と知り合ったという海野さん。「僕も鉄工の仕事をしているんです」と話すうちに意気投合し、それからたびたび夫妻の家に農作業の手伝いに行くようになりました。
出会って2カ月ほどがたち、初めて家に泊めてもらった時のこと。海野さんはご夫婦から思いがけない申し出を受けます。「うちに養子に入って、鉄工所を継いでほしい」。子どものいなかった夫妻は後継者がなく、鉄工所の未来を海野さんに託したいと考えたのでした。
急なことでびっくりしたでしょう?と尋ねると、
「実は人生で3回目だったんです。養子になってほしいと言われたのが」
と驚きの言葉。一度目は18歳の時、働いていた静岡のスポーツショップの常連のお客さんから。二度目は27歳の時。白馬の温泉で居合わせた高齢の男性と仲良くなり、家に遊びに通ううちに「家をやるから、養子にならないか」と言われたそう。歳の離れた人にも分け隔てなく、気さくに接する海野さんの人柄がうかがい知れるエピソードですが、とはいえ、なんという引きの強さでしょう。
▲仕事用のエプロンは、友人が営む革小物のショップ「OND WORK SHOP」にオーダー
夫妻から「鉄工所を全面的に任せる」と告げられ、独立を考えていた海野さんの心は揺れました。1年迷った末、コロナ禍をきっかけに「今動かなければタイミングを失う」と直感。2020年冬、安曇野へと移住を果たします。
けれどいざ仕事を始めると社長であるご主人と方針がすれ違い、仕事の受注さえままならないことが続きました。「お客さんの依頼に応えられないことが、一番つらかったです」。
悩んでいた海野さんに「それなら独立して、うちの隣でやってみたら」と声をかけたのが、移住後に知り合った須坂市「古道具そらしま」の店主、髙島浩さん。安曇野に移住してわずか1カ月の出来事でしたが、「このままではいけない」と心を決めた海野さんは意を決し、鉄工所を去ることを決めます。
「社長夫妻にもきちんと思いを伝えたら、分かってくださって。最後は『広い世界に飛び立って』と言っていただきました」
こうして予定より少し早いタイミングで「原寿鉄工」として独立した海野さん。安曇野への移住も須坂への移転独立も、人との縁とタイミングがつないだもの。たぐり寄せたのは海野さんの実直で親しみのある人柄なのでしょう。決断の裏には不安もあったはずですが、目の前にやってきた船に思い切って飛び乗るように、自分で決めて選んだ経験が今の海野さんを作っています。
▲屋号は自身の名前を元に考案。ロゴは「古道具そらしま」の店主、髙島浩さんのデザイン
デザイナーのイメージを形にする
独立後はお客さんと直接やりとりするほか、店舗や住宅のデザインも手掛ける髙島さんとの協働プロジェクトも始まりました。金属を使った店舗什器や内装を空間に合わせて設計し、施工まで行うのが海野さんの担当です。
「例えばアパレルショップの仕事では、試着室のレールと商品をハンガーでかけるバーを担当しました。髙島くんのイメージは、バーの吊り元を天井面とフラットに納めて浮かんでいるように見えるデザイン。天井材を一度剥いで埋め込むように設置し、細いワイヤーで吊っています」
▲軽井沢のセレクトショップ「Maison ma Maniere」の仕事。曲線を描く試着室のレールを最小限の支持点で設計。洋服をかけるバーは細いワイヤーで吊り、吊り元は天井と同じ面に納めた(写真提供:原寿鉄工)
デザイナーのイメージを形にする仕事には、自分でゼロから設計図を描く仕事とは違う難しさがあります。どの材料、どの作り方ならイメージを実現できるか。鉄工のプロフェッショナルとして、技術が試される場面です。
「でもね、楽しいんですよ。燃えるんです(笑)」
そのおもしろさを最も実感したのが、上田にある本とインテリアのショップ「面影 book&craft」での仕事。東京の設計事務所、Tokyo pm.の山本洋介さんの設計による店舗で、ドアと窓枠の製作を依頼されました。
「ドアの図面を見たときは、『こう来たか!』と思いました」
▲上田駅近くにある「面影 book&craft」のファサード。ドアと窓枠を鉄で製作
ヨーロッパの古い街にあるようなシンプルなドアですが、ディテールまで緻密に作り込まれたデザイン。製作には高い技術が求められました。上部がガラス窓で下は鉄板であること、ガラスを細い鉄枠でぴたりとはめ込む仕様、直線部分の角を落とす「面取り」と呼ばれるミリ単位の加工、鍵や持ち手との合わせ方。工程数も多く、すでに数社から断られた状態での依頼だったそう。しかも店舗のオープンまでわずか1カ月と、タイムリミットも迫っていました。
「でも図面を見た瞬間、『できる』と思ったんです」
技術と知識を総動員して頭の中にイメージが浮かんだことが手応えとなり、製作をスタート。製作中もポイントごとに加工中の写真をデザイナーの山本さんに送り、イメージに沿っているか丁寧に確認しました。一方で、作り手の視点から「ここは図面より2ミリ広げた方がドアを開けやすい」など細やかな意見をやり取りしたことも。
▲直線部分の角をミリ単位で落とす「面取り」加工によって、美しい陰影が生まれる。ガラスも鉄枠で固定
「完成したドアを設置した瞬間、鳥肌が立ちました。タイムリミットが迫っていることへの緊張もありましたが、一番は『こんな良いものができてしまった』と感動して」
美しいドアは、「面影 book&craft」のアイコンになりました。2023年には、店主の岩井謙介さんの誘いでオリジナルプロダクト「OMOKAGE COLLECTION」第一弾となるカトラリーレストを協働製作。経年変化する真鍮を使い、こちらも繊細な面取り加工を施すことで、陰影とクラシカルな表情を楽しむプロダクトを生み出しています。
「難しかったのが面取りの幅のバランスです。長辺と短辺とエッジのどの部分を何ミリ削れば美しいのか、複数のサンプルを作って岩井さんと何度も相談しました。機能としてフォークやスプーンを置きやすいこと、置いた時に影がきれいに見えることを意識して、最終的に短辺だけ1ミリ幅で面取りしています。最後に手作業で磨く工程も大切なんです。真鍮の色みが変わって、表面に薄いラインが現れる。そこまでがデザインです」
▲「面影 book&craft」のオリジナルプロダクトであるカトラリーレスト「OKU」。心地よい重量感、繊細な面取り加工による陰影がテーブルを彩る
使うシーンを思い描く
現在は長野市に工房を移転。鉄工所に間借りして作業を進めるほか、毎日のように施工現場や外注先を飛び回っています。ゆくゆくは自分の工房を持ちたいと考えているそう。
仕事の規模を問わず幅広く引き受け「なかなか休めないんです」と苦笑いする海野さんに、多忙でも仕事を楽しむ心得を聞いてみました。
「ゴールイメージを常に持っておくこと。誰がどんな場面で、どんな風に使うかイメージをきちんと持っておかないと、ハイペースで作り続けることは難しいです。イメージが曖昧なままで作っていたら、僕だって途中で嫌になってしまうと思う。
長くスポーツをやっていたので、体力はある方かもしれませんね(笑)。疲れた時の回復方法は、よく眠ること。それともう一つ、我が家には夜のおやつタイムがあるんです。妻手作りのおやつが息抜きかな。娘と遊ぶ時間にも、元気をもらっています」
家族と暮らす住まいには、自作の家具がたくさんあるのだそう。製作と暮らしが地続きでつながり、楽しんでいることが伝わります。技を磨き、頭の中のアイデアをさらに解像度高く、美しく表現していくことでしょう。
▲自宅には鉄を使った自作のレコードラックやスツールを(写真提供:原寿鉄工)
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会える場所 | 原寿鉄工(もとひさてっこう) 長野市風間2034-31(タバタ産業内) 電話 ホームページ https://motohisatekkou.jp |
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