No.481
ゆで
たかのさん
二代目長野県住みます芸人
寺子屋こそが自分の舞台。お笑い芸人が教える学習塾<ゆで子屋>を運営
文・写真 波多腰 遥
吉本興業が地域創生の一環として実施している<あなたの街に住みますプロジェクト>は、47都道府県に移り住んだ所属芸人が地域に密着した活動を行うことで、地方の元気づくりに貢献する取り組みです。長野県では同プロジェクトが発足した2011年より、お笑いコンビ<こてつ>の北村智さんと河合武俊さんが<長野県住みます芸人>として現在も活動しています。
ゆでたかのさん(以下、ゆでさん)は2020年1月に<2代目長野県住みます芸人>に就任。ローカルテレビや県内各地のイベントへの出演に加え、自身が運営する寺子屋<ゆで子屋>を長野市内外で実施するなど、県内全域を基盤とした精力的な活動を見せています。
人気者に憧れお笑いの世界へ。長野移住までの歩み
大阪市で生まれ育ったゆでさんには、物心ついた頃からお笑いは身近な存在でした。週末昼のお茶の間は決まってよしもと新喜劇。近所の商店街を歩けば、営業でネタを披露する若手芸人を見かけることも珍しくありません。
「クラスの人気者を見て羨ましいなあと思ってましたけど、それ以上に商店街でワーッと人を集める芸人の姿は憧れでしたね。しかも、劇場に初めて行ったときに観た漫才が意味わからんくらいおもろくて。小学生のときには芸人か学校の先生か、どっちかになりたいと思ってました」
小中学生時代は目立つタイプではなかったものの、高校に進むと「ツッコミで笑かせられる回数が増えてきた」とのこと。先生よりも芸人になりたい思いが次第に強くなっていきます。大学へ進学後はアルバイトでお金を稼ぎ、自費で吉本興業のタレント養成所に入学。ダブルスクール生活を経て、大学4年時にお笑い芸人としての活動をスタートしました。
「大阪にある吉本の劇場の中でも一番大きい<なんばグランド花月>で、劇場の入口でお客さんの呼び込みをする口上師をしたり、幕が上がる前に会場を温める前説をやらせてもらってました。最初は本名で活動してたんですが誰も覚えてくれなくて、いろいろ試すなかで『ゆでたかの』で自己紹介したらお客さんに帰り際に『ゆでたまご』って間違えられて。60パーセント合ってたんでそのまま採用しました(笑)」
午前中から夕方まで劇場、夕方から夜にかけてアルバイト。そんな生活を数年間続けたのち、アルバイト先のお好み焼き店で一緒に働いていた留学生の誘いを受けて、人材派遣業や日本語学校の運営を行うベトナムの会社で働くことに。初の海外生活、初の海外労働でカルチャーショックを受けながらも、現地のベトナム人に日本語を教えていたそうです。
ベトナムでの仕事が落ち着き、帰国してお笑いの活動を再開しようと思った頃、事務所から二代目長野県住みます芸人の募集メールが届くと、すぐに手を挙げたそうです。こてつのお二人は長野県にルーツを持っているのに対して、大阪出身のゆでさんにとっては縁もゆかりもない土地。移住にためらいはなかったのでしょうか。
「近畿圏か長野の住みます芸人の募集があったらやってみようかな、と思っていたところにちょうど連絡がありました。おとんがスキー大好きやったんで長野のゲレンデにはよく行ってたんですけど、当時は雪山のイメージしかなかったですね。それでも、長野は知り合いが住んでいたし、直前まで暮らしてたベトナムに比べれば、日本語通じるしなんとかなるやろって気持ちでした」
無事に面接を通過すると、2019年11月に大阪市から長野市へと移住。長野での暮らしはまもなく3年を迎えます。実際に生活してみての感想を伺うと、口にしたのは長野県の広さと県民性についてでした。
「面積の小さい大阪にずっと住んでいたぶん、長野は本当に広く感じます。ロケでけっこう色々な市町村を回らせてもらっていますが、まだ77市町村のうち半分いかないくらい。地域によっても色々ちがいがあって、同じ長野県でもひと括りにできないのが面白いですね。ひとつ納得できへんのは、傘を全然差さないこと。まあまあ降っていても慌てへんし、おまけに傘持ってるんですよ。そこはもう差したらええやんって」
子どもたち誰もが気軽に通える寺子屋を定期開講
現在はイベント関連の仕事も増えてきましたが、当初は思い描いていたような活動ができなかったそうです。というのも、移住直前には大型台風により市内外に甚大な被害が及び、就任は延期に。年明けに就任会見を開きいよいよ活動開始かと思えば、新型コロナウイルスが猛威を振るい社会は一変してしまいました。
「影響しかなかったですね。テレビにたくさん出られると思って楽しみに引っ越してきたけど、しばらくは家でテレビ観ているだけの生活だったんで。これは会社任せにせず動かなあかんと思いましたし、自分のやりたいことやろうって考えに変わりました」
誰もが経験したことのない状況に「ベトナム仕込みの営業スキルが活きた」と話すゆでさん。自ら作ったチラシや名刺を片手に各所へ足を運んだことで、地縁のない長野でもすぐに繋がりを築けたそうです。草の根の努力が実を結び、地域の方々の協力を得ながら2020年2月にスタートしたのが、学習塾<ゆで子屋>です。
ゆでさん自らが講師を務めるゆで子屋は、市内外各地のレンタルスペースや公民館を借りて開講する現代版の寺子屋です。受講料は1回わずか500円。小学生から高校生まで幅広い世代を対象に、学力や教科を問わず個別指導形式で勉強を教えます。
▲2022年9月現在、長野市内では西之門町と北屋島の会場にてそれぞれ週1回開催。近所の学校に通う生徒だけでなく、親の送迎で市外から通う生徒も
ゆで子屋は、お笑いコンビ<笑い飯>の哲夫さんが経営する学習塾<寺子屋こやや>がモデルとなっています。経済的余裕の有無で教育格差が生まれないようにと、一般的な塾よりもリーズナブルな価格で通うことのできるうえ、芸人が講師を務めるのが特徴。ゆでさんもまた、大阪時代にこの塾で講師をしていました。
「芸人と同じくらい先生になりたかった時期もあったので、声をかけてもらったのをきっかけに講師を一回やってみたんですね。そしたら、どの現場よりも綺麗にハマった感じがあって。僕自身もむっちゃ楽しかったし、生徒たちからのウケがよかったんです。先生向いてるのかもしれんなと」
▲生徒は持ち込んだ教材に沿って学習を進めながら、ゆでさんが生徒それぞれの性格や学習進度に合わせてサポートしていきます
一時期には長年勤めていたお好み焼き店のアルバイトを全て塾勤務の時間に回すほど、塾講師の面白さにのめり込んでいたゆでさん。ベトナムに行っているあいだも担当していた生徒たちと連絡を取り続けるなど、講師の中でも人気を集めていたそうです。
「日本へ帰国後、哲夫さんが『寺子屋を全国に広めたい』と仰っていたんです。だったら、長野に行く僕が県外進出のきっかけを作れたらいいなと思って、長野に来たら塾を始めようと考えていました」
ゆで子屋は子どもたちとのお笑いライブ
塾と聞くとピリッとした空気感のなかで黙々と問題に向き合うイメージがある一方、ゆで子屋は終始和やかなムードで時間が流れていきます。勉強でわからない部分だけでなく、学校であった出来事や、愚痴や困りごとなど、先生と生徒の垣根なく言葉が交わされているのが印象的です。
「子どもたちがどういうモチベーションで来てるのかわからないですけど、たぶん<喫茶ゆでたかの>に来て、マスターに喋りかけているような感覚やと思います。来る理由はなんでもいいんですけど、結果的にノートや机に向かうことが楽しいと思ってもらえたら」
保護者としてはやはり成績も気になるところですが、総じてテストの点数も上がっているとのこと。勉強への抵抗感が強かったお子さんも、ゆで子屋に通い始めたことをきっかけに、自ら進んで学習するようになったそうです。ゆでさんの存在は学校や保護者のあいだでも噂となり、先生やPTA向けの講演会の依頼も入っているのだとか。気になる成績アップの要因は、一体なんなのでしょうか。
「それが、一切わからないんですよね(笑) ただ、僕が子どもの頃にしてもらいたかったことはできるように心がけています。点数だけで評価しないで、解答用紙の計算式をじっくり見て『間違ったけどここ頑張ったんやな』って言ってあげたり、よかったところをちゃんと見つけてあげるようにしています」
▲生徒に描いてもらったという立て看板には”勉強”や”学習”といった文言がありません。ゆでさん曰く「点数を上げることが目標の関係性になったらお互い楽しめないから」
回数を重ねていくうち徐々に参加者も増えていき、最近では長野市以外の自治体でも定期的に開講することに。いまや30人以上の子どもたちに勉強を教えていますが、初回の参加者はわずか1人だったそうです。感染症拡大の配慮のため思うように開講できない時期もありましたが、継続の原動力はなんだったのでしょうか。
「寺子屋をやり始めてから2年半ぐらい、やめようと思ったことは一切ないですね。どんなに人数が少なくても続けていくつもりでしたし。そもそも、寺子屋はお金稼ぎのためにやっているわけじゃなくて、僕がただ楽しいから続けているだけですよ」
▲感染予防対策に十分配慮して実施。感染が拡大した時期にはオンラインで授業を行いました(写真提供:ゆでさん)
芸人としての仕事の傍ら、週に2、3回の頻度で寺子屋を開いて、子どもそれぞれに合わせた指導を行っていくことは容易ではありません。「むっちゃ疲れますよ」と語りながらも、ゆでさんが寺子屋から感じている”楽しさ”について教えてくれました。
「若い子たちだから知っている情報だとか、変なことで困っていたりとか、そういうのを聞くのも楽しいし。例えば恋愛相談されて、こんだけ年上の男がああだこうだアドバイスしてるのに、一切言うこと聞かへんかったりとか、その感じがめっちゃオモロいんですよね。なんでやねんとか言いながら。僕はここで子どもたちとお笑いやってるんだと思います」
「『子どもとの接し方について講演してください』とか、ゆで子屋を見て『子どもたちの居場所』とか言ってくれる方がよくいるんですけど、全然そんな難しいこと考えてないんですよ。小学生の頃にむちゃくちゃ好きな先生がいたんですけど、子どもたちと同じようにはしゃいでくれる人だったんです。同じ目線で喋ってくれている気がして嬉しかったし、あの人が僕の中の先生像なんです。だから大人らしくせず、これからも一緒に楽しみたいですね」
終始飾らない言葉で教育や子どもたちに対する想いを語ってくれたゆでさん。現在は北信地域が主な活動範囲となっているものの、ゆで子屋をはじめとする自主的な活動を全県で行っていきたいとのこと。寺子屋という名の舞台にホワイトボードを背に立つゆでさんの姿が、県内各地で見られる日も遠くないかも。ゆでさんの今後の活躍に注目です。
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