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No.319

朝日

貞義さん

靴のあさひや 店主

下駄から靴へ。
時代の流れを見続けてきた町の靴屋さん

文・写真 くぼたかおり

下駄屋として創業。現在3代目となる老舗

「靴のあさひや」はもともと、現在の店主、朝日貞義さんの祖父が明治40年に東後町で下駄屋を創業したのがはじまりです。その後、大正6年に現在の権堂町に移転。しかし戦時中だった昭和20年7月15日、町が爆撃されて火災などの被害が広がらないようにと強制立ち退きを命じられ、一帯の建物は壊されてしまいました。

「当時は店の向かいに八十二銀行本店や郵便局の本局などがあって、まさに町の中心部でした。和洋が融合した木造とコンクリートの建物で、今ふり返ってもおしゃれでしたよ」

そのわずか1カ月後に終戦を迎え、食料難から店などが立ち並んでいた場所も畑へと変化。しばらくしてバラック小屋を建て、店を再開。その2~3年後に2階建てに建て替えました。店の奥行きはわずか3間ほどと小さく、その奥に居間、2階に住居スペースがあったといいます。時代的に長男は家業を継ぐものだと育てられた朝日さんは、長野商業高校に進学。卒業後は奉公に出て、2年間高崎の下駄屋で商売に関することを学びました。

「当時は長野駅から私の店の前まで、バスが片道5円の時代。高崎では住み込みで月給1000円でした。その金額ではもちろん遊べないし、休みなく働いていました。そこで、長野は地味な土地柄だということに気がつきました。東京に近いこともあったのかもしれませんが、さまざまな文化が生まれて、派手なイメージがありました。例えば長野では松や杉、桧などの下駄が一般的でしたが、高崎では桐の下駄がよく売れて本当におどろきました。また、当時からお盆を過ぎると七五三用のゴザ付きのぽっくりがよく売れました」

高崎から長野へと戻り、家業にはげむ朝日さんでしたが、生活様式の変化とともに転機が訪れます。

中央通り沿いに立つ「靴のあさひや」は、権堂商店街から少し南に下った場所にある

着物文化の衰退から、下駄屋から靴屋へ

昭和50年ごろになると、さまざまな生活様式が変化し、着物ではなく洋服が主流となっていきました。それと同時に下駄を履く人が減り、下駄屋だった店は靴屋へと移行するように。

「下駄のことしか知らなかったので、当初は靴の販売も試行錯誤でした。当店が「健康」をテーマに品揃えするようになったのは、今から約30年前です。そのころから、外反母趾やウオノメなどの症状に対応するため足の健康に注目が集まっていったんです。それで1992年にオートベティ・シューテクニック(整形外科靴)・マイスターがいるドイツへ視察に行きました。その時はリュウマチの方が見えていて、そういった足に悩みのある人に合った靴を作るために仮合わせしていました。帰国後にマイスターのもとで勉強したいと思いましたが、何年も勉強と修業を積み重ねる必要があるため、日本ではまだ教えてくれるところがありませんでした」

靴を選ぶ時は、必ず足のサイズを計測してから。「多くの人は、正しい自分のサイズを把握していないんです」と朝日さん

その数年後、靴問屋にドイツからマイスターが来ていると教えてもらった朝日さんは、月1回1泊2日でマイスターのもとへ通い、4年間勉強しました。そのほかにもドイツ式フットケア・フスフレーゲの勉強をして、ウオノメやタコ、巻き爪などから本来のきれいな足を保つ知識と技術も習得。

「ファッション性も大事ですが、靴は毎日履くものです。地面から足をしっかり守り、熱さ、寒さからも守ってくれることが大切です。良い靴を履けば、もっともっと快適になり、思わず歩きたくなるものです。私はビルの3階くらいなら階段を使うようにしています。靴選びの差が、そういった生活にも表れてくるんです」

ちなみに朝日さんが考える足に良い靴は、足の甲とかかとにフィットし、足の指が快適に伸びている状態が保てる靴とのこと。きちんと甲とかかとが固定されていれば、無理に指に力を入れる必要がないそうです。

お客様からリペアを依頼され、作業途中のインソール

人が育たないと町は育たない。未来へつなげる町にするためには

権堂町で商売を長いこと続けている朝日さんは、今年4月まで5年にわたり区長を務めてきました。かつては町の若者たちがもっと元気で活気があり、商売のことも、町のことも、そして遊びも一生懸命だったと言います。

「私はね、人が育たないと町は育たないって思っているんです。だから権堂の良いところ、次の世代にきちんと伝え、バトンタッチしたいという想いがあります。でも現在は、みんな自分のことで精いっぱいで、町のことに関心を示さない人たちが増えているのも現状です。私なんかね、若いころは生意気と思われていたようです。違うなと思ったら、先輩にも自分の考えを伝えていました。そういうことも大切だと思っています」

現在も都市計画案などが出ているような状況で、未来へつなげる街づくりに必要なものって何でしょうか。

「個人的には、よそにはない魅力を見せてあげることが大事だと思っています。会議に参加すると、『長野駅から善光寺まで距離があるから、人は歩かない』と話に出るんですよ。でもそれは結局”つまらない”から歩かないだけなんです。その原因は商売にありますが、残念ながら今は力が落ちているので……。もし通り沿いに善光寺にちなんだモニュメントなどが点在していれば、ひとつひとつ立ち寄って、記念写真を撮って歩くかもしれない。そこに”楽しさ”があれば、距離は関係ないんです。実際にオリンピックのメモリアルパークは、あんなに小さな場所でも観光客は必ず写真撮影していますよね。例えばあの場所も、当時活躍したメダリストのサインや手形などがあるしっかりとした公園にすれば、もっと良くなるかもしれない。オリンピックはどこでも開催できるわけではありません。長野の自然があるから開催できた。そんな風に他にはない魅力を全面に打ち出せるといいですよね」

朝日さんのお話からは、商売のことも、町のことも、もっと良くするためには何が必要かを考え続けている印象を受けました。

通りに出されたこの看板で店を記憶している人も多い。思わず自分の足は何型かなと見てしまう

(2016/03/31掲載)

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会える場所 靴のあさひや
長野市権堂町2313
電話 026-232-5050
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