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No.338

山口

利一さん

クリアーマウンテン ステンドグラス工房 主宰

信州新町の森に構えた工房で
自然に寄り添った作品づくりを

文・写真 合津幸

長野市信州新町の国道19号線を山道に入り、車を走らせること約5分。傾斜地を活用したりんご畑のさらに奥に広がる森に、ステンドグラス作家でガラス工芸家の山口利一さんが主宰する「クリアーマウンテン ステンドグラス工房」があります。その工房にお邪魔して、信州新町での暮らし、作家活動や作品について伺いました。

大阪から東京、そして長野県へ

山口利一さんが主宰する「クリアーマウンテン ステンドグラス工房」は、信州新町の山の麓に位置する森にひっそりと佇んでいます。敷地内には第一工房と第二工房兼音楽スタジオ、レザークラフト作家の奥様・富士子さんの工房、そしてご自宅があり、それらの建物はいずれも、可能な限り山口さん自ら手掛けて来ました。

「できるだけ経費を抑えて造りたいと思っていました。ですから、廃材を提供してもらい、友人・知人に助けてもらいながら、時間と労力を費やして1棟ずつ完成させました。大変でしたが、捨てられるはずだった材を活用したり、無駄にエネルギーやお金を使わずに済みましたから。それに、体を動かして行う作業が好きなので、基本的には楽しませてもらっています」

という言葉を裏付けるかのように、現在は自宅のキッチンを絶賛(?)増築中の山口さん。目的は、昔ながらのかまどを造ることなのだとか。すでにかまど用の古い釜は入手済で、「ね? 美味しいご飯が炊けそうでしょ? でも、完成までには当分時間がかかりそうだけど」と、日焼けした肌にいたずらな笑みを浮かべました。

今でこそ森での暮らしがすっかり板についた山口さんですが、出身は大阪府大阪市で、若い頃は東京で音楽活動をしていたそうです。つまり、20代半ばまでは都市部でしか暮らしたことのない青年でした。

そんな山口さんですが、23歳で耳に腫瘍が見付かり、手術と治療のために音楽活動を休止。その後何年も懸命に治療を続けるも聴力は戻らず、音楽を生業とすることを断念せざるを得なくなります。そうして、新たな道を探ることになってふと脳裏に浮かんだのは、療養のために訪れていた松本市でした。

「水や空気がキレイで自然が豊かな環境が気に入っていたことと、古いながらも広い建物が安い家賃で借りられることが移住を後押ししてくれました。それに、時間とお金に追われる日常を脱したいという気持ちもあったので、ある意味チャンスだと思いました」

第二工房にある、ガラス見本を兼ねた窓。「他のものは反射光ですが、ガラスは唯一透過光を楽しませてくれるものなんですよ」と、山口さん

8月に木島平村で行った展示の様子。ランプシェードはほとんどが一点もので、ガラスに熱を加えた際の自然な割れ目を生かして、鉄などの金属をほどこす

子育ては自然に近い環境で

もし病気にならなければ、東京のビル群に囲まれた人生を歩み続けたかもしれない山口さんですが、一方で物やエネルギーを大量に消費し続ける都会の暮らしに疑問を持ち続けていたことも事実です。

「私は高度経済成長の頃を知る人間ですから、技術が発達すれば生活は便利になることは身を持って知っています。でも、川が汚染されたり空気が汚れてもOKなわけじゃない。本当にこれでいいのだろうか? と常に思っていました」

そこで山口さんは、自然を大切に思うのならば行動で示すべきだと考えました。そして、自然の懐に飛び込んで日々を過ごし、その有り難みを肌で感じながら生きたいと強く願うようになりました。同時に、音楽の道が断たれてお金を稼ぐ術を失った山口さんにとって、都会での暮らしは経済的にも厳しいものがありました。つまり、物価が低い地方へ移り住むことは必要に駆られてのことでもあったのです。

こうして、まず松本市に移住を果たし、大阪で彫金作家をしていた友人のサポートで工芸の世界に足を踏み入れます。さらに、その友人の先輩で、海外で最新のガラス工芸文化を学んできたステンドグラス作家さんとの出会いにも恵まれます。

そして、その作家さんが創立した旧美麻村(現 大町市美麻)の「遊学舎」という、若い工芸家の育成や技術の伝承を目的とした学校の運営に携わることに。そこでさまざまな工芸文化、最新の技術に触れながら10年を過ごし、やがてステンドグラス作家としての活動を始めます。

その間、旧美麻村に工房を構えていた富士子さんと結婚し、お子さんにも恵まれた山口さん。松本市から穂高町、穂高町から池田町、さらに池田町から信州新町へと転居を経験します。

「子育てをするなら、より自然に近い環境が良いと思っていました。自然から五感で感じるものが子どもの成長に与える影響を重視していたからです。ただし、最初に信州新町で住んだのは今よりもっと山奥のボロボロの空き家で…さすがに、長女の高校進学時に通学が難しくなり、現在の場所に引っ越しました」

ガラスの個性と個性を組み合わせて、ひとつの作品にまとめあげる。「完成して形は決まってしまっても、光の色や強さでも表情が変わるんですから。ガラスって面白いですね」

第一工房でのステンドグラス作品づくりの様子。比較的小さな作品は、銅製のテープを全パーツのエッジに巡らせる。どの工程も、機械を用いるとしてもほぼ手作業だ

生き方そのものが表現の一部

800坪もある広大な土地は、元は別のステンドグラス作家が工房を構えようと購入してあったものでした。しかし、その方が最終的に活動拠点に選んだのは東京だったため、ここでの暮らしが気に入っていた山口さん一家が買い受けることになったのだとか。

「宅地申請こそ済んでいましたが、私が来た時は森そのもので、木を切り倒すところからのスタートでした。専門の技術や重機を所有する友人たちに手を借りながらではありましたが、私自身が作業に加わり、汗水垂らして森を切り拓く姿を見た方からは『遊んでばかりいる変わり者』と言われたりもしたね」(苦笑)

現在山口さんは、建物のドアや窓にはめ込むオーダーメードの大作を中心に、大小さまざまなステンドグラス作品やアクセサリーなどのガラス工芸品を手掛けながら、長女の舞さんとともに「MAI&Double Fantasy」として音楽活動もこなしています。ボーカルを舞さんが務め、山口さんはToshiの名でギターを担当し、月に2〜3回ライブを行っています。

「ガラスは繊細で儚く、でも同時にものすごく力強くて、私の予想を遥かに超えた世界観を突き付けてくれます。同じ工程でも、ほんの少し感覚が違えばまったく違うものが生み出される。それがガラスの難しさであり面白さでもあります。音楽も即興的というか、その瞬間のみに存在する感動や共感があるので、ガラスと共通点があると思っています」

ご本人曰く「本職は工芸、天職は音楽」で、どちらも山口さんが山口さんらしく笑顔で生きるために必要不可欠なものです。

「私は作品ではなく私という『人』を買っていただいていると考えます。ですから、音楽活動も日々の暮らしも、すべてを作品の一部として大切にしています。また、ガラスも音楽も、ずっと自然を賛美し自然や人に感謝する気持ちを込めてやってきました。たとえ形や手法が変わることがあっても、根本にあるこの想いは変わらないでしょう」

山口さんにとって、ガラス作品も音楽も、そして自然に囲まれた信州新町での暮らしや人とも自然ともじっくり向き合える生き方も、想いを伝える表現のひとつなのですね。

オーダーメード作品は圧巻の存在感! こうした大型作品の制作では特に、センスや技術等のあらゆる力量がシビアに問われる。それだけにやりがいも大きい (写真提供:クリアーマウンテン ステンドグラス工房)

音楽スタジオの天井には、大町市の楽器製作会社から譲り受けた木片がズラリ。捨てられるはずだったものも、視点を変えれば素晴らしい素材になることを教えてくれる

(2016/08/19掲載)

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会える場所 クリアーマウンテン ステンドグラス工房
長野市信州新町牧田中1209
電話 026-262-2214
ホームページ http://www.ac.auone-net.jp/~aoitsuki

※ 展示会、ガラスワークショップ、ライブの情報はHPにて発信。
また、長野市内のカルチャースクールでも講師を勤めています。
詳細は工房にお問い合わせください。

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