No.491
泉谷
恭子さん
nuno.デザイナー
服を作ること、自然と共に暮らすこと。長野に戻って見えてきたもの
文・写真 石井妙子
甘すぎないフリル、大人に似合うリボン、クラシカルなギャザー。現代的なデザインにロマンティックなエッセンスを忍ばせたファッションブランド「nuno.(ヌーノ)」。デザインから縫製までを1人で手がけるのが、長野市郊外に暮らす泉谷恭子さんです。
千曲市で育ち、高校卒業後に選んだのは美容師の道。東京でキャリアを重ねながら、自分や子どものために独学で始めた洋服作りがnuno.の始まりでした。
都会での生活から一転、家族で長野移住を決めたのは2020年のこと。現在は緑に包まれた自宅アトリエで、日々ミシンに向かっています。
デザイナーが仕立てる、あなたのための一着
手仕事で縫いあげる繊細な洋服は、ヨーロッパ映画に出てきそうな雰囲気。リネンやコットン素材を使っているため風合いはラフで動きやすく、着心地は軽やかです。エレガントなのに普段着としても着られて、日常にひとさじの楽しさをくれるのがnuno.の魅力です。
▲ロマンティックな花柄やフリルも、色とフォルムのバランスで甘くならない
▲コートのようにハリのある素材のワンピース。シンプルなリボンが大人にも似合う
「着心地やシルエットの良さはもちろん、私が直感でかわいいと感じるものを形にすることがnuno.のテーマです。たとえばフリルや手縫いのギャザー、着る人の好きな色であしらった刺繍。実用性と一歩離れた装飾のディテールを大切にして、着たときに気持ちが上向きになる服を目指したい。美容師時代も、えりあしをカールさせたりポイントに色を入れたり、ちょっとドキッとするような部分を作ることが好きでした」
ヨーロッパの伝統的な洋服が好きで、古着をほどいて型紙を起こしてみたこともあるそう。伝統と現代的な感覚が融合した独自の世界観は、20代から70代まで幅広い年代のファンに愛されています。
▲リミテッドエディションのベスト。一点もののアイテムには手縫いで刺繍を施したタグをつける(写真提供:nuno.)
▲ひだを寄せ、手作業で刺繍するスモッキングのフリル。写真はベストの襟部分(写真提供:nuno.)
nuno.の特徴が、着る人の体型や好みに合わせて仕立てるセミオーダー式であること。商品は店舗に常設せず、東京・鎌倉・長野などで年に数回開催する展示会でオーダーを受け付けます。希望すればその場で泉谷さんに採寸してもらい、サイズ調整をしてもらえるのです。
「基本はワンサイズですが、試着して『もっとこんな風に着たい』というご希望があれば、“その人のための一着”を提案します。例えば小柄な方なら、丈詰めはもちろんポケット位置を上げたり、スリットの丈を短くしたり。美容師の頃、お客様の骨格や雰囲気に合う形を考えたり前髪をミリ単位で調整したりすることを毎日続けていたので、似合うバランスを見極める感覚は身についていると思います。ひと手間加えることで、何度も着たい服になる。つくり手である私にとっても嬉しいことです」
縫い上げる洋服は年間約200着。アレンジを加えるため、同じデザインでもシルエットは少しずつ違います。「オーダーしたお客様の顔を思い浮かべて作るから、一枚一枚違うものを作っている感覚です」と泉谷さん。着る人と直接言葉を交わし、雰囲気や好みを投影して生み出される一着には、量産品にはない力が宿っています。
ファッションに憧れた青春時代
独学で始めた服作り。きっかけは、長野で過ごした子ども時代にさかのぼります。
「家にミシンがあることが当たり前の時代。母は主婦をしながら洋裁の内職もしていて、私にもよく服を作ってくれました。生地屋さんで一緒に布を選ぶところから嬉しくて、母が作った服は特別大切でした。母の隣で自分も人形の服を作ったり編みものをしたり、自然と手を動かすようになって。母方の祖母は洋裁、父方の祖母は呉服店で和裁をしていて、ミシンも布もいつも身近な存在だったんです。20代からずっと使っているミシンは、祖母から譲ってもらったものです」
▲祖母から譲り受けた家庭用ミシン。最近までこれ1台で何百着もの洋服を作っていたそう!
高校は長野市内へ電車通学。1990年代後期はファッションビルから路面店まで長野駅周辺に多くのアパレルショップがあり、おしゃれ好きだった泉谷さんは放課後のショップ巡りが日課でした。
「大好きだったのが、駅ビルMIDORIにあったショップ。当時まだ珍しかったセレクトショップの先駆けで、色々なブランドを置いていたからいつも新鮮だったし、仲の良い店員さんと服の話をするのも楽しくて、毎日のように遊びに行っていました。進路を決めるときも、自然とファッション業界に進みたいと考えたんです」
今ほど情報を集める手段がなかった当時、高校生の泉谷さんにとって「デザイナー=パリコレに出る人」で雲の上の存在。ならばと周辺の仕事を調べ、型紙を起こすパタンナーという仕事に興味を持ちました。
ところが両親に相談すると「そんな聞いたこともない仕事、大丈夫なの?」と心配されてしまいます。迷った末、両親を安心させるためにも目指したのが美容師。モデルとしてヘアショーに出演したことがあり、舞台をつくる美容師の熱量に魅了された記憶が忘れがたかったのでした。
▲愛猫「ちたもん」は東京時代から家族の一員
進学のため上京し、原宿や渋谷で遊んだ専門学校生時代、無我夢中で働いた美容師時代。忙しい毎日でも、時おり祖母からもらったミシンに向かい、好きな服を作ることが暮らしの一部にありました。
「独学と言うとかっこいいけど、つまりは趣味の延長です(笑)。当時は型紙をきちんと引いて
作るわけでもなく、買ってきた服をアレンジしたり、見よう見まねでつくってみたり」
▲ミシンで一枚ずつ、泉谷さん自身が縫製するnuno.のコレクション(写真提供:nuno.)
▲ワンピースの袖に手作業で刺繍をほどこす。糸の色選びも大切(写真提供:nuno.)
服作りが趣味から仕事へ
20代後半に結婚し、出産。働き方を変えようと、美容専門学校の講師に転身します。育児と仕事を両立するなか、子どものために服を作り始めました。頭の中のイメージを形にすることが楽しくて、「細々とでも、ライフワークとして続けていきたい」とnuno.ブランドを立ち上げます。子どもが大きくなってからも、自分が着たい服や友人に依頼された服をマイペースに作り続けました。
数年後。よく訪れていたセレクトショップへ自分が作った洋服を着て出かけると、オーナーからこんな言葉をかけられます。「その服、かわいいね。お金を払うから、私にも作ってくれない?」。
「とんでもない!とびっくりしましたが、やっぱり嬉しくて、作らせてもらうことにしたんです。しばらくすると『うちのお客さんもあなたの服が好きだと思うから、販売させてもらえないかな』と言ってくださって。思ってもみないことで驚いたけど、すごく嬉しかったですね」
とはいえ当時はまだ趣味の領域。本業のかたわら作業時間も限られるため、不安が先立ったと振り返ります。それでもやってみようと決めたのは、前述のオーナーの「素敵な服だから自信を持って。できる方法を一緒に考えましょう」という言葉に勇気をもらったから。無理せず製作できるよう、店頭にサンプルを用意して受注生産を行う現在のスタイルが生まれました。
独自のデザインと丁寧な仕事で、オーダーは少しずつ増加していきます。仕事との両立が難しくなり、悩んだ末、家族との時間を優先するためにも講師の仕事を辞めてブランド一本に集中することに。2019年には、nuno.の洋服の作り方を紹介する実用書も出版しました。
▲型紙付きでnuno.の洋服の作り方を掲載した『自由に遊ぶ、ヴィンテージライクな服』(文化出版局発行)
長野への移住
独立当時、暮らしていたのは東京・渋谷。2011年の東日本大震災で帰宅困難者の苦労を目の当たりにしたことで職住近接が安心だと感じ、職場に近い都心を選びました。
2020年に長野へ移住したのは、田舎暮らしに長年憧れていたご主人の強い希望がきっかけでした。小学生だった2人のお子さんも大賛成。とんとん拍子に計画が進み、動き始めてわずか半年で住まいの契約に至ったそう。
「子どもたちは友達と離れてもLINEやオンラインゲームでつながれるから平気みたいで、むしろ“友達が増える”とポジティブ思考(笑)。私はというと、最初は渋っていたんです。せっかく憧れて出てきた東京だから、もう少し過ごしていたくて。
でも長い目で考えると、子どもと暮らせるのはたった20年弱。限られた時間のなかで、違う場所に住んだり色々な経験をした方が面白いなと思い始めました。とはいえ見ず知らずの土地は不安だから、実家がある長野県に的を絞って探すことにしたんです」
家探しは自治体の空き家バンクを活用し、実家からほどよい距離にある長野市と上田市の物件を
内見。見つけたのが、森が見えるかわいらしい中古住宅でした。DIYに目覚めたご主人の主導で内
装はセルフリノベーション。現在も暮らしながら進行中です。
▲アトリエの家具や窓枠はご主人製作。天井はセルフペイント
移住後も首都圏のショップで展示会を続けてきましたが、2022年から長野でも開催しています。場所は、泉谷さんが愛を込めて「長野のパリ」と呼ぶ「CAFÉ LE GARÇON(カフェ・ル・ギャルソン)」。客として訪れた時にオーナーが同じ千曲市出身、さらに東京の同じエリアで暮らしていたことが分かり、意気投合したことが縁を結びました。
「私にとって20年ぶりの長野はタイムスリップしてきたような感覚で、ファッションを取り巻く状況も分からず不安もありました。でもせっかく帰ってきたのだから、長野の人にもnuno.の服を見てほしい。機会をいただけるなら、やってみようと」
展示会当日は、SNSで知った人やカフェのオーナーからおすすめされた人、偶然コーヒーを飲みに来た人まで多くの人が来場。オーダー数も予想以上で、初開催と思えない盛況ぶりでした。
▲長野で開催した展示会の様子。オリジナルのアクセサリーやつけ襟も(右写真提供:nuno.)
「嬉しかったです。『長野で展示会を開いてくれてありがとう』と言ってくれた人も、すごく多かったんですよ。ネットで簡単に洋服を買える時代だけど、何を選べばいいか迷っている方も多いんだなと感じて、nuno.のことを少しずつ伝えていきたいと思いました」
2023年には2回目の展示会を同じ場所で実施。1回目に来てくれたお客様の多くが、再度足を運んでくれました。長野にも少しずつ、nuno.のファンが増えています。
自然から受け取るもの
大都会の渋谷から長野へ。窓の外に広がる景色も1日の過ごし方も一変した日々は、デザインにも変化をもたらしました。
「東京は建築やデザインなど人工的な刺激が多くて楽しかったけれど、インプットが追いつかず疲れてしまう時もありました。必要なものだけ選んで取り込まないとパンクしてしまうと思うくらいギリギリで、かえって自分の好きなものが分からなくなるような。
長野に住んで気づいたのは、自然からのインプットのほうが私にとって影響力が強いということです。四季にはこんなにたくさんの色がある、本当の豊かさってこういうことなんだと、五感で感じます。振り返ると、子どもの頃から日常的に自然に触れていた経験の蓄積が、今のデザインにつながっているのかもしれない。長野で過ごした日々があるからこうして洋服を作っているのかもしれないと、Uターンして初めて気づきました」
▲家の近くの散歩コースから見下ろす美しい風景(写真提供:nuno.)
自宅の窓の外には、季節で色を変える森や山々が見えます。朝、カーテンを開けた瞬間や庭に出た時、台所に立つ夕暮れ。何気ない暮らしのなかで自然から得るインスピレーションが、泉谷さんの視点や感性を通して、nuno.の豊かな造形を導いているのでしょう。
「東京にいる時は、アイデアが浮かばないと美術館に行って刺激をもらわなきゃとか、外へ必死に捕まえに行っていました。今は何も浮かばなければ思い切って考えることをやめて、山に行ったり庭の世話をしたり、関係のないことをするんです。草をむしる感覚や、雪かきをして感じる感触や重さから、作りたいものがふっと浮かんでくることもあって」
自然の造形がそのままデザインに表れるわけではないけれど、長野の自然から五感で受け取るものがクリエイティブに影響を与え、nuno.の第2章を紡いでいます。
▲ある日、自宅の窓から見えた虹(写真提供:nuno.)
▲戸隠牧場は心が落ち着くお気に入りの場所(写真提供:nuno.)
大切に思ってもらえる服を作りたい
ブランドの本格始動から10年。服作りの姿勢は、今もアップデートを続けています。
「もっとクオリティが高いものを作りたいという思いは、年々強くなっています。私は独学で始めたから、たくさん学んで経験して、妥協のない服作りを目指さなきゃいけない。その意識は、ずっと消えないのかもしれません。
ありがたいのは、一着作るごとに技術の鍛錬になっていることです。うまくなってる!と自分で分かるから(笑)、作っていて楽しい。手仕事の醍醐味ですね。人から見たら小さな変化かもしれないけれど、作ることで技術の答え合わせをしているような感覚です」
デザインを深く考える過程で、日本の着物や欧米の民族衣装のデザインのルーツに興味を持つようになりました。洋服が希少だった時代、着心地より耐久性重視で厚みのある素材が使われたこと。伸縮するスモッキング刺繍は、布を重ねて保温性を高めるために生まれたこと。「デザインの成り立ちや背景を知った上で取り入れることが、服への礼儀だと思う」と話します。
▲伝統的なモチーフであるギャザーが美しいカットソー
真摯に洋服と向き合う泉谷さんの根本には、「着る人が大事にしたいと思える服を作りたい」という思いがあります。
「安くてかわいい服は世の中にたくさんあるし、飽きたらメルカリで簡単に売れる時代。だからこそ、大切に長く着続けたいと思ってもらえる服を作らなければいけないと思っています。子どもの頃、買った服よりも母が作ってくれたスカートを大切に感じたように」
大量生産大量廃棄が主流のファッション業界が及ぼす環境負荷は、深刻な社会問題です。それに対する問題意識はもちろん、「自分に本当に必要か、立ち止まって考える時間を持ってほしい」と泉谷さんは話します。
「厳しく聞こえるかもしれませんが、nuno.の服を本当にほしいと思ってくれた方のために私は作りたいし、選ばれたからには高いクオリティの服を作らなければいけないと思っています。作り手と着る人が互いを思い合う、それが大量生産の服と違うところでありたい。もちろん買うかどうかはお客様の自由で、“考えて決めて”なんて私のエゴなんですけれどね。
だから展示会に来て買わない選択をしても、全然かまわないんです。雰囲気に流されて買って結局着なくなるのは、お互い幸せではないですから。とはいえ常設店がないから、展示会期間中に決めなければいけないのは難しい部分もある。だから展示会後しばらくは、オンラインでオーダーできるようにしています」
泉谷さん自身も東京に住んでいた頃、「ほしいものが多すぎて、クローゼットはぐちゃぐちゃでした」と笑います。長野に住み始めてからは洋服も日用品も、たとえ数百円であっても「本当に必要か」と考えて買うようになったそう。人と比べることが減り、ライフスタイルが変わったことはもちろん、ものづくりの担い手として原点に立ち返っているのかもしれません。
セミオーダーで一着ずつ仕上げるnuno.の服は、ブラウス一着30,000円からと決して安くはありません。けれど顔を見て対話し、価値を感じて対価を支払うことは、オンラインや大型店での買い物とは違う経験です。筆者も展示会に足を運んだことがありますが、デザインのポイントや生地の特徴(同じデザインでも生地によってまったく違う印象になるのです!)、着こなしのヒントをデザイナーの泉谷さんから直接聞けることはとても嬉しい体験で、「顔の見えるこの人から買いたい」と感じました。
「値段だけが価値の基準ではないけれど、同じ3万円なら、大事にしたいと思ってもらえる服を作りたいんです」
心が素直になる自然のなかで、着る人を思って生み出す特別な一着。長野のアトリエでミシンに向かう泉谷さんは、服を作ることをピュアに楽しんでいるように感じました。
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会える場所 | 電話 ホームページ https://nuno.base.ec/ |
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