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No.166

上原

貴夫さん

長野県短期大学教授

震災を忘れまい(米)!

文・写真 Yuuki Niitsu

被災地のコメを復活

以前ナガラボで、東日本大震災の被災地の高校生と交流を持つ長野市の高校生を取材しましたが、今回は被災地で生き残った稲を再びよみがえらせたという取り組みをご紹介します。

「『震災を忘れないでほしい』。この言葉で全てが始まりました」

そう話すのは、長野県短期大学教授の上原貴夫さんです。今年10月下旬、自身のゼミの生徒や小学生と作ったもち米が収穫を迎えました。そのもち米が、「忘れ米(まい)」です。

取材で伺った日は見事に秋晴れでトンボが気持ちよさそうに空を舞うなか、小学生30人余りと長野県短期大学の生徒2人が、汗を流しながら稲を脱穀していました。そんな姿を田んぼの高台から眺め、何段にも積まれた藁を前に、上原さんはうれしそうな表情を浮かべていました。 

青空のもと、御代田南小学校の児童らとともに脱穀をおこなう。要望があれば県内全域に稲を配りたいと上原さん

被災地との出会い

上原さんの専門は教育学。東日本大震災の教訓を活かそうと、2012年1月に御代田町で
防災講演会が開かれました。
その時に壇上で話をしたのが、宮城県石巻西高校の教頭先生(当時)でした。

「被災地の田んぼでは津波で海水をかぶり塩分が多くて、稲が作れないということを教頭先生はしきりに訴えていました。そのなかでも懸命にがんばってお米をつくった人がいます。稲もがんばって実ってくれました。そう言って、一握りの稲を見せてくれたんですよ」

震災後、行方不明者捜索やがれき撤去などの大規模な活動が行われるなか、田んぼに手を付けている人は誰もいなかったという状況でした。しかし、教頭先生のお話の中の人は何としても米をつくりたい、被災地の稲を蘇らせようと、田んぼの土を入れ替え、土が含んだ塩分を水で流して除塩し、稲を植え、ようやくその年2011年の秋には収穫するまでに至ったといいます。

「被災地を忘れないでほしい」と、目頭を熱くしながら訴える教頭先生の手に握られていた一握りの稲。
その姿に胸を打たれた上原先生は「この稲を、育てよう」と決意します。

震災を忘れてはならないという思いの込められた「忘れ米」。これを被災地に送り、食べてもらうことで交流が続いている

忘れ米の誕生

上原先生は2012年1月の講演会で石巻西高校の教頭先生から受けとった一握りの稲を、地元御代田町の自身の田んぼに植えます。そして、自身のゼミの生徒たちと一緒に育てあげ、この年の秋に収穫を迎えます。
コメづくりは翌年も続きました。

「お米に名前を付けようということになって、いろいろ案を出しているなかで、講演会で教頭先生が言っていた『被災地を忘れないでほしい』という言葉が印象に残っていたんです。それで、被災地を『忘れまい』という思いを込めて、米の読み方である『まい』をいただいて、忘れ米にしたんです」

上原先生をはじめ、生徒さんたちは自らの思いを届けようと収穫した忘れ米を、石巻西高校に届けにいきました。しかも学生さんが手作りで米俵を編んでその中に入れて届けました。

現在は、校長に就任している当時の教頭先生は忘れ米を手にし、「人のつながりが出来てうれしい」と喜んでいたそうです。そして、信州で育てたもち米は何故か甘い味がすると評判になっているといいます。

脱穀を手伝う佐藤さん(左)。「お米を通して被災地の高校生や地元の小学生とつながれたことが嬉しい」と話す

幼馴染の二人

今回、忘れ米の収穫に携わった長野県短期大学2年生の長岡遥花さんと佐藤彩夏さんは、長野市生まれの長野市育ち。しかも、2人は小学校から短大まで同じ学び舎で過ごしてきた幼馴染だそうです。

今回の忘れ米との出会いは、「人間関係論」ゼミで上原先生が誘ってくれた、2014年1月の国連ユースリーダースキャンプに参加しているアジア14カ国の若者と共に被災地を巡るツアーだったそうです。

「被災地でアジアの若者や現地の高校生に忘れ米を配ったんです。受け取ってくれた時の、顔が忘れられなくて、自分も忘れ米を作り被災地とつながりたいと思ったんです」(長岡さん)

2人は今年4月から、御代田南小学校の生徒達と田植えや脱穀を経験しました。

自分の育てた忘れ米を前に、「忘れ米を通して被災地の高校生や、小学校の子どもとつながることが出来ました。忘れ米は人のつながりが出来るツールなんだと思いました」と佐藤さんは話します。

また、卒業後は自動車メーカーの営業で働くという長岡さんは、営業で回る先々で被災地のことを伝えていきたいと意気込んでいます。

現在、2人は信州の若者が信州について考える「プロジェクト信州」でも活動をしているといいます。

更北中学校時代、キノコ工場の横にあった通称「キノコ公園」で、恋愛話をするのが定番だったという2人は、「もっと長野市に人が来てほしい」と声をそろえて言います。

今後は、「県内外問わず忘れ米を広めていきたい」という上原さん。
そして「プロジェクト信州」を通し、長野市と被災地をつないでいきたいという長野市の若者。
上原さんが受け取った一握りの稲から手に掴みきれないほどの沢山のつながりが生まれたということを、我々は忘れまいと胸に刻みました。

共に忘れ米を作ってきた佐藤さん(左)、長岡さん(中央)、上原教授。当日の中秋の晴天にも負けないほどの、晴ればれとした表情だ

(2015/01/06掲載)

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