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No.387

林部

貢一さん

天然草木染・信州手描友禅師

その道、50年。天然草木染めを長野で広めた第一人者

文・写真 小林隆史

今では、指折り数えるほどに限られた信州手描き友禅職人の一人、林部貢一さんは、この道50年の熟練職人であり、天然草木染めを長野で広めた第一人者。その足跡は、染め物の本場・京都の友禅染め修業から始まり、その後には、東京の粋な作風を学ぶために上京。そして、父親の故郷だった長野に居を構えてからは、信州の自然から抽出する天然染料を研究する傍ら、小学校の授業や地域活動に参加し、その伝統を後世に伝えています。

そんな林部さんの工房兼ギャラリー「花蔵」(長野市東町)には、学校帰りの子どもたちが集まる、こんないつもの風景。

林部さんは、自身のこれまでを振り返り、こう話します。

「もう、この歳になって、私にできることといえば、子どもたちに草木染めや友禅染めの世界に触れてもらうことくらいです。小さい頃に、身近なおじさんから教わったことって、きっと忘れないと思うからね」

子どもと、街と私

そんな子どもたちが、林部さんのもとを訪れるようになったのは、偶然のことでした。学校帰り道の子どもたちが、工房で作業をしている林部さんに興味津々な様子で、のぞき込んで行っては、次第に遊びに来るようなったそうです。

取材のこの日は、子どもたちと藍染めのハンカチを作ることになり、林部さんは子どもたちが来るのを楽しみに待っていました。

この日、近所の子どもたちと一緒に作ったのは、藍染めのハンカチ。それぞれ違う模様が浮かび上がり、自分だけの作品にみんな大喜び。

子どもたちに模様作りを教える林部さん。ビー玉を布で包み、その上からビニールをかぶせることで、円形の白い模様になる。子どもたちは、わからないことを聞き合ったり、林部さんに質問したりながら、夢中になって、模様作りに挑戦。

子どもたちが模様作りをしている間に、林部さんは、自身の畑で栽培した天然の藍の葉を絞り出して、染料を抽出。

そこへ子どもたちが自分のハンカチを入れて、染めていく。「ヌルヌルするー!」、「染まってきたー!」とワクワクする子どもたち。

夢中になって、藍染めに挑戦する子どもたちに、林部さんは語りかけます。

「身の周りにある自然のものを見渡してごらん。自然のものから、色々な色がみつけられるんだよ。この藍も自然のもの。今は、緑だけど、繰り返し染めて空気に触れると、あおくなっていくんだよ。不思議だよね」

林部さんが長野へ来てから特に力を入れて、追究したのは、天然の草木から染料を抽出する、天然の草木染め。これには、長年の知恵と知識が染み込んでいます。

天然の草木染めの歴史

ーーーーーここで少し、天然の草木染めについて、詳しくお聞きしたいのですが。天然の草木染めはいつから始まったものなのですか?

友禅の世界における染料というのは、明治時代を境に、ドイツから石油系の化学染料が流入し始めました。色幅が広がったことによる表現の多様化と着物から洋服への生活様式の変化も相まって、日本の天然染料の産地は、どこも苦労してました。そんな中で、35年ほど前に「天然のものだけを使った染料を作れないだろうか?」と初めて手を挙げたのが、長野県でした。県の研究機関で、私も関わりながら、天然草木の染料の開発を進め、草木染めの技術を全国に広めていきました。もちろん、明治以前にも、草木染めの技術はありましたが。

ーーーーー天然の草木染めの技術や知識は、どのように引き継がれてきたのですか?

先代の人たちが、永年の経験や知恵で培ってきたものが、ちゃんと引き継がれていたんです。私が、友禅染めをはじめた50年以上前から、どの植物がどんな色になるとか、泥につけると色が変わるとか、先生と呼ばれる人たちはちゃんと知っていた。だから、いつも同じものを作れる先生というのは、それだけ経験があったってことですね。
先代の経験を紐解いて研究していくと、泥の中にある鉄分が媒染効果となって、植物の色素を定着させていることがわかってきました。だけど、昔の人は、ちゃんと知ってたんですね。化学的な考え方は知らなかったでしょうけど。

ーーーーーなるほど!不思議ですね。ちなみに、林部さんは自身の畑で、藍を育てているそうですが、他にも身近なものを染料に使うことはあるのですか?

ありますね。よもぎや笹、びわなど、それこそ長野県にはたくさん自然がありますからね。あとは、色を定着させるために、お線香の灰を使います。

ーーーーーお線香の灰を、染料に使うのですか?

そうです。お線香の原料は、椨(タブ)の木でできています。それで、植物を燃やすとアルミナ(酸化アルミニウム)が出るので、媒染効果がある。だから、植物の色素に、お線香の灰を使うと、色が定着するんです。そして、自然のものだけで染めることができる、ということがわかったんです。

絹100%の生地を笹とお線香の灰で草木染めしたストール。艶やかな光沢と自然のやわらかい色合い

こうして、天然草木染めの研究を続けてきた林部さん。その功績を讃えられ、厚生労働省「ものづくりマイスター」や「全日本手芸指導教会創立25周年記念展 内閣総理大臣賞」など数多くの賞を授与されています。

時代とともに、変わり続けること

そんな林部さんが、手描き友禅の世界に入ったのは、師であり、父でもある林部壽峰さんの想いを受け止めてのことでした。

ーーーーー手描き友禅の世界に入ったきっかけを教えていただけますか?

もともと、父親が友禅師だったんです。故郷の長野から京都へ出てきて、京友禅の世界にいたんです。なので、私も小さい頃から、友禅の世界を見てきました。だけど、将来は友禅師になろうとは思っていなかったんです。

ーーーーーそれでも、手描き友禅の世界に入っていったのは、なぜですか?

将来、親父の跡を継ぐ気はなかったんです。だから、会社に就職して、働いていました。だけど、ある時から、親父が「俺がやってきた仕事をやっぱり、せがれに残してもらいたい」って言い始めたんです。さすがに、こういう世界の息子だということを理解してもらって、会社に勤めさせてもらっていたので、上司には怒られました。だけど、親父も頑固で。その親父が、会社に来て、頭下げて、上司に頼みに来たんです。この時ばかりは、親父を喜ばせるしかないなと思いました。だけど、やるなら、自分で新しい世界を広げていかないといけないと思っていました。

ーーーーー新しい世界というのは?

友禅染めは、下絵を描く職人、絵柄の淵に糊を塗る職人、絵柄に色を塗る職人など、10以上の分業によって、出来上がるものでした。その中でも、うちの親父は、主に絵柄に色を塗る仕事しかしてなかったんです。当時は、一人の職人が一つの商売をできていればよかったんです。だけど、我々の時代には、需要がなくなってきて、職人がどんどん廃業してしまっていたんです。そうなると、もう、全行程を自分でやらないと完成しない。そう思って、全部の技術を学んでいったんです。

林部さんの天然草木染めの手描き友禅。糸目のりで淵にラインを引き、中を筆で塗っていく。細い線を弾くことと、色合いに強弱をつけることは高度な技術が必要とされる。

ーーーーー新しい時代をつくる、ということは、全部自分でやらなければならなかったんですね。

そうです。その分、染めのことも勉強するようになったので、天然草木染めの研究にもつながり、よかったです。

ーーーーー今後、やりたいことは何ですか?

「子ども未来塾」という体験教室をやっているので、子どもたちに少しでもいいから、日本の伝統に触れてもらえるようなことをしていきたいですね。子どもたちはよく頑張るし、夢中になるし、やっぱりいいですよ。

自然が生み出す色合いの美しさ。時代の変化。父から託された伝統。それらを引き継ぎ、子どもたちとふれあう林部さんがいること。こうしたご近所付き合いが、街の魅力を語り継いでいくのかもしれませんね。

林部さんの手。この日の藍染めで、手があおくなっていた。厚みのある、職人の手。

(2017/10/12掲載)

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会える場所 林部草木染友禅工房(ギャラリーショップ花蔵内)
長野市東町147
電話 026-233-1972
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