No.042
大橋
良隆さん
AC長野パルセイロ・ミッドフィールダー
攻守に効いている中盤の要
「いまやるべきことを精一杯」
文・写真 Takashi Anzai
相手がボールを持っているときは敵の一番嫌なところへ顔を出し、味方ボールのときは一番いてほしいところに顔を出す―。
豊富な運動量と的確なポジショニングができる戦術眼がAC長野パルセイロのボランチ・大橋良隆選手のプレイの特長です。
「目立たないけど攻守に効いている、そういうプレイを見てほしいですね。(自分は)得点をたくさん取る選手じゃないんで、はっきりは見えないし、結果とかが表に現れないですけど、ちょっとサッカーを知っている人とか、分かってきた人とかが、『あの5番さぁ、攻撃にも効いてるし、守備もいいとこいるよね』って言ってもらえるようなプレイを心がけたいですし、そういうところを見てもらえればいいなぁと思っています」
大橋選手はパルセイロ在籍6年目。ここまでチームのJFL昇格そして優勝を支えてきた存在であり、昨季まで3年連続JFLベスト11に選ばれるなど実績も積み重ねています。しかし、発する言葉はあくまで謙虚で、黒子的な役割を楽しんでいるようすが見て取れます。
「あんまりド派手なこともできないので。そんなに目立ちたいとも思わないですし(笑)。そういう部分では、潤滑油として、うまくチームを回すことができればと思っています」
憧れの選手はポール・スコールズ(元マンチェスター・ユナイテッド)。「小柄な自分でもやれる、と思わせてくれた選手です」とのこと(写真:AC長野パルセイロ提供)
「チームには点取り屋がいたり、守備で身体を張る人がいたり、パワーがある人がいたり、という中で、自分はうまく前後を繋ぐというか、うまく一つの駒として(プレーしよう)という気持ちがずっとあります。昔は攻撃的なMFで、どっちかというとアシストをしたりゴールを決めるというポジションでした。でも、ポジションが下がってきて、今のボランチにたどり着くまでに、自分の原点というか、やれることを見つめなおしたとき、派手なプレイというよりもバランスを取るとか、堅実にやると言う方が自分のプレイなのかなと思うようになりました」
大橋選手のプレイは自身の言葉通り堅実で、かつ基本に忠実です。そしてそこに献身性という武器が加わります。だからこそ、スタジアムには大橋選手の背番号5のユニフォームを着たサポーターが数多く詰めかけます。
「ホントに多くの方に(ユニフォームを)着てもらっていて有難いです。40~50代が多いのかな。サッカーを知っている人たちに5番を着てくれている方が多いように感じるので、『ああ、見てくれている人がいるんだな』と嬉しくなりますね」
大橋選手は埼玉県生まれ。浦和南高校時代、全国高校サッカー選手権で活躍し、仙台大学へ進みます。仙台大学ではキャプテンとしてチームを引っ張り、天皇杯初出場を成し遂げるなど結果を残しました。そして当時J2のベガルタ仙台に入団します。順風満帆なサッカー人生に見えますが、大橋選手は大学卒業直前まで、プロになれるかどうかは半々だと思っていたといいます。
「もうサッカーも終わりかなと半分くらい考えてもいたんですけど、大学サッカー部である程度の成績を収めることができて、チームが上に行くことで、一番身近なベガルタ仙台が興味を持ってくれて。そこで、ようやく『なれるかもしれない』と」
「自分は先のことを考えるのは得意じゃないんです。今やるべきことを精いっぱいやり続ければ道は開けるだろうという感覚なので、大学でもチームが一生懸命やって成績を残すことが第一優先でやっていました。12月の中旬くらいまで試合があったかな。大学サッカー選手権とか。それまでは目一杯サッカーをやって、終わってから考えればいいやとしか思っていなかったんで(笑)」
しかしその後、ベガルタ仙台を2シーズンで戦力外となり、東北1部のNECトーキンへ移籍しますが、そのチームも2年後に休部となってしまいます。苦しい状況の中で、当時、北信越1部に所属していたパルセイロから誘いが来ます。
「ここに来られたのはラッキーでした。当時、ベガルタで半年間一緒にプレイした丸山良明さんがこのチームにいて、前のチームが廃部になったときに真っ先に電話をくれたんです。人の縁ですよね。サッカー人生がつながったので、このチームには拾ってもらったという気持ちが強いです」
そこから大橋選手は成長を続け、攻守の要として活躍、JFLを代表する選手になりました。
そして、その6年間の中でも美濃部直彦監督が就任した一昨年から、成長が加速したと実感しています。
「サッカーに対しての考え方も大きく変わりました。自分たちはあまりサッカーを知らなかったなぁと思います。サッカーにも原理原則があって、今までは感覚でやっていた部分が大きかった。美濃部監督になって、原理原則に近付けるというか、それを知ることでサッカーの基本を学ぶことができたと思います」
少年時代を「狭い空間で勉強とかするのは苦手だった(笑)」と振り返る。「サッカーばかりやっていましたね」
「一昨年まではホント感覚でやっていましたね。なので、一昨年美濃部監督が入ったときというのは、その感覚とサッカーの原理原則というのをすり合わせるのに、やっぱり戸惑いがありました。知らなさすぎて『え、なんで?』と思う部分がなかなか自分でも消化できなくて、最初の方は迷いながらというか、半信半疑でプレイしていたというのはありましたね。でもそれを知ることで、選手として、一段も二段も成長できたかなと思いますけど」
今季で31歳を迎える大橋選手。選手としては円熟期を迎える年齢ですが、成長には貪欲であり続けます。
「(美濃部監督から学んだことは)ボールのもらい方、ポジショニング、立ち位置、それからボールの蹴り方など技術的なことも含めてです。去年に関してはすごく成長したと思うので、この成長を止めることなく、まだまだ成長したいと思います」
他の選手のコンバートなどもあって、ここ3試合(6月22日時点)はベンチから戦況を見つめる時間が多くなりました。しかし、人一倍強いチームへの貢献意欲は少しも衰えていません。
「来年からはJ2で戦えるチャンスがあります。そのチャンスをものにするために、ここからさらにチームの団結力が絶対必要になってくると思います。今、自分としては試合に絡めていないですけど、試合に絡めていない人間も含めて、やるべきことはチームが優勝して、J2に上がるということなので、そこは同じ目標に向かってやっていければ。これからプレッシャーはさらに厳しくなってくると思うんですよね。でも、そこはチームの団結力があれば乗り越えていけると自分は思っています」
「この6年間は1年1年、あまり後ろ向きになることはなくて、常に前向きにプレイした結果が今のこの順位、この場所に」と話す大橋選手
AC長野パルセイロは6月22日現在、J3リーグで2位につけています。ホームでの観客動員数も含めJ2昇格は十分に狙える位置にいます。視界にはJ2という夢の舞台がちらつき始める状況ですが、大橋選手は一歩一歩、目の前のことを全力でやり抜くというスタイルを崩さないことが大事だと考えています。
「いまを全力でやり続けていれば、良い方へ向くと信じてやってきているので、今年も全力でやり続けて結果を残せれば、来年もできると思いますし。いま置かれている状況、置かれている立場で一生懸命やろうと常に思っています」
決して派手ではないが玄人受けするプレイスタイルにファンも多い
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会える場所 | AC長野パルセイロ 長野市屋島北屋島3300 電話 ホームページ http://parceiro.co.jp/ |
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