No.360
降旗
健さん
いろり2代目店主
瓦を使った名物料理「かわら焼き」
文・写真 くぼたかおり
母が始めた店から、歴史は始まった
権堂アーケードを歩き、大通りがある横断歩道を超えて東に進んでいくと、長屋作りの個人商店が通りを挟んで並んでいます。ちょっとディープな雰囲気が漂う西鶴賀町には、古くからこの地で商売をしている店がちらほら。その1軒が今回紹介する「いろり」です。
「いろり」の創業は今から50年前で、降旗健さんの母・克子さんが始めました。降旗さんの両親はもともと宿泊業をしていて、職場恋愛の末結婚。2人とも長野市出身ではありませんでしたが、父の喜久夫さんがかつて長野市にあった飲食店の料理長として呼ばれたのを機に長野市に移り住むように。克子さんも自分で何かしたいと物件を探し始めて、現在の店がある場所に「いろり」を開業しました。
店を始めた当初は現在の広さの1/3程度で、提供したのはおにぎりとお酒のみ。それでもたくさんの常連客がつくようになり、大家さんから「もっと店を広くしたらどうか」と提案されました。そのタイミングで喜久夫さんも勤めていた飲食店を退職して店を改装。一緒に店を切り盛りするようになりました。
店は権堂商店街を抜けた東側、西鶴賀町にある。隣接のタイ料理店とは壁1枚の長屋で時折スパイシーな香りが漂ってくることも
瓦を鉄板のように使ってみよう
かわら焼きを出し始めたのはそのころで、喜久夫さんがが考案しました。
「父の実家に、使い古した瓦が積まれてあったそうです。何か使えないかと考えていた時に、当時から石焼きや鉄板焼きはあったので、ならば瓦で焼いてみよう!と思ったそうです。そのころ権堂町にも瓦屋さんがあったそうで、そちらの職人にも相談したそうですが、火にかけたら割れて出来るはずがないと一喝されたそうです(笑)」
実際に瓦屋さんに依頼してオリジナルの瓦を作ってもらったところ、火入れをすると割れてしまうことが続きました。その原因は、機械練りにあったと言います。
「かつては瓦も1つずつ手練りで作られていました。昔の瓦屋根を思い浮かべると分かると思いますが、昔は瓦にこけや草が生えることも。それは瓦にむらがあって、中に水分をたくわえたからなんです。そこで使用する瓦を手練りの瓦にしたところ、むらに油分や水分が含まれて割れることなく使用できることが分かったんです」
試行錯誤を経て初めてかわら焼きを披露した際には、「出来るはずがない」といった瓦屋さんも招待。美味しく焼けた肉を見て「負けました」と降参したそうです。
店内はカウンター、テーブル席、座敷があり、出張中に1人で立ち寄るサラリーマンから宴会客までさまざま
瓦で焼くと蒸し焼きのように
以降、店の看板メニューとなったかわら焼きは、酒場ライター等で活躍する方の紹介によって、より多くの人に知られるようになりました。
「瓦は厚みがあるので、温めるのに時間がかかる分、一度温まると冷めにくいという特徴があります。肉や野菜はじっくり火が通っていくので、こげることがありません。食べると蒸し焼きのようでふっくらと仕上がり、肉はあっさり、野菜の甘みを存分に楽しめます」
たしかに肉を焼いて提供しているにも関わらず、店内は煙くさくありません。匂いに敏感な女性客が多いのも納得です。
健さんが店を手伝うようになったのは、今から21年前のこと。小さいころは家業を継ぐ気はなかったそうですが、結婚などいくつかのタイミングが重なり、常連客がいる店を残したいという両親の気持ちに応えました。
健さんが店に立つようになってから、少しずつ地酒や焼酎などお酒のバリエーションを増やしています。春や秋には健さん自ら山に行って収穫する山菜やきのこ料理を目当てに訪れる人も多いそう。
「西鶴賀町の飲み屋に来る人はチェーン店などに飽きたコアな酒好きが集う」という言葉どおり、周りを見渡しても、扉を開けるのがドキドキしてしまうような小さな店が所狭しと立ち並んでいます。そんな昭和の名残を感じる町並みもまた、人を惹き付ける要因となっているのでしょう。
かわら焼きは1人前1,600円で基本は2人前から提供。ただし1人で訪れた方には1人前も用意
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会える場所 | いろり 長野市西鶴賀町1479 電話 026-234-3557 営業時間:17:30~23:00 |
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