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わくわく・共感できる長野の元気情報を配信します!

ナガラボはながのシティプロモーションの一環です

No.217

川崎

昭仁さん

ギタリスト

「自分の存在価値は、このギター」

文・写真 Chieko Iwashima

ピースサインのできないギタリスト

長野市在住のギタリスト・川崎昭仁さん。バンド活動のほか、さまざまな楽曲提供も行うプロのミュージシャンです。そのテクニカルなギターを耳にしただけでは想像できませんが、川崎さんは手足のほとんどが動かず、電動車イスで生活しています。

「僕の手は拘縮(こうしゅく)して変形しています。グーとパーはできるけど、チョキはできない。親指と人差し指で物をつまんだりはできますが中指、薬指、小指はうまく動かせません。腕は、何とか肩ぐらいまで上がります。みんなと同じようには弾けなかったので、独自の方法を編み出してかっこいいギタープレイができるようになりました」

独自の方法という通り、実際に演奏するところを間近で見ても、どうやって弾いているのかよくわかりません。しかし、速弾きもなんなくこなすその姿はインパクト大。目も耳も離せず、感嘆のため息がもれました。

本名は「アキヒト」だが、音楽活動をするときには「Showji( ショウジ)」が通り名になっている

「本当に弾いているの?と聞かれることも多いです(笑)。僕は手首を返すことができないので、上からネックを押さえるように持って弦を押さえます。右手は普通にピックを持って弦を弾きますが、握力がないので弦の太いアコースティックギターは弾けません。僕が使うのはエレキギター。僕の弱い力で弾いた弦の振動を電気の力で大きな音にしています」

川崎さんの弾き方はオーバーハンド奏法といいます。タッピングなどと並ぶテクニックの一つでパフォーマンスを派手に魅せるために用いられる弾き方ですが、これが川崎さんのスタンダードスタイルだといいます。

「自分のギターを、できるだけたくさんの人に聴いてもらいたい。特に、障がい者とか福祉とかを自分と関係がないことだと思っているような人に。障がい者イコール弱者としか見ないような人の固い頭を耕していきたいです」

1998年と2010年の日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」のオーケストラに参加し、久石譲氏の指揮でTOKIOと一緒に演奏した

ギターに出会って変わった人生

川崎さんは、1歳の頃に原因不明の高熱が出てから手足が麻痺したといいます。

「大きくなって病気が治れば手足も動くし、立ったり歩いたりできると思っていました。でも小学3年のときにそれはできないことだと医者に言われて、ものすごく落ち込んだことを覚えています」

小学校、中学校は普通校に通いましたが、手術やリハビリで入院期間が長かったため、普通校に籍を置きながら医療センターに併設されている養護学校にも通っていました。

中学生の頃はやんちゃもたくさんしたという川崎さん。

「他校の生徒とかとケンカになると、僕は体が使えないので口先で戦っていました。一緒にいろんな悪さもしたけど、そういう仲間の結び付きは強くて、みんなが僕を抱えて車の乗り降りとかトイレとか手伝ってくれました」

ケンカをして警察沙汰になったとき、友だちはみんな手錠をかけられたのに、川崎さんだけ手錠もかけられずに警察に担がれてパトカーに乗せれたことがあったそうです。

「取り調べで、おまえみたいなやつが、なんでこんなやつらといるんだって言われて。それって障がい者に対する偏見ですよね。警察は僕をみんなと同じように扱ってくれなかったことにプライドが傷つきました。自分のしたことは棚に上げて言ってますが(笑)」

2014年10月にビックハットで開催された「ハピスポ広場」のバンドにゲスト参加(写真提供:清水かほり)

高校生になって、ギターを始めたことで不良少年から更生できたという川崎さん。
ギターを始めたきっかけは、テレビでトニー・メレンデスというシンガーソングライターを見たことからでした。

「彼は生まれつき両腕がなく、足でギターを弾いていました。彼が演奏した『Let it be』のかっこよさは衝撃的で。足で弾けるなら、僕のこんな手でも弾けるだろう、なんて思いました」

それからというもの、学校が休みの日は朝から晩まで練習。トイレとお風呂のとき以外は肌身離さず、夜は抱いて寝ていたといいます。高校を卒業すると上京し、音楽の活躍の場を広げ、帰郷後もライブハウスやさまざまなイベントでライブを中心に精力的に活動。その様子はさまざまなメディアでも取り上げられました。オリジナルレーベルも立ち上げ、1998年の長野パラリンピックと併催された長野アートパラリンピックのテーマソングには川崎さんの楽曲が起用されました。

オリジナルモデルのギター。川崎さんが使いやすいように小さめのボディでネックも薄く握りやすいようにできている

一人でも多くの人に聞いてもらいたい

歳を重ねるにつれて人のために何かしたいという思いが強くなってきたという川崎さん。現在は長野市内にある福祉関係のNPO法人に勤務し、最近では車イスでも行きやすい善光寺門前付近の飲食店の情報を集めた「ユニバーサル観光マップ」というアプリを長野高専や信大附属中学校の生徒と協力して作り上げました。

「今、福祉の仕事をしているのも、支えてきてもらった人の縁に恩返しをしたいという思いがあるからです。でもやっぱり、僕の役割は音楽をやることかなと思っています。僕は、車イスのギタリストとか、障がいがあってもがんばっている人というような『障がい者枠』でとらえられることが昔はイヤでした。一人のギタリストとして扱ってほしかったし、やっぱり障がい者ということに多少コンプレックスは持っていますから。だけど、重度な障がいのあるこの体のギタープレイが人の目を引くのなら、もうそれも武器にしてしまえと思うようになりました」

きっかけは何であれ、一人でも多くの人に聞いてもらうことが大事だと思えるようになったという川崎さん。健常者や障がい者に関係なく、音楽はボーダーレスだと話します。

昨年5月に市内で行われた「ふくしに何かしたい人が集まる会」では演奏とともに、あきらめないことの大切さを語った。小学校などで講演会も開催している(写真提供:Happy Spot Club)

「誰か一人でも何かを感じ取ってもらえたら、本当にうれしい。笑われるかもしれないけど、海外でもライブをやってみたいし、どんどん社会に出て行って、ピースサインもできないような車イスのやつが、こんなテクニカルなギターを弾けるんだぜって驚かせてやりたいです。自分の存在価値は、このギターだと僕は本気で思っています」

生き方そのものがロックな人というのは川崎さんのような人のことを言うのだろうと思いました。心のバリアを一瞬で消すような彼のギターを、ぜひ一度聞いてみてください。

2009年に結婚。1歳の娘さんと3人暮らし

(2015/03/20掲載)

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