No.141
中沢
定幸さん
クリエイティブディレクター/グラフィックデザイナー
天才!でも変態
遊び心と洗練されたセンスの絶妙なバランス
文・写真 Takashi Anzai
優雅な白鳥とコスプレの白鳥
面下で必死にもがいている優雅な白鳥―。
白鳥の湖のコスプレをするコメディアン―。
アートディレクター・グラフィックデザイナーの中沢定幸さんから連想するのは、上記の2羽の白鳥です(私見です)。
中沢さんは、海外のポスターコンクールで最優秀賞に輝くなど、県内で最も活躍するクリエーターの1人。美術館のポスターやワイナリーのロゴをはじめとしたスマートなデザインから、ほっこりするイラストをあしらったパッケージなど、多彩なタッチと切り口で人の目を惹きつけ、多くのクライアントから厚い支持を受けています。
一方で、今年行った展覧会のタイトルだけを見ても、その奔放で愉快な人柄は伝わってきます。自ら妄想した妖怪を屏風に描いた「須坂モンスター絵巻」。商店の息子さんにコスプレをさせた写真展「看板むすこ」。そのキャッチコピーは「天才!でも変態」。全力で日々を楽しんでいることが伝わってきます。
「調子に乗り過ぎて怒られることも多々あるよね。中身は言えないけど」
そう笑って、頭を掻きます。
しかし、荒唐無稽なアイディアが次から次へと出てくる天才肌という印象に反して、同業者から聞こえてくるのは「中沢さんはいつ寝ているのかわからない」という声。中沢さんに真偽のほどを確かめてみると、「夜中の2時に起きる生活をしている」とのこと。まさに水面下でもがく白鳥です。
「追われているだけだよ。でも、夜遅いのは苦にならない。自分で納得いったところまでやる。クライアントは本当に真剣に考えているから、自分も真剣に考える、だから続けられるのかな」
中野ひな市のポスター。イラストが入った作品は自分らしさが出ると話す
30歳手前にして知ったグラフィックデザインの世界
高校時代、美術系の大学に進まないことを先生に驚かれたという逸話からも、そのセンスの高さがうかがえる中沢さん。しかし、本格的にデザインの仕事を始めたのは29歳のとき。それまでグラフィックという言葉も知らなかったといいます。
専門学校を卒業後、法規関連の出版社で編集の仕事をしていた中沢さんは、「もっと遊びたかった」という理由で、残業や休日出勤の少なかった郵便局に入ります。保険営業などで優秀な成績を上げながらも、物足りなさを感じていた25歳のころ、友人が県内で最も有名なデザイナーの1人、原山尚久さんのもとで働き始めました。
その土地のよさ、おもしろさを伝える商品も多い
「その友達の話を聞いて、デザインという仕事を知って、面白そうな仕事だなと思って。同じ頃、銀河書房の観光の本でナカムラジンさんのイラストを見て、だれが描いたか調べた。その2つがきっかけで、こういうことでお金がもらえるんだ、ということをようやく知ったんだよね」
そして、中沢さんがデザインの仕事をしたがっていることを知った、旧知のデザイン事務所から声がかかり、新たな世界に足を踏み入れることになります。時代はマッキントッシュが世に出始めた頃。入った事務所は県内でもマックをいち早く導入していて、中沢さんはその面白さにのめり込んでいきます。
しかし、順風満帆とは行きませんでした。最初のデザイン事務所を約1年半で辞め、次のデザイン事務所も1年余りで退社。
「多分、すごく尖っていたのかな。なんか合わなかったんだよね。言われた仕事をやるのが嫌だったんだろうね。社長からこれやってと言われても、僕こっち忙しいんでこっちやってますみたいな感じで断ってたし。そりゃ嫌われるよね(笑)」
そして、「それしか残されていなかった」という独立という選択をします。
「すごく不安だったよ。クライアントは2、3ヶ所しかなかったし。でも、どこも雇ってくれないんだもん。どこかで働きたかったんだよ、僕だってさ(笑)」
甘く見るなと怒られることもあったという中沢さん。それでも、そのときに知人がかけてくれた言葉を胸に前を向いたといいます。
「僕は知識が少なくてそれが不安だったんだけど、ある人が、物事を調べる手段さえわかっていればやっていけるから、大丈夫だよと言ってくれた」
そして、その頃出会ったのが、県内デザイン界の重鎮でした。
「デザインはコンセプト」
「師匠とは、ほとんど一緒にいたね。いま考えると本当におかしいんだけど、小さな仕事、たとえば名刺のデザインだとかで呼ばれる。それで、午後4時ぐらいからドトールに行くの。そのあと、2人ともお酒飲めないのに、6時くらいに居酒屋入って酒も飲まずに飯を食って、それで権堂行って、午前3時ぐらいまでずっと一緒にいる。最後にロイヤルホストでお茶飲んで帰るという生活をしていた。その間にデザインを教えてもらったんだね」
中沢さんが慕う「師匠」から、特に説教じみた言葉をもらったことはなかったといいます。ただ、一言だけ今でも仕事をするうえで大切にしている言葉があります。
「『デザインはコンセプトだ』という言葉。ビジュアルとかではなく、考えが貫かれていればそれでいいということ。それは今でも自分の軸になっているし、感謝している」
その後、徐々に仕事が増えてきたと同時に、海外のコンクールなどで次々と認められたこともあり、多忙をきわめるようになった中沢さん。持ち前のセンスに加え、前述のとおり「いつ寝ているかわからない」というスタイルで現在の地位を築き上げていきました。
2004年、40歳のときには、デザイナー仲間4人とクリエーターズユニット「ナナット」を結成。より消費者に近いデザインを模索するという目的で、Tシャツのデザインから始まり、その後、トートバッグなどの実用的な商品だけでなく、だるまなどの小物もデザインして販売するようになりました。
だるまりんご。「自分で気に入った商品ほど早く売れて、手元になくなってしまう(笑)」
「仕事は仕事で表現活動だけど、クライアントがいて、一緒につくりあげていくもの。
コンペは実験の場所。印刷物だったら、こういう印刷してみようかなとか、普通の仕事ではできないことができる。しかもコンペは、グラフィックの人がきちんと審査してくれれば、自分の立ち位置がわかる。そういう確認をする。
ナナットは、自分の仕事ではなく、実験でもなく、もっと消費者に近い、でも自分のオリジナルって何だろうなと考える表現の場」
中沢さんデザインのオリジナル商品は須坂市の「アトリエとお店、ときどき教室 ヤンネ」で買うことができます。中沢さんは、あまり売れ筋ばかりを意識しないようにしていると話しますが、デザインのよさから結局は売れているようです。
今後については「出来るだけ長く続けたい、将来のことを深く考えたことはない」と笑う中沢さん。インタビュー中ずっと笑顔でしたが、急に真顔になったかと思うと、口から出るのは冗談だったり、その逆もあったり。何ともつかみどころがないのは、究極の照れ屋だからでしょう。
「自分がつくったものがいいねって話を聞いたりすると嬉しいよね。でも、正面切って言われると、照れる。だから、横で聞いていて、『しめしめ』というぐらいがちょうどいい(笑)」
今度、中沢さんに会ったら、去り際にさりげなく「しかし、あの作品よかったなあ」とつぶやきながらフェイドアウトしようと思います。
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会える場所 | アトリエとお店、ときどき教室 ヤンネ 須坂市須坂(本上町)100-2 電話 中沢デザイン事務所 「7710 101010 nagoya ナナットトート展 日本10県行脚編 in 名古屋」 |
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