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No.142

春日

さん

加賀井温泉一陽館

人間の原点の湯

文・写真 Yuuki Niitsu

湯治、炭酸、源泉の上での温泉業

信州松代は、古代から、戦国、江戸、明治、大正、戦前戦後に至るまで、それぞれの歴史文化がまるで地層のようにぎっしり積み重なった歴史ワンダーランドです。特に、江戸時代、真田信之が江戸幕府の命により上田から松代に移封され、松代藩初代藩主となって以来250年間、真田十万石の城下町として、真田氏が十代にわたって統治してきました。そのため、松代城、真田邸、文武学校などの文化遺産や歴史的まち並み、そして真田の伝統文化が今日まで色濃く残っています。
この町の外れに知る人ぞ知る秘湯があります。

「うちは湯治としての温泉。温泉本来の姿としての体の悪いところを治すのが目的だから。
お客さんが、温泉に入る前と入った後で歩き方が全然違うんだよ。帰りのほうが背筋がピンとして生き生きと歩いているのがわかるね」

こう話すのは、加賀井温泉一陽館の店主春日功さんです。
一般的に、温泉には観光温泉と湯治温泉の二種類があるといいますが、一陽館は完全に後者です。そのため、浴室に洗い場はありません。中に入ると脱衣場と湯船が一緒になっていて、男風呂と女風呂が左右対称の造りになっている昔ながらのスタイルです。これを「大湯スタイル」と呼ぶそうです。
大正、昭和時代は一般的なスタイルでしたが、現在はあまり見ないため温泉愛好者が最近になって付けた名前だといいます。

一陽館の特徴はこれだけにとどまりません。源泉がなんと炭酸を含んでいるのです。源泉を見せていただいた私はド肝を抜かれました。泡がブクブクと溢れているではありませんか。この中で球団の優勝祝賀会のビールの掛け合いが行われているのかと思うくらい、シュワシュワと泡が出ているのです。思わず手を入れてみたら、つるつるで滑らかな肌触り。そのまま口に注ぐと、塩分のしょっぱさに甘みがのった珍しい味でした。

「炭酸を多く含むことで、炭酸ガスが体内に入り血管を広げるから血圧が下がる」とご主人は言います。

左右対称で、お寺の造りになっている。温泉愛好者からは「大湯スタイル」と呼ばれる

そして何といっても一番すごいところは

「源泉の上で温泉業を営んでいる珍しい店」という点です。

普通は、源泉から配管を使い、90度近いお湯を3~4キロという距離の間に適温まで冷ましたり、または加水してから温泉として使用するのが一般的であるといいます。そのため、いわゆる「鮮度」が落ちてしまうそうです。

「うちは地下120メートルから41度のお湯が沸き出てきて、その源泉をそのまま横にある湯船に流しているので新鮮そのもの。光熱費や水道代は一切かからないんですよ」

ご主人は自信をもって話します。

「湯治、炭酸、源泉の上での温泉業」

私にはもう言葉がありませんでした。逆に「すごいすごい」という安易な言葉を発したところで何の意味もありません。あとはこの偉大な湯に浸かるだけ、それだけでした。

炭酸を多く含む源泉。一定時間になると溢れてくるという

危機的状況で舵を取ったのは元船長

一陽館のある加賀井温泉の歴史は、1766年(明和3年)に加賀井集落の住人が田んぼの中から沸き出ている茶色いお湯を見つけ、そこに穴を掘って浸かると体が楽になったというのが始まりです。故に250年以上前から温泉が沸き出ていたということになります。

現在、春日さんの経営する一陽館は、先代の父が周辺の土地を整備をしたり配管を作り、昭和5年に温泉業を開始しました。
当時から湯治場として評判は高く、長らく繁盛しますが、先代が亡くなると後継者問題などで売却する話まで出るなど苦難の時代もあったそうです。そんな危機的状況において新しく舵を取ったのが、現在の経営者、春日功さんです。
前職はなんと船長で大学教授。

「30年間好きな事をやらせてもらったから」との思いから、64歳で先代の築き上げた一陽館を継ぐ決意をしました。

春日さんは、国内はもとより海外も航海でき、どんな船でも操縦できる「甲種船長」という当時の免許制度の中ではトップの海技免許を持っているそうです。さらに、母校東京水産大学で教授も務めていて、30年間の現役中は海外への渡航や船舶の指導に当たり、忙しい人生を送ってきたといいます。現在は、東京水産大学では名誉教授という肩書も持っています。

「船長時代には、瀬戸内海で濃霧の中の航海中に3000トン級の黒い船と1~2メートルのところで衝突しそうになったりと多くの危険な体験をしてきたよ。でも、今こうして生きていられるのは10歳の時に亡くなった母親が天から見守ってくれていたから、そして好きな事をやらせてくれた父親がいたからだね」

春日さんは目を細めながら話します。
その思いがあるからこそ、64歳という年齢で温泉業を引き継ぐという勇気ある決断を下したのです。

湯と脱衣所が一緒という大正スタイルの造りがそのまま維持されている。洗い場がないのは湯治温泉の証

3世代にわたり受け継がれる熱き思い

そしてその春日さんをサポートするのは、ご子息の陽造さんです。陽造さんは現在、一陽館の建物の1階にアトリエを開いており、アトリエをきっかけに、もっと若い世代にも一陽館を知ってもらいたいと願っています。

「おじいちゃん達が入っていた温泉を孫の僕が入っているって凄いことだし、他ではあまりないこと。それをもっと多くの若い人や孫の世代にまで伝えていくのが僕らの使命だと思うんですよ」

こう話す陽造さんの力強い言葉の中には、一陽館が背負う歴史の重みを感じました。

そんな陽造さんは最近、「ネイバーフッド松代」というブログをメンバー10数人と開設しました。

「松代には、観光に来た若い人たちが食べたり、遊んだり、見たり、癒されたりする場所を紹介するものがなかったので、自分が先陣を切りました」

一陽館のみならず町の活性化にも力を入れようと意欲を燃やします。

一浴入浴に対して、何度も入浴できる休憩入浴のお客さんが休むスペース。こたつやテレビがあり、自宅のようにくつろげる

「とにかく僕も父も全てにおいて全力投球なんですよ。お金じゃないんです、ここに生まれた使命みたいなものですかね」

こう語る陽造さんの熱き思いは、確実に先代から父へと受け継がれてきたものでしょう。

普段は、お風呂の掃除をするときはお湯の温度を確認するためにも平泳ぎで泳ぐというユニークで元気な春日さん。しかし、父は普段は背中で語るタイプだといい、この日取材で話してくれることの大半が初耳だと陽造さんは驚いていました。

この後、取材を終え念願の一陽館の湯に浸った私は、それまでの温泉観が変わりました。大湯スタイルと言われるその空間に入っただけで癒され、湯に浸かると心と体はまさに湯に預けた気分。あとはお任せします!といった初めての感覚を覚えました。何もしなくていいのです。何もする必要がないのです。

今までの温泉は景色を見て、湯に浸かり体を揉んで、隣の人と喋って、汗を出してスッキリして出てくる。どちらかと言えば能動的に癒しを求めていましたが、ここでは入るだけなのです。湯に入るという行為それだけでいいのです。まさに温泉の原点。
湯上り後の私は、昨日より少しきれいになった命を授かった気持ちになりました。

今回の取材で一陽館さんには度々、驚かされましたが一番ド肝を抜かれたのは、湯の鉄分で真茶色に染まった「ケロリン桶」でした。

の鉄分で真茶色に染まった「ケロリン桶」。歴史を感じる瞬間である

(2014/11/26掲載)

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会える場所 一陽館
長野市松代町東条55
電話 026-278-2016
ホームページ https://www.facebook.com/ICHIYOKAN
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