No.482
町田 哲也さん・ゆき子さん
日本料理 そば懐石 紡ぎ
数々の出会いの縁を紡ぎ、心尽くしの料理でおもてなしを
文・写真 島田 浩美
四季折々の山の幸に恵まれた長野県。その山の恵みを“そば懐石”というスタイルに仕立てて提供する「日本料理 そば懐石 紡ぎ」が、2022年3月、善光寺門前の蔵造りの商業施設「ぱてぃお大門 蔵楽庭」の一角にオープンしました。暖簾をくぐると迎えてくれるのは、温かい笑顔の大将・町田哲也さんと、女将のゆき子さん夫妻です。
こだわりの料理の背景にある、料理人としての修業の旅
開店して間もない新店ながら、「日本料理 そば懐石 紡ぎ」(以下「紡ぎ」)の評判はあちこちから届きます。というのも、大将の哲也さんは、金沢のミシュラン店をはじめ、数々の名店で腕を磨いた料理人。旬の信州の食材にとことんこだわり、素材の味わいを最大限に引き立てる調理の腕前を兼ね備えながらも、気さくな人柄が魅力です。妻のゆき子さんもまた、持ち前の人のよさや心配りをもったおもてなしで、訪れる人々を魅了し続けています。
料理は昼、夜ともに、自家製粉した香り高い十割そばを主役にしたコース。例えば、昼懐石のコース「好日」は全6品のお任せで、いずれも信州の旬の素材のおいしさが息づいています。
▲この日の先付は、小川村産の無農薬のカブと鯛を使ったかぶら蒸し。信州の伝統野菜である飯山市の常磐牛蒡(ときわごぼう)や木島平村産のキクラゲ、銀杏、安曇野市産のわさびや蕎麦の実の揚げ物を添えて
▲善光寺の寺紋である葵紋に見立てた八寸は、信州の食材が凝縮。長野市若穂産の綿内蓮根(わたうちれんこん)や、鯉の南蛮漬け、信州の伝統野菜・松代一本ねぎ、飯山市産の無農薬の花豆、大鹿村産の菊芋のコロッケ、美ヶ原高原で獲れた鹿肉、ゆき子さんの実家のりんご農家で採れたフジのワイン煮など
「料理は海のものを使うときも、添える素材には信州の伝統野菜など地のものを使うとルールに決め、一皿一皿に意味をもたせています」(哲也さん)
▲そばがきの揚げ出しはくるみ味噌とあわせて
▲炊合せは、酒粕の飼料で育った「信州吟醸豚」のつみれ。山形村産の長芋とともに味わう
こうした懐石のクライマックスを飾るのが、十割そば。これが、なんとも絶品なのです。そば粉は乗鞍在来種など県産のものを使用。麺はコシがあってなめらかで、そのまま、あるいは塩だけをつけて食べると、鼻に抜ける香りや風味、喉越しが余すことなく感じられます。濃い目のつゆをくぐらせても、そばの個性がしっかりとわかるほどの香り。ツルッとすすった喉越しがまた心地よく、食べ終わりたくないのに、箸がどんどんと進んでしまうジレンマを覚えるほどです。
「香りよく味よくそばを仕立てるベースには、日本料理で修業をした経験も生きています」(哲也さん)
▲起承転結のある懐石のコース料理を締める十割そば。シンプルに味わえるよう、添えられた薬味は塩と、信州の伝統野菜である下條村産の親田辛味大根のおろしのみ
▲濃厚なそば湯も十割そばの満足度を高めてくれる
そう話す哲也さんが料理人を志したのは、19歳の頃。もともとは音楽の道をめざし、地元の長野市から上京してひとり暮らしをするなかで、料理を作る楽しさを覚え、友人たちが喜んで食べてくれる姿が印象的だったことがきっかけでした。
そこで、自己資金で調理師学校に通うことを決意。長野に帰郷し、朝から晩までアルバイト生活を送って学費を稼ぎ、東京でジャンルを問わず料理をトータルで学べる1年制の専門学校に入学しました。再度上京したのは、音楽の夢も諦めきれなかったからだと言います。
入学後は、調理の勉強をしながら、バンド仲間を集めて音楽も継続。卒業してからも、割烹や日本料理店に就職し、バンドを続けていました。しかし、次第に地元の同級生たちが社会人として成長していくなか、哲也さん自身は音楽も料理の仕事もしっくりと来ず、職場では昔ながらの縦社会が根付く日本料理の世界の厳しさにも直面。焦る日々が続きました。
こうして23歳だった2003年、「地元に戻って出直そう」と就職したのが、善光寺門前の老舗旅館「御本陳 藤屋旅館(現・THE FUJIYA GOHONJIN)」です。旅館として経営していた時代の最後の板前として勤務。さらに、2006年、旅館業から現在のレストラン兼結婚式場「THE FUJIYA GOHONJIN」へと業態転換を図ったことがひとつの分岐点となりました。
▲1648年創業の「御本陳 藤屋旅館」が約350年のときを経て、レストラン&ウェディング施設「THE FUJIYA GOHONJIN」にリニューアル。アール・デコ様式の建物は善光寺門前のランドマークにもなっている
「『THE FUJIYA GOHONJIN』には、スタッフ皆がひとつになって新たな施設をつくりあげていこうという団結力がありました。それまで夢や希望が持てない人生でしたが、ここからようやく『料理の道でやっていこう』と決心ができました」(哲也さん)
その立ち上げスタッフの一人として出会ったのが、接客サービスを担当していたゆき子さんです。業態転換後、「THE FUJIYA GOHONJIN」で哲也さんはイタリアンレストランのシェフに。さまざまなポジションも任せてもらえるようになりました。そして3年目、「やはり和食を作りたい。いつかは自分の店を持ちたい」と考え、トータル5年半ほど働いた職場を退職。再出発を図ったのです。
人生のどん底を味わい、試行錯誤を繰り返した日々と家族の支え
退職後は、結婚したゆき子さんとふたりで長野市内外のさまざまな店を食べ歩き、巡り合った日本料理店で5年間修業。厳しい徒弟制度のなか、理不尽な思いをしたことも多々あったそうですが、支えになったのは、ゆき子さんや子どもたちなど家族の存在でした。
「家族サービスは全然できず、たまに出かけると言えば、長男を連れて紅葉など料理に使う季節の葉を取りに行くくらい。でも、ある日、保育園に通う長男に初めてお弁当を作り、キュウリを飾り切りして入れたら、先生や周囲の友だちに称賛されたと長男がすごく嬉しそうに帰ってきました。『ありがとう』と言われ、影で泣きましたね。ものを作って人に喜んでもらえる、そんな生き方をしたいと励みになりました。その出来事が今でも仕事の根底にあります」(哲也さん)
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
そして、次のステップアップに向けて新たな修業先に選んだのが、ミシュラン2つ星の石川県金沢市の有名料亭「つる幸」です。金沢はかつてゆき子さんが大学時代を過ごした馴染みの土地。家族で旅行に出かけ、食事をした同店の全てに感動したそうです。
「味はもちろん、器の使い方、おもてなしなど何もかもが洗練されていて、レベルの高さに感動しました。長野で自分がやりたいお店はこういうかたちだと思い描けました」(哲也さん)
その感激からすぐに再訪し、「この店で修業をしたい」との思いを強くした哲也さんは、熱意を手紙にしたためて「つる幸」に送付。同時に、ゆき子さんにも相談をしました。ゆき子さんの返答は「次男が生まれたばかりでまだ小さいのだから、2年という期限を決めて働いてはどうか」というもの。同店にもその依頼を受けてもらえ、2013年、哲也さんは単身、金沢で修業をはじめたのです。
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
ところが、やはりそこは古くからの慣習や厳しい徒弟制度が色濃く残る独特の業界。覚悟を決めて入社をしたものの、あまりの仕事のきつさと、太刀打ちできない自分の不甲斐なさに、人生一番のどん底を味わったと言います。それでも簡単には長野に帰れない状況。次第に心身に不調を来すようになり、包丁も握れないほどの精神状態に追い込まれていきました。
見かねたゆき子さんは、子どもたちを連れて金沢に向かい、家族で一緒に暮らすことに。すると、「つる幸」の大将から「将来、夫婦で店を出したいなら、今から『つる幸』で一緒に働くべきだ」と言われたそうです。ゆき子さんにとっては、青天の霹靂でした。
「『THE FUJIYA GOHONJIN』で接客自体は学びましたが、当時は着物も着られませんでしたし、厳しい日本料理の業界で日本文化も知らないといけない。一度は断りました。しかし、教えるから大丈夫だと仲居さんたちに言われ、私もまた覚悟を決めて修業をすることになりました」(ゆき子さん)
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
その後押しになったのは、初めて「つる幸」を訪れたときの経験です。
「未満児を連れての食事でしたが、のちに私の先輩となる仲居さんが『せっかくの機会なのだから、ゆっくりと食事をしてほしい』と子どもを見てくれました。おいしさはもちろん、私たちの過ごし方も含めて食事の時間を大事にしてくださっていることにも感動し、ここまで心配りをしてくれる一流店で働けるなら、よい経験になると思いました」(ゆき子さん)
それでも厳しい世界。ゆき子さんは泣きながら着付けを覚えることもあったそうですが、持ち前の人柄により周囲を惹きつけ、次第に周りから認められるようになったと言います。
「つらいこともありましたが、やはり夫婦で店をやりたいという夢があったから前向きに頑張れました。その姿を見ていた仲居さん方も、興味本位で働いているわけではないと理解してくれ、親身になって、厳しくも愛情をもって育ててくれました」(ゆき子さん)
哲也さんにとっては、ゆき子さんの存在が心身の拠り所になりました。
「手前味噌ですが、女将(ゆき子さん)は人当たりがよく、人の悪口も陰口も言わないので『つる幸』の女将さんや大将にもだいぶ気にかけていただきました。おかげで、僕に対する周囲の当たりも以前ほど強くなくなったほどです(笑)。長野での修業時代も女将に支えらましたが、金沢では女将がいなければ仕事は続けられませんでした」(哲也さん)
こうして期限の2年間が経ち、哲也さんが長野に帰るタイミングを迎えても、ゆき子さんは「もう少し仕事を続けてほしい」と引き止められたのだとか。人となりのよさが伝わってくるエピソードですが、結果、哲也さんは修業のため単身で帰郷。続いて選んだのは、信州の郷土料理に欠かせない「そば」でした。
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
渾身の“そば懐石”で、長野で唯一無二の料理店をめざして
そば打ちの修業に向かったきっかけは、金沢時代に家族で出かけたミシュラン1つ星のそば懐石の店で、味わいやスタイルに感銘を受けたからです。
「 “そばの国”の信州で料理店を営むなら、長野にそれほど多くない『そば懐石』が強みになると思いました」(哲也さん)
そこで、半年間という期限付きで、泊まり込みで研鑽を積んだのが、知り合いから紹介を受けた山形村の「そば処 木鶏(もっけい)」です。「お客様も家族も生産者も大切にする」「生産者と一緒に料理を作りあげていく」「人と人をつなぐそば屋でありたい」といった思想に共感し、地産地消にこだわる姿や、石臼で自家製粉する技術、そばと対話をしながら打つ強い思いなどを学びました。
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
同時に、さまざまな勉強会にも参加。そば打ちの勉強会で知り合った京都の石臼職人には、挽きたいそば粉のイメージを伝え、オーダーメイドで石臼を特製してもらったそうです。そうしたなかで特に大きな出会いとなったのが、長野市中条で農薬や化学肥料を使わず、土作りにこだわった有機農法を手がける「まごころ・ふれあい農園」の久保田清隆さんでした。
「参加した無農薬や伝統野菜のセミナーで、久保田さんが話しながら感極まって涙を流す様子を見て『いいな』と思い、家族で久保田さんの畑に行きました。すると、子どもたちが生き生きとしたようすで農産物を収穫し、普段食べない野菜もおいしいと言って、その場で食べていたんです。その姿から、海のない長野で日本料理を提供するなら、そばと同様に野菜にもこだわりたい、地のものを使っていくことが僕の使命なのだと、店づくりのヒントをもらいました」(哲也さん)
▲山や林に囲まれた久保田さん(中央)の畑にて(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
また、ゆき子さん自身も、自分たちの店での接客を通じ、訪れた人に生産者の思いを伝え、そのおいしさにふれてもらう幸せを提供したいとの願いを強くしたと言います。
「微生物による土作りにこだわる久保田さんは、日光に弱い微生物のために、夜中、真っ暗ななかで土を耕していると聞いて感動しました。しかも『仕事が楽しくてしようがない』そうで、そうやって育てられた野菜がおいしくないわけがありません。この野菜を中心に店づくりができたら楽しいと思いましたし、久保田さんのワクワクをお客様にそのまま伝えたら、また新たなワクワクにつながるかもしれない。いろいろな可能性を久保田さんに教わりました」(ゆき子さん)
▲「まごころ・ふれあい農園」では、20年以上農薬や化学肥料、除草剤等を一切使用せず、土着の微生物の力を生かした土作りで80種類以上の作物を栽培している(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
そうしたこれまで多くの出会いやご縁の糸を紡いでいくように、人と人をつなぐ店でありたいとの思いを込め、店名を「紡ぎ」と決めたふたり。
「料理人がいて、その料理を運ぶ私がいて、食材を作る生産者がいて、そば打ちを教えてくれる人がいる。一本一本の糸は細いかもしれませんが、紡いでいくと太い糸になって、もっとワクワクすることできるのではないかと希望も込めています」(ゆき子さん)
「糸を紡ぐことで、細いものが太くなり、弱いものが強くなり、短いものが長くなる。蕎麦と野菜と地のもの、今まで出会ってきた人たちとの相乗効果の様子が、僕たちの今までとこれからに合致すると思いました」(哲也さん)
出店場所は、当初の候補地が頓挫したり、コロナ禍で飲食業の出店自体がままならなくなったりと紆余曲折があってかなり難航しましたが、2021年夏、縁あって「ぱてぃお大門 蔵楽庭」の一角に決定。決め手となったのは、ゆき子さんが、梁が掛けられた大正時代の蔵の温かい雰囲気に惹かれたことです。2階建てのため配膳は大変になりますが、それでもインスピレーションを大切にしました。
▲約10棟の古い商家や蔵を再生させた「ぱてぃお大門 蔵楽庭」のなかで、石畳の中庭(パティオ)に面した2階建ての建物(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
▲1階が厨房で2階が客席に。立派な梁が掛かった落ち着いた空間に全4卓が並ぶ
そして、準備期間中は、長野市松代にある明治期の商家を活用したレンタルスペース「寺町商家」で月1回の料理会を開催したり、クラウドファンディングにも挑戦(目標達成率はなんと512%!)。県内のさまざまな生産者にも会いに出かけ、ネットワークとコミュニティを広げていきました。
▲クラウドファンディングのリターン品でもあった自社製厳選りんごジュース「あかあかと」& 厳選りんごと有機雪下にんじんジュース「いろふかし」のセットは店舗やオンラインショップでも販売中
こうして、2022年3月26日にオープンすると、これまでのつながりから多くの人が訪れ、評判も上々。確かな手応えを感じていると言います。
「日々思うこともブラッシュアップしなければいけないこともたくさんありますが、自分たちの表現したいものとは大きく外れていないと実感しています」(哲也さん)
「県外の方はもちろん、地元の方も『信州の素材っておいしい』と新しい発見をしてくださったり、生産者さんの思いを伝えると『そんな風に育てているからおいしいのね』と、その思いも味わってくださったり、『知人を連れてきたい』と言ってくださる方がいたり。ときには『野菜がおいしい』と涙される方もいます。皆さんが言葉にして伝えてくれることに日々感動し、やりがいになっています」(ゆき子さん)
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
また、哲也さんは、オープンしてからの約9カ月間で、今まで習得した知識や技術など、無数の点でしかなかったものが急激な速さで線となってつながっていると言います。
「培ってきた知識や経験を記憶から引っ張り出し、料理に落とし込んでいく日々は発見の連続です。同時に、今の自分としては100%の力を発揮していますが、1日も心から自分の料理に納得できた日はなく、もっと何かできる、出合っていない食材も入手できていない素材もたくさんあり、まだまだだと感じます」(哲也さん)
それでも、修業時代とは一変し、仕事がつらいと思ったことは1日もないと哲也さん。
「念願の店をオープンさせ、自分の思うように料理を作り、お客様に楽しんでいただいて、対価までいただける。こんなに喜ばしいことはありません」(哲也さん)
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
ゆき子さんも、先日、長男から嬉しい言葉をもらえたと話します。
「小学校に通う長男が『早く大人になりたい。仕事って楽しいんでしょ』と言ったのです。大将(哲也さん)の帰宅が深夜になることもあるのに、両親が楽しく仕事をしているのが伝わっているんだなと嬉しくなりました」(ゆき子さん)
そんなふたりがめざすのは、長野で唯一無二の日本料理店です。
「ただ日本料理の伝統にならっているだけの店なら『紡ぎ』の意味はありません。単なるそば屋ではない日本料理店として、他とは違う自分たちのスタイルをめざしていきたいですね」(哲也さん)
「特別な日に『紡ぎ』で食事をしておいしさを感じた時間が、それぞれのお客様にとって、何かの糧になるといいなと思っています。食の記憶には、そういう力がある。その思いは忘れずに続けていきたいです」(ゆき子さん)
(写真提供:日本料理 そば懐石 紡ぎ)
そのためにも、大切なのは継続。「ものから人、人から体験へのつながりを『紡ぎ』でどう表現できるか。一歩一歩、着実に歩んでいきたい」と話すふたりだからこそ、日々、訪れるゲストに新鮮な感動をもたらすのでしょう。
コロナ禍で、外食の価値に改めて気付かされた昨今。これまで以上に、食事に対する楽しみが高まっているように感じます。特別感も味わえる「紡ぎ」の食事を楽しむひとときは、食べる人の心を和ませ、家族や友人との絆を深め、人と人とをつなぐ、とっておきの時間になるはずです。
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会える場所 | 日本料理 そば懐石 紡ぎ 長野市大門町54-1 ぱてぃお大門 蔵楽庭内 電話 026-219-2654 ホームページ https://kaiseki-tsumugi.com/ 営業時間:12時~15時、18時~22時 |
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