No.469
塚田
万理奈さん
映画監督
美しかった10年間の記憶を、いまを生きる子どもたちとフィルムに刻む
文・写真 波多腰 遥
美しい記憶を映像に残すために。10年に及ぶ映画撮影がスタート
長野市出身の塚田万理奈さんが監督・脚本を務める『刻(とき)』は、主人公である中学生の少女と個性的な同級生たちが、大人になるまでの成長の過程を描く長編映画です。
映画『刻』あらすじ
中学二年生の春、小春は所属する陸上部の仲良し二人組の男の子と、いつも一緒にふざけては遊んでいた。小春の家族には、音楽に没頭する憧れの姉や、不登校気味の従兄弟、その従兄弟に頭を悩ます叔母がいる。受験期になり、それぞれの関係性が少しずつ変化する中、小春は中学を卒業する。
高校生になり、成長していく中で違う道を進み出す小春の仲間たちの人生。大人になり、小春は中学時代の友人と再会する。生死すらも超えていくその時間の中、ただ傍観者だった小春の、それでも忘れなかった時間。
人生の美しさを見つめた、誰もが持っている記憶のような、約10年間の人々のお話。
自身の実体験をもとに綴られた脚本を映像化するにあたり、塚田さんは「本物にこだわって制作したい」と話します。主人公の小春とその仲間たちの心情や、10年の時間経過とともに成長していくさまを鮮明に表現するため、役者には県内在住の演技経験のない中高生を中心に起用。配役された子どもたちが実際に大人になるまで、10年かけて撮影します。
「私が実際に生きてきた本物の世界で感じた美しさを表現したくて、映画自体もなるべく本物に近いものにしたかったんです。出演者には役を演じるのではなく役と一緒に生きてほしいと思ったときに、当時の私と同じように長野で生活する子どもが10年かけて成長していくのに合わせて撮影することにしました」
この壮大な企画は制作発表直後から大きな注目を集め、撮影費用の一部を募るクラウドファンディングでは映画関係者や県内在住の方などから1,100万円を超える資金が集まりました。新型コロナウイルス感染拡大に伴う1年の撮影延期を経て、2021年4月に長野県内でクランクイン。今夏には、塚田さんの母校でもある長野市内の中学校で撮影が行われました。
映画制作の原動力は「言い残したい」
個性的な4人兄弟の末っ子として生まれた塚田さん。家庭にどこか居場所を感じられず、自己主張がほとんどできなかったそうですが、中学校に進学すると転機が訪れます。
「私の人生に革命を起こしてくれた」という友人との出会いによって、小学校とは打って変わって楽しい学校生活を送っていたとのこと。大人しかった自分とは対照的な友人の姿を見るうちに、自己表現ができるようになり、性格もとても明るくなったそうです。
しかし、中学校を卒業すると友人たちとは疎遠になってしまいます。進学先の高校では馴染むことができず、放課後の時間つぶしに見つけた場所が映画館でした。
「家族の会話に混ざるのは苦手だったけど、みんなが話しているのを聞くのは好きでした。家族と顔を合わせずに会話だけ聞きたかったから、ずっと食卓の下に潜っているような子どもだったんですけど、映画館って机の下と一緒だ!と思って。真っ暗なところで私が話さなくても誰かが喋っている環境にほっとしたんです。それから週に何度も映画館に足を運ぶようになりました」
映画のことを話せる友人がほしいと思い、高校卒業後は日本大学芸術学部の映画学科に進学しますが、同級生は映画制作に並々ならぬ熱意を持った人ばかり。誰よりも面白い作品を撮ろうと競い合う人間関係は、入学前には想像していませんでした。
映画作りに対する熱量の違いから、同級生に劣等感を抱いていたという塚田さん。まずは自分に自信をつけようとダイエットを始めます。しかし、これをきっかけに摂食障害を患ってしまいます。
「嫌いな見た目が変われば、自分のことを好きになれる気がしたんです。没頭してしまうタイプなので、その日食べたもののカロリーを毎日記録したり、『明日はさらに100カロリー減らそう』とか考えるようになってしまって。そんな目標を達成することだけが当時の励みだったので、異常な生活をしていることに当時は気づけませんでした」
過度な食事制限によって見る見るうちに痩せていきますが、体力が落ちたことで思うように動けず、精神的にも不安定に。大学に通うこともできなくなってしまいますが、そんな状況でも食べてはならないという強迫観念が働いてしまう自分に絶望してしまい、生きる気力を失ってしまいます。しかし、そんなときに大学の先生に言われた言葉が、塚田さんの映画作りに対する原動力につながっているそうです。
「先生に『私には何もないし、生きる気力もないから、学校辞めます』と伝えたら『何もないのがお前なんだろ。何かあるふりするなよ。何もないなら、何もないってことを言ってみろよ』と言われました。自分を好きになるために、自分のなかにある何かを必死に探していたけど、もともと何もないのが私なんだって、先生の言葉が腑に落ちたんです。だったら最後に、何もないってことを言い残して死のうと思ったんです」
言い残し方を考えたときに思い浮かんだのが、映画を撮ること。卒業制作として監督・脚本・編集を担当した短編映画『還るばしょ』では、歯科衛生士の主人公が内に秘めた感情の発露を描写することで「自分には何もない」という自身の思いを表現しました。
▲『還るばしょ』は第36回ぴあフィルムフェスティバル入選など複数の映画賞を受賞
塚田さんにはもうひとつ言い残していることがありました。それは、摂食障害の治療のために通った病院で出会った一人の女性へ向けた言葉です。突然連絡が取れなくなってしまった彼女に対して、直接伝えることができなかった「生きていてほしい」という思いを表現するため、長編映画『空(カラ)の味』を制作しました。作中では摂食障害と家族や友人との人間関係に葛藤する女子高生が、ある女性との出会いをきっかけに変化していく姿が描かれています。
▲『空(カラ)の味』は第10回田辺・弁慶映画祭にて弁慶グランプリ・女優賞・市民賞・映検審査員賞の4冠を受賞
過去の2作品のように、『刻』の制作を決めたのも「言い残したいことができたから」だそう。きっかけは『空(カラ)の味』を観に来てくれた中学時代の同級生との再会でした。
「その子と飲みに行って話していたら、10年前の記憶が蘇ってきて。疎遠になったことに不信感があったけど、当時の私はみんなのことが確かに好きだったし、楽しかったし、大事に思っていた。それを中学の同級生たちに伝えたくなって、この10年間に見てきた世界を映画として残すことにしました」
子どもたちが見せる本物を収めていく
『刻』の主要な登場人物はいずれも、塚田さんの記憶のなかを生きる自身や中学時代の友人たちがモデルです。配役された子どもたちには当時の印象やエピソードを伝えつつ、相談しながらどんな表情や動きをしていくか決めていきます。子どもたちとは撮影日に限らず、電話やメールなどで日常的に連絡を取り合っているそうですが、子どもたちと関係が深くなるほど、映画の目指す方向性についての悩みが膨らんでいったそうです。
「私は記憶を愛しているけど、あの子たちにはあの子たちが生きる本物の人生があります。子どもたちを好きになるほど『映画に囚われず自由に生きてほしい』という気持ちが強くなってしまって、思い描いていた映画のイメージが崩れてしまう気がしたんです。スタッフは私の記憶に基づいた映画を撮ることを目指してくれているので、子どもたちとの向き合い方にはとても悩みました」
悩み抜いた結果、今夏の撮影では演じる子どもたち自身の人間性を優先することを決めました。もともと抱いていた役のイメージからはかけ離れていくものの、本番を迎えると、頭に残っていた記憶以上に鮮明な”本物”を目の当たりにします。
「記憶のなかの私や友達とは違う動きをしているはずなのに、当時抱いていた感情や忘れていた情景がめっちゃ浮かんできて、泣きそうになりながら『OK』って言ったんです。私が当初の方針から折れたことで、子どもたちが友達同士の空気感のまま演技してくれたおかげだと思います」
現在進行系で本物の人生を生きる子どもたちに寄り添いながら、記憶から生まれた役について一緒に解釈していくことで、当時の感情をより想起させてくれる役が生まれているとのこと。すでに物語のラストまで脚本を書き終えていますが、子どもたちには自然に演じてもらうために中学生時代のストーリーしか伝えていません。それぞれの役が歩んでいくこの先の人生について、子どもたちとじっくり話していくのが楽しみだそうです。
「自分の記憶を守ろうとするんじゃなくて、子どもたちと関わるなかで思い出された感情を映画に使っていけばいいかなって、いい意味で適当な気持ちになりました。あの子たちを好きになるほど、映画を撮っている感覚がなくなっていますね。それよりも、一緒に生きていきたいなと思っています」
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