No.468
福井
雄一さん
手打ちそば たなぼた庵
川中島の田園地帯で営むアットホームな人気店
文・写真 石井 妙子
県内外にファン多数!桃畑に囲まれた店
午前10時半。店先にかけた看板の文字が「準備中」から「営業中」に変わると、待っていたお客さんたちが続々と来店します。長野市郊外にある人気店「手打ちそば たなぼた庵」が開くのは、お昼の約4時間のみ。駅からも市街地からも離れた場所ながら、平日も昼前には仕事のランチに訪れる人や家族連れで満席になる人気店です。遠方から足を運ぶお客さんも多く、休日ともなれば、午後1時ごろ早々に売り切れることもあるほど。
▲桃畑と水田に囲まれた、えんじ色の壁が目印。「たなぼた庵」「営業中」といった味のある看板は、店主の福井雄一さんが手彫りで作ったもの
細い麺はいい香りで、歯ごたえしっかり。つるりとした喉ごしで、箸が進みます。鰹節と鯖節で出汁をとった甘めのつゆは、店主の福井雄一さんが修業した東京の老舗店と同じものを取り寄せているそう。人気の天ぷらは、そば店に多い「棒揚げ」。衣が厚いのでつゆがよくしみ込み、食べごたえ抜群です。さらにうれしいのが、どのメニューも2枚目に「もりそば」または「かけそば」を300円で追加できること。男性を中心に大人気のサービスです。
▲揚げたての野菜天ぷらがおいしい、人気の「天もり」(税別1,250円)
「もともとお酒が好きでね。それで、そば屋になったんです」。そう話してくれた店主の福井さんは、東京育ち。江戸時代から続く東京の老舗「上野 藪そば」で10年間の修業を経て、奥様の実家がある長野市に移住したのは25年前のことでした。ここ長野で念願の独立を目指しますが、当時は「東京のそば屋が長野で店を始めると失敗する」と言われていたそう。
「江戸前そばと信州そばは、太さひとつとっても違います。当時は長野新幹線も開通していなかったし情報が少なくて、実際に足を運んで食べてみなければ分からないことも多かったんですよね。
そんなわけで移住後『まずは長野のそばを知らなければ』と、昼夜かけ持ちで4、5軒の店で修業しました。休日も、県内のそば屋というそば屋を食べ歩いてね」
修業した店の一つが、善光寺の仲見世通りにあった人気店。多くの観光客が訪れるこの店で、1997年の善光寺ご開帳と1998年の長野オリンピックのにぎわいを経験しました。「当時は若かったから、とにかく毎日たくさんのそばを打ちましたね」と振り返ります。
喜びも悲しみもあった20年
「手打ちそば たなぼた庵」をオープンしたのは、移住から5年が過ぎた2000年。親族が所有する現在の土地に店を構えます。まわりに店も駅もなく、桃畑と水田に囲まれてポツンと立つ店は、「どうしてこんな場所で始めたの?」と聞かれることも多かったそう。
▲山小屋のような雰囲気で、子どもからお年寄りまでくつろげる店内
「実際、最初のうちは全然お客さんが来なかったんですよ。営業中も裏の自宅で過ごして、奥さんに『お客さんだよ』と呼ばれたら出ていく、というぐらい(笑)」
こんな場所だから、普通のメニューだけではお客さんは来てくれないだろう。そう考えて、オープン当初はそばだけでなくうどんや定食、夜営業でそば懐石コースを提供するなど、「とにかく手間暇をかけました」と福井さん。確かな腕前で作る味わいは、少しずつ評判を呼びます。
転機になったのは地元のテレビ番組。「大盛りの店」として紹介されたことで、一気に知名度が上がりました。
「当時、盛れるだけ盛った『大盛り』を普通盛り+50円で提供していたんです。とにかく山盛りでね(笑)。修業していた店で毎日大量に打つことに慣れていたし、せっかくならたくさん打って、たくさん食べてもらおうと思ったから」
▲毎朝、店で手打ちするそば。安定して大量に打つため、現在は打ちやすい「二八そば」(そば粉8に対して小麦粉2の割合で混ぜて打ったそば)にしています
▲茹であがったら手早く冷水にさらしてぬめりを取り、喉越しよく仕上げます
男性でもお腹いっぱいになる山盛りを、リーズナブルに提供。もちろん味は極上です。口コミを中心に評判は広まり、東京など県外からも多くのお客さんが足を運ぶようになりました。
週末や連休は朝から駐車場がいっぱいで、長い行列ができるのは当たり前。開店時間を11時から10時半に早めたのもこの時期です。昼夜問わず2階席まで満席の状態が続き、厨房は常にフル回転。奥様と娘さんも店に立ち、忙しくもにぎやかな日々が過ぎていきました。
▲8月には店先の看板が鮮やかにリニューアル。こちらも福井さんの手描きです
ところが2016年、店を揺るがす転機が訪れます。二人三脚で店を切り盛りしてきた奥様に、大きな病気が発覚。追い討ちをかけるようにその2日後、自治体から突然、店を閉めるよう要請が出されたのです。長年指摘されなかった敷地区分の問題など、さまざまな状況が重なった末の出来事でした。
「この時は、本当にいろいろなことがありました。でもお店のことは、地元の常連さんたちが『たなぼた庵をなくさないで』と声を挙げて、自治体にかけ合ってくださって。店の規模を縮小するなど条件付きで、もう一度始められることになったんです」
開業16年目に訪れた危機。そこから復活できたのは、地域に根づき、愛される店に育っていたからこそ。紆余曲折を経て2017年、たなぼた庵は再スタートを切ります。
▲自宅の書斎には、そばに関する書籍や雑誌がずらり
けれど願い届かず奥様は天国へ旅立ち、夫婦でもう一度店に立つことは叶いませんでした。しかし、離れて暮らしていた息子さんがそば職人を志すことを決意。福井さんの技を引き継ぎ、現在は父子二人で新しいたなぼた庵を作っています。
かつての店から変化したこともあります。そば屋は体力仕事。福井さんも歳を重ねたことでかつてのようなハードワークはこたえるようになり、現在、そば打ちは基本的に息子さんに一任。メニューもシンプルな温冷のそば17種類に絞り、味を守りながら無理なく続けることを大切にしています。
▲こちらが現在のメニュー。2枚目は300円で「もりそば」か「かけそば」を食べられるのが人気。イラストは福井さんによる手描き!
ここで意外な話を一つ。この世界に入る前はアニメーターとして働いた経験がある福井さん、店を終えた後は、自宅アトリエで絵筆を握ります。オープン当時から店内にかかっているユーモラスな絵の数々は、実はすべて福井さんの作品。一枚一枚にオリジナルキャラクターが表情豊かに描き込まれ、大きな絵本のように独自の世界を紡いでいます。
自身や家族、時代の変化に寄り添いながら20年。おいしいそばと、地域に愛されるアットホームな空間を今日も守り続けています。
▲大判のベニヤ板に直接線をかき、着色するのが福井さん流。なんとも楽しい世界が店内のあちこちに広がっています
▲ストーリーを感じる楽しい絵は、思わず見入ってしまいます。現在、さらに大きな作品を制作中なのだそう!
▲こちらはお店の入り口に飾られた絵。シンプルな線に、福井さんの遊び心が表れています
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会える場所 | たなぼた庵 長野市川中島町350-2 電話 026-285-6126 営業時間 10:30~15:00(売り切れ次第終了) |
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