No.252
横田
悦二郎さん
西後町区長/横文店主/大学教授/経営コンサルタント
歴史あるながの祇園祭を
町に溶け込むきっかけに
文・写真 安斎高志
屋台は町の誇りだった
7月12日、夏の到来を告げる「ながの祗園祭」が今年も開かれ、豪華絢爛な屋台が踊りやお囃子を繰り広げながら目抜き通りを練り歩き、中心市街地は多くの人でにぎわいました。
ながの祗園祭はかつて三大祇園祭のひとつと数えられた盛大なお祭りでしたが、経済的事情などにより一時中断していました。しかし、歴史ある祭りの復活を望む声が高まり、平成24年から毎年、開催されています。
西後町の区長で陶器などを販売する「横文」の店主、横田悦二郎さんは、大学進学から40年をほぼ首都圏で過ごし、62歳で長野に戻ってきました。しかし、その40年の間も、地元・西後町の屋台が出る際は必ず帰郷し、祭りに参加してきました。
「高校生のころのお祭りを今でも覚えているんだけど、浴衣を着て、ここを歩けるというのは誇りだった。だから、友達の多くがここを離れてしまったけど、お祭りのときは戻ってくる。だれかに『来い』と言われて来るわけでなく、自分でいいなと思って来るんです」
ことしの「お先乗り」は西後町の中村太一君(11歳)。「お先乗り」は、神の代理として選ばれた少年が馬に乗って屋台巡行の先頭に立つ
マンションが建ち、オフィスも軒を連ね、西後町の様相は40年前とは変わりました。しかし、さまざまな人が住んだり働いているからからこそ、祭りの重要性が高まっていると話します。
「いろんな人に、もっと町に溶け込んでもらいたい。何もないのに『集まって顔合わせしましょう』と言ったって、集まるのは難しい。でも、『屋台を組み立てるから来ない?』ってのは、誘いやすい。そして、誘われた側も来やすいでしょ」
今回の祇園祭には西後町から150人が参加しました。同町の世帯数は約270。なかなかの参加率だと横田さんは笑顔を見せます。
祇園祭2日前の組み立てのようす。「計画や屋台の組み立てから、みんなで参加して、祭りをもっと楽しめるようにしたい」と話す
40年の不在を感じさせない存在感
西後町の区長として周囲の調整役を務めている横田さん。「横文」の店頭に立っていると、瀬戸物屋の主人が板についていますが、実は大学教授でもあり、現役の経営コンサルタントとして、複数の企業で顧問や役員も務めています。6月に書いた原稿の数は16本、計20万字、行った講演は6本。いくつもの海外企業や団体の顧問を務めているため、ことし1~3月には地球約6周分を移動したそうです。
横田さんは西後町で育ち、高校卒業後は千葉大工学部に進学。卒業後、金型の世界へ進みました。そのころのことをこう振り返ります。
「金型は職人の世界。その当時、大学を出て金型の仕事に就く人なんていなかったから、先生からは『大学の名前が落ちる』って猛反対されたね。でも、自動車だとか電化製品だとか、毎日同じものをつくる会社には行きたくなかった。妥協の結果として、上場していて金型をつくれる黒田精工に入ったんです」
現場でのものづくりから始まり、経営企画、そして技術開発を担当。子会社の社長も務め、その間、エレクトロニクスをはじめ幅広い分野の最先端で活躍し続けました。しかし、60歳をすぎたころ、故郷から東京に呼び寄せていた母親がしきりと地元に帰りたいと繰り返すようになります。
西後町からは約150人が参加した
自分にとっても東京の住まいは「仮の場所」だったという横田さん。5年ほど閉めていた「横文」を建て替えて、営業を再開します。
「瀬戸物はこれから伸びる商売ではない。でも、日本としては残さなければいけない商売なんです。日本の食文化というものは瀬戸物と結びついているからね。日本食や日本酒には、やっぱり瀬戸物じゃないといけない」
地元に残っていた旧友らの存在もあって、長野に戻ってきてほどなく、さもずっとここにいたかのような気持ちになったと話す横田さん。そして、表参道の歩行者優先道路化事業では、推進委員長を務めるなど、あっという間に町に欠かせない存在となります。
「長野市のなかで最も重要なお祭りで、残さなければいけないと思っている」
「町の人」という主語が欠けてはいけない
西後町には県立大学の学生寮建設の構想が持ち上がっています。留学生を含め、多様な人々を受け入れるために、祭りの重要性はさらに大きくなっていくと横田さんは指摘します。
「他県や他国から来た学生が西後町の住民になる。マンションに住んでいる人たち、商店の人たち、勤め人、バラバラじゃないですか。だから、多様性を認め合わないと住んでいけない。そのために祭りは重要な場所になる。寮生300人が祭りに参加してくれたら、町の人と仲良くなれるだろうし、そういう意味でも残さなければならないお祭りになりましたよね」
多様な人たちが暮らす町だからこそ、まとめる苦労もあるといいます。しかし、横田さんはあくまで自然体で町の人たちと接しています。
「伝統を紡いでいくということはひとりでは無理。そして、『町の人が』という主語が欠けてはいけないんです」
祗園祭当日、世代や性別関係なく集まった西後町の150人の先頭に横田さんの姿がありました。ときおり振り返り、行列を眺める表情は、照りつける7月の太陽と同様、輝いていたのでした。
屋台の上では踊りやお囃子を繰り広げた
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会える場所 | 横文 長野県長野市西後町1626 電話 026-232-2522 |
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