かつては日本海側から長野へ、塩とともに海産物が運ばれました。北国街道や富倉峠、あるいは千国街道から西山を抜けて善光寺平へもたらされる海産物の多くは、塩漬けや乾燥させた保存食として牛馬の背にゆられてきました。鮮魚も加工品も、長野の人は海産物が大好きです。
新巻鮭
千曲川と犀川が合流する善光寺平は、古代から鮭の産地でした。平安時代に編纂された『延喜式』には、鮭を貢納する国の名に、越後、越中とともに信濃があります。江戸時代にも、千曲川の鮭は幕府から上納を命じられ、また貴重品として他国へ運ばれました。塩漬けにされた鮭は「塩引き鮭」と呼ばれ、新潟県村上市では今も昔ながらの製法で作られています。ワタを抜いた鮭は塩をすり込まれ、腹にも塩を詰め、1週間ほど寝かせます。
これを水洗いし、吊るして、2、3週間ほど寒気にさらして干しあげます。大正時代、北海道石狩川の漁師たちが新鮮な鮭にうす塩をあてただけの長期保存を目的としない塩引き鮭を「新巻」の名で売り出しました。これが人気を呼び、「新巻鮭」が世に出回ります。千曲川・犀川水系では、かつては上高地まで遡上していた鮭も、ダムの建設により1940(昭和15)年を最後にほぼ獲れなくなりました。
ホモソーセージ
東京都台東区に本社を持つ「丸善」が 1954(昭和29)年に販売をはじめてから、なぜか長野県で人気を博してきた 魚肉ソーセージ。「均質にする」という意味の「homogenaize(ホモジナイズ)」という英語から名付けられました。ポテトサラダやナポリタンにハムの代わりに入れることも。長野市桜枝町「太平堂」で売られている「ソーセージパン」には縦半分に切られてのっています。
塩丸いか
冷蔵技術のない時代からあった保存食で、皮をはぎ、ワタを抜いてゆで、胴体に足と塩を詰めます。昔は富山県で水揚げされた魚を、飛騨街道を経て長野県まで運んでいましたが、冬は「塩ブリ」、夏は「塩丸イカ」が主で、塩丸イカは特に南信地方へ運ばれました。善光寺平へは北国街道を通って新潟から魚が運ばれたので、南信ほどは食べられてきませんでした。生イカとはちがう食味があります。
サバ缶
初夏の味覚、根曲り竹のタケノコ汁にはサバ缶が欠かせません。また、ジコボウやクリタケなど天然のきのこ汁に入れてもおいしく、山の滋味とよく合います。北信地方に住む人にはあたりまえの食べ方が、テレビ番組を通じて全国に知れわたり、サバ缶は一時、品切れが続きました。おいしくて、手軽に使えて、しかも栄養価が高い。その価値を見直されて、サバ缶はすっかり人気者となりました。
寒天
天草を煮固めたトコロテンを凍結、乾燥したもの。昔ながらの製法で作られる角寒天の産地は諏訪地域で、寒さ厳しく、雪は少なく、晴天が多く、湿度が低い。こうした気候が寒天作りに適しています。長野市の西山地域などでは、海藻の「エゴ草」を煮て冷やし固めた「エゴ」を、冠婚葬祭のごちそうとして食べます。福岡市の「おきゅうと」に由来し、千国街道を通り安曇族によって伝えられたとされます。