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ナガラボはながのシティプロモーションの一環です

文 山口美緒、写真 長岡竜介

ナノグラフィカのはじまり

長野市内で古い建物を修繕して使うようになった走りといえば、ナノグラフィカです。現在の場所で編集室、ギャラリー、喫茶室としてオープンしたのは2003年の春のこと。まだリノベーションという言葉ではなく、古民家再生という言い方が主流だった頃です。今の場所に出会ったのは、善光寺ご開帳にあわせて舞い込んできた仕事がきっかけでした。
 
増澤珠美さんや清水隆史さんをはじめ、大学の仲間たちと立ち上げたライブハウス「ネオンホール」を運営するなかで、そこを訪れる来場者や出演者に向けて近隣の地図を手づくりしていたそう。それをみた市内の出版社から、03年に執り行われる善光寺御開帳に向けて発行する書籍の巻末付録に、同様のテイストで地図をつくってほしいと依頼がきたのです。常々、ネオンホールが発行する本、「ネオンブックス」をつくりたいと話していた増澤さんたちは、その第1号としてこの仕事を請け負うことにしました。

▲ ナノグラフィカがオープンするきっかけのひとつとなった善光寺の案内本

増澤さんは安曇野市出身、清水さんは奈良県出身と、地元育ちではありませんが、みな信州大学教育学部出身で、善光寺周辺は学生時代から暮らしてきた土地勘のある場所。取材しながら、ネオンブックスを立ち上げるならこの周辺に拠点がほしいと思いつつありました。
 
「このへんにいいうちないですかね」
 
飛び込みで入った創業1877(明治10)年の老舗傘屋で区長でもあった三河屋洋傘専門店のご主人である北澤良洋さんにそう問いかけたところ、斜向かいの建物がもうじき空くと教えてもらいました。当時は鍼灸院でしたが雨漏りするから出るとのこと。大家さんは、相続する息子に負担が少ない駐車場にしようと思っていたようです。北澤さんが「若い人たちがせっかくやりたいというのだから貸してやれや」とくどき、増澤さんたちに貸してくれるよう話をまとめてくれました。

▲ ナノグラフィカの立ち上げメンバーのひとりで現在運営の中心を担う増澤さん

あるものと、ある知恵で

第1期の工事は、おおよその骨格を整える作業。受付窓口のほかは何もなかったので壁と扉をつくり、床を剥がして畳を敷きました。苦労したのは現在キッチンとなっている部分。3間くらいの間に15cmほど上がっていく緩やかなスロープになっていたのです。床を剥がしてみると土地そのものが平らでなく、かつ、コンクリートも途中までしか打っておらず、床板を支えるための根太もまっすぐに入らない。薄いベニヤを何枚も重ねて調整していったそう。床貼りに尽力してくれたのは舞踏家のリチャード・ハートさん。自身も長野市清水で古民家を改修して住まいと稽古場、舞台として使っていました。
北側の壁は化粧ベニヤで、天井は石膏ボード。そもそも構造がだめたったら嫌だなと思い一部剥がしてみると、土壁の下の方がほんのわずか崩れていただけで、これはいけると確信。

▲ 善光寺に向かって西に広がる西之門町の一角にナノグラフィカは建っています

「ネオンも2回くらいみんなで直しているし、父が建材屋に勤めていて、実家のまわりも大工、左官屋と、職人ばかりだったから。普段の暮らしやおじちゃんたちの飲み話で聞いていて、気にしなければいけないことはなんとなく知っていました」
 
北側の化粧ベニヤはすべて剥がし、やりたかったという漆喰を塗ることに。漆喰の担当は、今は大工として、シンガーソングライターとして活躍するヤスミ(竹川也清)さん。当時、まだ大工仕事は趣味だったヤスミさんが自宅に珪藻土を塗ったのを見た増澤さんが相談を持ちかけます。「漆喰、やりたかった!」とふたつ返事で引き受けてくれました。
「構造をいじるつもりはなかったから深く考えず、自分たちでできると思っていた」と増澤さんは振り返ります。しかし、15年以上前となるとインターネット環境などもまったく今とは別世界。
 
「今みたいにネットでなんでも買えるわけではなかったし、お金もなかったからリサイクルショップをかけずりまわって安いものを探しました。今ならちょっとお金払ってもいいけど、あの頃は元気だった。何軒もまわって、某ホームセンターで物干し竿1本だけ買って軽トラックを借りて、借りている間にほかを2軒くらいまわったり(笑)」
 
道具もないから、あるものと、知恵で工夫を重ねました。そして、御開帳までにオープンするためには極寒の2月に作業をしなくてはならなかったことが何より辛かったそう。そうして突貫工事の第1期を経て、2年ほどが経つと、より快適さを求めるようになり第2期の工事を行いました。入口ですぐ靴を脱ぐスタイルの玄関だったところを、床を剥がして奥まで抜ける通り土間としたり、お風呂をつくったりしました。

▲ 入口から第2期工事で土間となった通路の眺め。ガラス戸の手前左がお手洗い

そして第3期は15年、白馬村を震源にマグニチュード6.7を記録した長野県神城断層地震の被災に対応したものでした。
 
「柱がひどく傾いて、今にも倒れそうで。もう絶対無理、やめる!って思いました」
 
そこにやってきたのが空き家見学会などで一緒に活動をしてきた不動産屋、MYROOMの倉石さんでした。「直しましょう」と言って、筋交いを入れてくれたのですが…とても細い木で、しかも入れ方が逆…。
 
「意味あるの? そもそもまだやれっていうの?って言いましたよ。でも、やりましょうって言うの。もうやめるつもりでいたけれど、それでも、第三者の倉石さんみたいな人がそこまで言ってくれるならって」
 
リノベーションの先駆けとなったナノグラフィカは、今も増澤さんを中心に活動を続けています。

▲ 第1期の工事で整備したキッチン。喫茶とギャラリーの営業は日によるのでホームページで要確認

リノベは新しいことじゃない

信州大学に通う当時から数えると、箱清水、狐池、県町、権堂町、東之門町と、約3年おきに引っ越しては5、6か所に住んだそう。古い土蔵や長屋に住んだことも。土蔵は2か月で4匹のムカデが出て、根をあげたと懐かしみます。それでも友人や先輩が住んでいる古民家のたたずまいに憧れがあったし、なにより安い家賃が魅力でした。先輩たちのなかには、古い一軒家を借り友人と一緒に住んでいる人も多かったそう。
 
「今、リノベーションとしてシェアハウスやシェアオフィスが注目されているけれど、歴史的にも、経験的にも新しいことではない。ただ、見え方が変わった」
 
善光寺門前のリノベーションの動きが活発になり、「見え方が変わった」背景には、ナノグラフィカの動きが大きく関わります。

▲ かつては鍼灸院の診察室だった部屋の床を剥がして畳を敷きました。喫茶・ギャラリーのほかヨガや料理教室、日本酒の会、サロンなど、さまざまな催しを開いています

「善光寺門前」というコミュニティを実体化

03年当時に企画していた催しは、等身大のお坊さん人形を置いたり、ダンボールでつくったバスを持って町を回ったり、みんなで井戸掃除をしたりと、ネオンホールを軸としたアート寄りなものが中心。しかし、しばらくするとアートから生活へ、夜から昼へと移っていったそう。西之門町は店だけ構えるのではなくその場所に住んでいる人が多く、醤油の貸し借りができる距離感でした。
 
「町の人と仲良くできること、町の人がうれしいことはなんだろうという視点ができて、発想することも変わっていきました」

▲ ナノグラフィカが制作・発行する小冊子『街並み』。長野の風景を暮らす人の目線で切り取ったこの冊子は2005年に創刊され、これまでに44号が発行されました

長野市から長野市卓越技能ガイドブック『ながの職人探訪』(05年発行)という冊子の制作を依頼されたこともきっかけのひとつ。それまでは自分たちが好きなことをやってきた一方、取材を通じて世の中の人とつながり、人に必要とされて行動することの充実感を得たそう。そして活動は、09年に市から請け負った善光寺門前の魅力再発見事業「門前暮らしのすすめ」へとつながっていきます。
 
「善光寺門前」という言葉は古くから使われてきましたが、イメージは宿坊や仲見世、表参道の商店など。宗教や商売は見えても、そこでの暮らしやコミュニティは見えづらい部分がありました。その輪郭をはっきりとさせたのが「門前暮らしのすすめ」です。
空き家見学会や講演会などの企画、暮らす人や関わる人の言葉で綴られるウェブサイトを通じて、善光寺門前が実態を持って浮き上がってくるようでした。今は善光寺門前のリノベーションの入口ともなっている「空き家見学会」も、この活動から生まれたものです。

地域に生きるということ

地域になじんできたからこそ請け負うことになった仕事ですが、むしろやりはじめてから町の仕組みを知ることになったと言います。たとえば空き家の調査をしても行き詰まることが多かったそう。地域に認められることの難しさを痛感しました。そんなときに、同じく西之門町で布団屋を営む4代目の箱山正一さんから、「僕の知り合いで空いているから使ってほしいと言っている人がいるよ」といわれたときの衝撃が忘れられないと言います。
 
「わたしたちでは得づらい情報を、この人たちは持っている。だから、この人たちと一緒にやることが、わたしたちのやりたいことを叶えてくれるってわかったんです」
 
そして箱山さんや、同町内でイタリアンレストランのこまつやを営む廣政真也さんに声をかけてつくったのが西之門町青年部でした。開始後、数ヵ月で「門前暮らしのすすめ」の活動のほとんどを青年部に移行し、青年部の名前で外に出していくことにしたのです。
 
「青年部という言葉は格好悪い印象があったけど、地域から見たらわかりやすい。だったら中身を変えればいい。結局は中身も格好悪いけどね(笑)」

▲ かつて換気扇だった部分はそのまま抜いてガラスをはめてニッチとして利用

ここ1、2年は、演劇の軸足をより大切にしつつある増澤さん。毎日喫茶室やギャラリーを開けておくことは大変で、閉めることも考えたそう。仲間がもう少しいたらと弱音も出ますが、喫茶室やギャラリーを併設することで情報が入りやすくなることも確か。この町で暮らしていくならナノグラフィカがあることが、やはり大切だと言います。広がった活動内容は確かに大変だけれど、震災のとき倉石さんが駆けつけて「やりましょう」と言ったように、リノベーションの先駆けのナノグラフィカには、やはり走っていてほしい。
 
「確かに、先駆けなら駆けていかないとね。過去の人になっちゃうから(笑)」

▲ 最近では小学校で演劇のワークショップを行ったり、長野市芸術館の企画制作に携わったりと、これまでに以上に演劇に軸足を定めつつあるそう

今、リノベーションの集積地として注目を集めつつある善光寺門前。その動きはどうなるのかという問いに意外な答えが返ってきました。
 
「古いと言ってもまだまだ使える建物だから、なるべく大切にリノベーションされていけばいいと思うけれど…実際、リノベーションを面白がれるのはごく一部の人。大変だし、そんなに大勢に広がっていくわけじゃないと思う」
 
それは後ろ向きな答えではありません。
 
「選択肢のなかのひとつに〝リノベーション〟があがるようになったことがすごくよかった。それに、新築だって、町のなかにあるという気持ちがあれば、それはそれでいいと思うんです」
 リノベーションも新築も、町をつくる大切な要素のひとつ。がむしゃらにリノベーションを推し進めるのではなく、肩の力を抜いたその感覚が、老若男女を受け入れる善光寺門前の大らかさにつながっているように見えました。

 
 
ナノグラフィカ
長野市西之門町930-1
TEL 026-232-1532
ホームページ http://www.neonhall.com/nanographica/

 

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