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No.348

徳武

利文さん

戸隠 竹細工職人(修業中)

職人を目指してようやく知った
戸隠・竹細工の真の意義と価値

文・写真 合津幸

東京で10年、故郷である長野で30年弱。設計士としてあらゆる建築物の創造に携わってきた徳武利文さん。昨年、何かに導かれるようにして周囲を驚かせるような決断を下し、この春、新たな道を歩み始めました。人生の転機に何を思い、今何を考え、未来をどう思い描いているのか? 戸隠中社にあるご実家を訪ねました。

設計士から竹細工職人へ

「昨年の1月10日の明け方に、『竹細工をやりなさい』という声を聞いたんです。その瞬間、設計士を辞めて、竹細工職人である父の下で修業しようと決めました」

建築業界で約40年ものキャリアを持つ徳武利文さんが、過去一度も頭をかすめたことすらなかったという竹細工の世界。子どもの頃から父・圭太郎さんが作業をする姿をよく目にしていたものの、まさか自分が関わることになろうとは…と、正直に話してくださいました。

「父は戸隠森林植物園で長年館長を務めながら民宿を営んだり竹細工を作ったりと、とにかく多忙な日々を過ごしていました。時間を見付けては作業する父の姿に、『大変だな〜』と思っていたくらい。竹細工を特別意識したことはなかったですね。戸隠の特産品のひとつという程度でした」

そんな徳武さんが、天の思し召しとも思える不思議な声を聞いたとは言え、「とても面白く、やりがいのある仕事」と感じていた設計士を辞め、50代にして竹細工づくりに初挑戦なさったのはやはり驚きです。なぜそこまで思い切ることができたのでしょうか。

「竹細工に思い入れや思い出があったわけでもないのに、なぜか声を聞いた瞬間に『わかった、私は竹細工をやる! 』と何の抵抗もなく思えたんです。それに、数年前から60歳になったら設計士をリタイアするのか、それともできる限り続けるのか等、ちょっと先の自分の人生について考えようとは思っていたものですから」

なるほど。ご本人にとってこの決断は、意外にも自然な流れだったのかもしれません。しかし、周囲にとっては青天の霹靂です。案の定、設計事務所の仲間には何度も考え直すよう引き留められたのだとか。しかし徳武さんの決意は固く、一番身近な存在である奥様の理解と応援はしっかり得たうえでの脱サラを果たしたのでした。

「妻は私の性格をよくわかっていますから、反対はしないだろうと思っていました。ただ、父にはなかなか言い出せなくて(苦笑)…実家に顔を出した時に、作業場で父の様子を見させてもらったり質問を投げ掛けてみたりして、少しずつ入り込んでいった感じです」

竹細工には主に1年目の若い竹、通称「ワカ」を使用。鮮やかな緑色が美しい。部位によっては2年目以上の「ニセ」を、雨風にさらして強度を増してから用いるのだとか

徳武さん作のカゴを手に「初めてにしては上手くできているなぁ」と、笑顔の圭太郎さん。ずっと一人だった作業場に今は息子さんと二人、91歳にして初めて弟子ができたのだ。

竹を手に入れ、材を自作する

現在、自宅がある長野市徳間を生活の拠点に、週に3〜4日のペースで戸隠の実家に通い、圭太郎さんの指導を仰いでいる徳武さん。ただし、「指導を仰ぐ」と言っても、そのほとんどが見様見真似で技やコツを盗んで習得するというものです。

「本格的に始めたのが今年の7月なのでまだ5ヵ月くらいですが、予想以上に難しいですね。竹細工は山から竹を切り出して割り、材となる竹皮を作り出すところから始めねばなりません。竹切も竹割も体力、腕力、握力が必要ですし、竹皮の幅や厚みが編み目の美しさや強度に大きく影響するので精度が問われます。下準備だけでもかなりの時間と労力が必要とされるのです」

今もなお材料作りに苦戦しているそうですが、ようやくベースとなる6角形が編めるようになり、いくつか作品も完成させたそうです。

「最初はその6角形が何度やっても全然できなくて。こればかりは見様見真似ではどうにもできず、親父に何度か教えてもらいました。でも、途中で訳がわからなくなってやり直すという繰り返し。やっとそこを乗り越えて、作品の大きさや形によってその6角形をいくつか続けて編めるようになりました」

そう言って作業を披露してくださいました。何本もの竹皮を組み合わせて、持ち上げたりくぐらせたり。あっという間に6角形が増え、キレイに並んでゆきます。ただの細い竹の棒から規則性のある幾何学模様が生み出される様子は何とも神秘的で感動的! しかし、手際も完成度も「まだまだ」だと言い切ります。

「そもそも私の竹皮は幅が揃っていないので、同じように編んだとしても形がまちまちになってしまいます。私がこの出来の6角形を1つ編む間に、父は均等なものを3つくらいは編み終えているでしょう。つまり、精度もスピードも格段に違うんです。また、当初は編み方のマニュアル(教科書)を作ればいいのに、と思っていましたが、今となってはそういった物が一切存在しない理由がわかります。竹細工はロジックが複雑で緻密過ぎるんです。これを文章にするのは不可能だ、体で覚えるしかない、そう思いました」

徳武さんが作ったカゴ。「カゴはザルよりも、深さや形を変えれば生活のいろんな場面で使ってもらえますよね。ですから、竹細工の中でもカゴの職人を目指そうと思います」

何本もの竹皮を複雑に組み合わせて6角形を生み出してゆく。「頭で考えているだけでも、ただ手を動かすだけでもダメ。想像以上に論理的な作業です」と、徳武さん

生活の一部としての竹細工

修業を始める前、徳武さんは基本の習得に1年程掛かると予測していたそうですが、今は最低2〜3年、職人と名乗るには5〜10年くらいはかかるだろうと感じているそうです。

「でもまぁ、ゼロから形あるものを創造するという意味では竹細工も建築と同じ『ものづくり』ですからね。好きな世界であることは確かです。それに、建造物の中には年月が経つほどに美しさを増し価値を高めるものがあって、そのことを『古美(ふるび)る』と表現します。それは竹細工が、時間が経って色が変わり、特有の艶を纏って強度を増すのに似ています。そこに魅了されているのかもしれませんね。コツコツ頑張ろうと思います」

また、こうして自ら飛び込んで初めて気付いたこともあったそうです。たとえば、“伝統工芸”と呼ばれるものの真の存在意義や価値、どう受け継いでゆくべきかなど、徳武さんなりの解釈や理想が少しずつ見えてきました。

戸隠の竹細工は、戸隠や黒姫などに自生する根曲がり竹を用いて、この地に生きる男たちが手掛けてきたもの。かつては養蚕業や農業など、地元や周辺地域で盛んだった産業で連日酷使されてきたタフな道具の一種です。それゆえに、長年受け継がれてきた技には何にも代え難い尊さがあるとしても、近年過度に持ち上げられている華々しい“伝統工芸”として捉えるのはどうか? と、心の中で疑問が生じたのです。

「まずはその物の始まりや技の基本を知るべきだと思うんです。何のために、どのようにして作られるようになったのか。それを知ったうえで、価値や魅力をジワジワと感じてこその伝統工芸だと思います」

竹細工が日常に当たり前に存在し、自然とその良さが伝わってゆく。それが、徳武さんが考える在るべき継承の形なのだとか。もちろん、伝統と現代的エッセンスを融合させ、今の暮らしにフィットした作品を生み出すことも使命だと感じています。

しかし、それもまた伝統工芸品の意義や価値といった根幹を知っていてこそ。
だから今日もまた、地道に竹を割り続け、まずはたったひとつの6角形を最高に美しく編み上げることを目指して修業に励む徳武さんなのでした。

約30年前に圭太郎さんが作った石けんカゴ。すっかり色が変わり、独特の深みがある。不思議なことに、時を経るほどに強度が増して、手に取ると素材の力強さが感じられる

竹皮づくりの必須道具であるハサミ、キリ、ナタ。ナタは竹細工用の特注品で、よく見ると竹を削る際に酷使する部分の刃が凹んだように削れている。「父のお下がりを使わせてもらっています。道具の使い方や竹の扱い方がいい加減だと大ケガをするので、それらのひとつ一つが修業ですね」と、根気よく取り組む

(2016/11/22掲載)

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