No.02 SPECIAL TOPICS
金田
ブレンダさん
ベリーダンス講師
くつろぎの一瞬を運んでくれる出張カフェ
文・写真 新津勇樹
ありのままの魅力を引き出す
ベリーダンスの魅力を話すのは、長野市在住のアメリカ人、金田ブレンダさんです。
ベリーダンスは、エジプト発祥。女性の体の「丸さ」、「ふくよかさ」を前面に出したスタイルをとり、痩身であることを良しとするダイエット嗜好とは対照的です。ほとんどの基本的なステップやテクニックは、体の部分ごとに分かれた円運動で、腰や肩を床と平行に、それぞれ別々に動かします。
ブレンダさんは、現在、4人のお子さんを育てながら、長野市のすみへいカルチャーセンターと、もんぜんぷら座で週に1度、ベリーダンスを教えています。
取材に伺った日は、ヒップスカーフを巻き、エジプトの音楽に合わせて、アサヤという飾りのついたスティックを持ちながら踊るというレッスンでした。
「アサヤは、もともとエジプトでは男性は格闘技用としてもっと太いものを使っていますが、女性はダンスのために使い始めました」
そのアサヤを縦横無尽に使いこなし、腰や肩、身体全体を振る姿を目の当たりにすると、まるで地面が砂漠であるかのような錯覚をおぼえ、エジプトの世界に引き込まれていく自分がいました。
ブレンダさんのクラスは、鏡越しで後ろの生徒と談笑しながら踊るアットホームな雰囲気のなか、初心者を中心にクラスを進めています。
「ベリーダンスはインナーマッスルを鍛える効果もあるので、興味のある方は是非一度試してほしいです」
そう話し、再び腰を振り始めました。
USJで働いていた頃のブレンダさん(左端)。ショーの立ち上げや通訳の仕事を担当していた(写真提供:ブレンダさん)
二足のわらじ
ブレンダさんは、アメリカのシカゴ出身。来日のきっかけは、16歳の時に1ヶ月滞在した大阪でのホームステイでした。
「13歳の時、私の家にホームステイに来た子の家に、今度は私が行きました。その時に、日本に住みたいと思いました」
しかし、当時は日本語もままならず、不安だったというブレンダさんは、帰国後日本語の勉強に専念しようと考えます。そして、その後、20歳で大阪の関西外国語大学に留学します。
「大学で日本語を学び、会話レベルまで習得し、毎週のように心斎橋に遊びに行きました。それで、日本人と接していくうちに、日本で英語を教えたいと思ったんです」
その後、22歳で文部省管轄のALT(assistant language teacher=外国語指導助手)になり、3年間、大阪市で英語を指導します。
日本語と英語に堪能なブレンダさんは、その後、貿易会社と学校に勤務、そしてユニバーサルスタジオジャパンの通訳やショーの立ち上げに関わり、9年間を大阪で過ごします。
「通訳は言葉が通じない人同士の心を通い合わせられて、お互いに感謝される。そこに魅力を感じます」
現在も、通訳の仕事を続けているというブレンダさんですが、もう一つの仕事であるベリーダンスとの出会いは今から15年前にさかのぼります。
「職場の後輩の奥さんがやっていたので見に行ったんですが、純粋に美しいと思いました。女性のありのままの美しさが表現されていました。それで、自分も始めたのですが、なかなか上手くできなかったんですよ」
一度は諦めてしまったというブレンダさんですが、2年後にトルコ料理店でベリーダンスを目にした時に、消えかけていた炎が再び燃え上がります。
「私は、負けず嫌いなので、一度やめた時はすごく悔しかったです。だから、再開してから5年間は必死に教わりました」
こうして、通訳をしながら、夜はベリーダンスという忙しくも充実した生活を送っていました。
もんぜんぷら座においておこなわれた発表会。華麗な舞は観る者を釘付けにした
みんながつながっている長野市
順調に人生を歩んでいたブレンダさんですが、あまりの忙しさに、ある日気づいたら気を許せる友人が一人もいなかったといいます。
「そんな時に、今の旦那さんと出会ったんです。実は私、明石家さんまさんの『恋のから騒ぎ』という番組に出ていたんですが、それを見ていた旦那さんから、私が当時作っていたプロフィールサイトにメ―ルが来ていたんです」
その内容が「僕は、長野県生まれで曳家(建築物をそのままの状態で移動する建築工法)の仕事をしています。僕は、ワイルドとチャイルドの間の、マイルドな男です」というなんともユーモアのある内容だったといいます。
「実は、以前にも同じメールが来ていたんですが、その時は忙しくて返事をすることもなかったんです。でも、心身ともに疲れていた時に、このメールを見て、なんか面白くて、心がホッとしたんです。それに、私のことをずっと覚えていてくれたことも嬉しかったんです」
曳家の旦那さんが、ブレンダさんとの恋の住処を曳いてきた瞬間でした。
その後、第一子の出産を機に、長野市に引っ越します。
「出産して最初の半年間は、翻訳の仕事はないし、子育てに追われ、友人もいない。正直、寂しかったし、シカゴや大阪という大都市で生活してきた私は、長野市に古さと物足りなさを感じていました」
そう当時を振り返りますが、住んでいくうちに人の優しさを感じてきたといいます。
「大阪はユーモアを通して人のつながりや優しさがありましたが、ここは人が純粋に優しいんですよ。自分の子どもが地域の人に見守られているところ、それにみんながつながっているところが大好きです」
心にかかっていた靄が取れた頃、ブレンダさんは再び長野市でベリーダンスを見に行き、本格的に教える人が欲しいという声が上がるなか、友人を通して講師の依頼がきます。
「ちょうど1人目の子どもが生まれて半年後くらいだったのですが、地域とつながりたいという思いから復帰しました」
現在、20名近くの生徒さんにベリーダンスの指導をしながら、通訳の仕事にも本腰を入れようと意気込んでいるブレンダさんですが、長野市において思うところもあるそうです。
「確かに住民のつながりはあるのですが、外国人同士のコミュニティーが弱い感じがします。だから今後は、外国人のつながりも深めていきたいです」
今日もブレンダさんの円運動で、どんどんと周りが幸せの輪に包まれていきます。
シカゴに住んでいた頃。弟のブランドンさんと2ショット
ブレンダさんファミリー。実に絵になる!
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会える場所 | すみへいカルチャーセンター 長野市北長池1667 電話 026-213-8005 「初めてのベリーダンス」開講中 |
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