No.222
小林
忍さん
ピンバッジデザイン・製作BIG WAVE取締役社長
限られたスペースに込める思い
文・写真 Chieko Iwashima
ピンバッジは小さな広告
長野市稲里町にある、ピンバッジ専門会社「BIG WAVE」では、長野県観光PRキャラクター・アルクマをはじめとした各地のご当地キャラクターの商品のほか、各種イベントやスポーツ大会の記念品、ノベルティグッズ、社章や校章など、さまざまなピンバッジを手掛けています。
ピンバッジといえば、世界中に愛好家がいて、中には高額で取引されるものもあります。細かいものを集めるのが好きな編集部・岩島は、たくさんのピンバッジを目の前に興奮を隠しきれませんでした。
きっと社長は生粋のピンバッジコレクターに違いないと想像していましたが、どうやら少し違うようです。
社長の小林忍さんは、広告代理店で働いていた経験を生かして起業し、次第にピンバッジに特化していくようになったと語ります。
所狭しと並ぶピンバッジの数々。一番安い製法仕様で100個30,000円(税別)から作ることができる
「もちろんピンバッジは好きですが、コレクターというわけではありません(笑)。私はピンバッジを一つの広告として見ています。看板やチラシ、ネットと並んでピンバッジがあって、この小さな媒体の中に伝えたいことをどう入れようと考えています」
そして、ピンバッジは意外と身近なところにあるといいます。
「社章や校章もピンバッジの一つだと私は考えていますし、例えば、何かの会員になった人への証だったり、飲食店などでスタッフのやりがいとして職務のレベルごとにピンバッジを渡したりすることもあります。ピンバッジって、けっこう生活に密着しているものなんですよ」
長野県「しあわせ信州」プロジェクトのロゴピンバッジ。アルクマの限定品も!
目の当たりにしたピンバッジ人気
長野市出身の小林さん。小林さんのお父さんは自営業をしていて、自分でお店の看板を作ったり、チラシを作ったりするのが得意だったそうです。その影響もあって、小林さんも昔から看板やCM、お店のパンフレットやスーパーのチラシを見たりするのが好きだったといいます。
「小学生のときから、将来の夢は社長になることでした。何の会社かは決めていなかったけれど、自分で商売を起こしたいと思っていたんです。親の影響もあると思いますし、常連のお客さんなど自分より年上の人に囲まれて育ったこともあって、大人になったらちゃんと働きたいと思っていました」
短大卒業後は広告代理店に就職。その後、飲食企業の広報を経て、1999年に独立します。当初は広告代理業を中心としていましたが、次第にピンバッジを扱うようになっていきました。
「1998年の長野オリンピックのときに、路上で売られるピンバッジの人だかりに衝撃を受けたことが大きかったです。広告の営業をするのと同じようにピンバッジもクライアントへすすめていきました。そのうち、小さいけれど身に着けるとちょっと素敵で、さらにそこにまつわるエピソードがあったりするピンバッジというものがどんどん好きになっていきました」
2003年、ピンバッジ専門の会社としてBIG WAVEを設立。その直後、2005年に長野で開催されたスペシャルオリンピックスのピンバッジを請け負ったことが弾みとなり、全国から注文が入るようになっていきました。
伊豆高原川奈にある「水森亜土のおもちゃ箱画廊」のオリジナルピンバッジも手掛けた
現在は大半を海外工場で作っているため、一番困るのは飛行機が止まってしまったりする物流のトラブルだといいます。
「イベントに関わるものも多いので、納期は絶対です。だから日程に追われる夢はよく見ますね(笑)。でも、苦労して完成したもののほうが大ヒットして追加発注がきたりするんです。手がかかればかかるほど、いい商品になったりするんですよね」
実際に小林さんが空港まで受け取りに駆け付けたこともあるそうです。
そのような不便を感じても、港や空港がない長野市で会社を続けるのは、長野オリンピックという原点があるからだといいます。
「スポーツの世界大会にピンバッジは欠かせないものです。当社は、長野オリンピックの影響でできたと言っても過言じゃない会社ですし、間近でオリンピックを経験してきたからこそできることがあると思うんです。だから、まだどう絡んでいけるかはわかりませんが、2020年の東京オリンピックの仕事は目標にしていきたいですね」
BIG WAVEオリジナルのピンバッジは同社での購入可能。決まったサイズから形を選ぶ「デジタルプリントピンズ」であれば、1個でも注文できる
ピンバッジが放つメッセージの力
小林さんのピンバッジ好きに拍車をかけた一つのピンバッジがあるといいます。それは、『no guts no glory(ノーガッツ ノーグローリー)』という言葉が書かれたピンバッジです。
「勇気がなければ栄光もないという意味の言葉が、自分の基となるような大好きな言葉なんです。きっとそれがほかの何かに書かれていたとしても、私は注目していなかったかもしれません。ピンバッジに書いてあったからじっくり見たんですよね。そこからピンバッジの魅力を知ったような気がしています」
のバッジは、2008年に現在の社屋を建てたときに決意を込めて柱に刺してもらったといいます。
「普段見ることはできない場所なんですが、会社の大黒柱に挿してもらってあります。大工さんには変な人だと思われたかもしれません(笑)」
何年経っても色あせることなく、あるときは胸元で誇りとして輝き、またあるときは伝えたいメッセージをさりげなく主張するピンバッジ。小林さんは、そこに込められた思いをつなぎ、拡げ続けています。
クライアントに許可を得たものに限り、製作エピソードをブログで紹介している
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会える場所 | 有限会社BIG WAVE 長野市稲里町田牧133‐62 電話 026‐283‐7024 ホームページ http://www.pin-bigwave.jp/ |
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