No.215
平井
匠さん
ウェディングプランナー アマンダンスカイ
競輪で培った粘り強さを武器に
最高の一日をプロデュースする
文・写真 Takashi Anzai
すぐに結果がでなくても努力を続ける
長野市の中心市街地から車で10分ほどの距離にありながら、地附山の中腹に位置し、善光寺平を一望できる結婚式場、アマンダンスカイ。ここでウェディングプランナーとして働く平井匠さんは、大学を卒業するまでプロの競輪選手を目指していたアスリートでした。現在は、多くのカップルの幸せな一日をプロデュースしています。
「競輪で培った忍耐強さは武器になっていると思います。競輪は、タイムをコンマ何秒縮めるためにすごく練習が必要ですし、その努力に対して目に見えて結果が出ることが少ない世界です。いま仕事ですぐ結果が出なくても、投げ出さずに努力を続けられるというのは、競輪の経験が役に立っていると思います」
平井さんに一目置いているというゼネラルマネージャーの波田裕明さんもこう話します。
「初めてのことに積極的にチャレンジするという気持ちの強さ、そして挑戦するまでに勉強して備えるときの粘り強さは彼の強みだと思います。それがお客様に伝わっているのではないでしょうか」
担当すると4ヶ月間にわたり新郎新婦と打ち合わせを重ね、当日の進行を企画し、そのためのあらゆる手配をするウェディングプランナー。平井さんはこれまで何組もの式を担当してきました。
「楽しいという気持ちだけで、気づいたら式当日だった」と思ってもらえるようなサービスを目指している
ひたすら走り続けた学生時代
平井さんは埼玉県加須市生まれ。中学時代までは陸上部でした。競輪選手を目指したのは中学3年生のとき。
「実家の近くは田舎で車も少なかったので、競輪選手がよく練習していました。何もわからないまま、単純にかっこいいという憧れだけで、関東でトップクラスの強豪校に進学しました」
高校時代は、18歳以下の日本代表選手らに囲まれ、全国トップレベルの環境で練習に打ち込んでいた平井さん。練習が終わった後、片道60キロある学校までの道のりを自転車で帰るという自転車漬けの日常を送っていました。高校2年のときはスクラッチでインターハイ5位に輝きます。その後、常に日本一を競う法政大学に進学。インカレでは全国3位に入り、4年生の時に満を持して、プロ選手の養成所のテストを受けます。
しかし、結果は不合格。2年前からテストの合格率が跳ね上がったこともありましたが、わずかにタイムが届きませんでした。秋に行われた試験から半年近く、競技を続けるか悩んだ平井さん。大学を卒業したタイミングで引退を決めます。
「ここまでやったのに受からなかったということで、自分の限界を感じてしまったんです。このまま努力して、ギリギリで合格しても、競輪選手になってからトップで走ることはないだろうと思ったんです。だったらまったく違うことをやってみようと」
真っ先に頭に浮かんだのは、在学中、会社説明会に出たことがあった現在の会社でした。
4ヶ月かけて準備を進めてきた式当日も黒子に徹する
同じ方向を向いて努力できる環境
「採用担当の人がキラキラしていて、かっこいいと思ったんです。みんな楽しそうにやっていたし、社内で新規事業の企画を募って、採用されたら実際に事業化する制度なども魅力でした」
実際に入社してみて、社内は当初のイメージ通りだったと話す平井さん。
「みんなが、お客様の最高の一日をプロデュースしようという、同じ方向を向いて努力しているので、居心地もいいですし、周りのスタッフも生き生きしています」
長野に配属されてもうすぐ1年が経ち、徐々に経験も積み上げてきました。
「打ち合わせから当日まで、まったくストレスを感じることなく、楽しい気持ちだけで、気づいたら当日だったと思ってもらえるような仕事がしたいですね。そして、お客様が口に出さないこともくみ取れるようになりたいです」
ここにしかない景色、そして思いがこもった料理とサービスがアマンダンスカイの強みだと、平井さんは胸を張ります。背筋をしゃんと伸ばし、自信に満ちた表情は、24歳の若手とは思えない、プロフェッショナルのそれでした。
標高約500mの式場からは善光寺平が一望できる
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会える場所 | アマンダンスカイ 長野市上松3-7-27 電話 026-238-2888 ホームページ http://produce.novarese.jp/ask/ |
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