No.48
桐原のわら駒
社会保険労務士 玉野井幸司さんのフェイバリット・ナガノ
氏子の手で作り継がれる
“神馬”
文・写真 坂西孝美
長野電鉄桐原駅近くに鎮座する「桐原牧(まき)神社」。その歴史は奈良・平安朝のころにまで遡り、かつてこの地は名馬の産地であったと伝わっています。そうした由来を背景に、同神社の春季例大祭では、地域の人々がさまざまな願いを込めて馬型の「わら駒」を作り、神前に奉納してきました。その伝統は今なお受け継がれています。
それぞれの願い込めて
旧桐原村の古い記録によれば、同神社の例大祭でわら駒を奉納する神事は江戸時代後期には行われていたといいます。わら駒はもともと、地域の各家庭で作っていたもの。当時は今より一回り大きく、供物の食べものを収めていたそうですが、昭和30年代から生活環境の変化とともに小さくなり、供物を入れることもなくなりました。
わら駒はいま地域の保存会の手で作り継がれ、祭り当日に神前でお祓いを受け、“神馬”として一部を参拝者に授けています。桐原のわら駒で特徴的なのは、気品あるたたずまいと、豊穣や繁栄の象徴ともいえる“雄馬のシンボル”。ご利益にあやかりたいという思いはもちろん、民芸品としての価値にも注目され、今ではわら駒を求めて県外から訪れる参拝者もいるほどです。
馬の像が立つ桐原牧神社。境内に「わら駒会館」(写真左の建物)があり、通年で神楽の練習にも使われている。社殿は今年の例大祭ののち改修に入る予定
氏子の手で伝統を守り継ぐ
わら駒づくりの伝統を守っているのは、「桐原牧(わら駒)保存会」の方々です。会員23名(2017年2月現在)のうち、作り手は50代から80代まで16名。始めて数年の人もいれば、高校時代から50年以上というキャリアの持ち主もいます。保存会会長の河原田定美さんによれば、定年退職後に取り組む人がほとんどで、ご自身も一度は20代に手がけたものの、退職してから本格的に始めたといいます。ですが「桐原区の住民で興味のある人であれば、いつでも、どなたでも会員になれます」。
2002年(平成14)、桐原牧保存会は藁(わら)駒づくりで長野市選定保存技術保存団体の認定を受けましたが、指導もできる同技術保持者は河原田さんも含め実質7人です。作り方を教わりたいという依頼は方々からあるそうですが、本来は氏子の祭り。河原田さんは「わら駒づくりの伝統は桐原区の氏子で守っていきたい。作り手の厚みを増しておくために、新人の発掘や周囲の理解を求めるなど、環境づくりに努めるのも我々の役目」と語ります。
神社への奉納馬はひと回り大きい。製作したわら駒のうち80体ほどが当日の参拝者にくじ引きで授けられ、一部は販売も
技術伝承の場「わら駒会館」
一昨年、桐原牧神社の境内に「わら駒会館」が完成しました。旧公民館を活用したものですが、「わらが散らかっても心配いらないし、存分に製作できる環境が整った。公民館とは別にこういう場所があることが恵まれていると思います」と河原田さん。
材料のわらが手に入る収穫後から、3か月ほどが実質の製作期間。その傍ら、わら駒会館では新人教育に取り組んだり、子どもたちや区民対象の講座を開いたり、わら駒づくりに触れてもらう機会もぐんと増え、次世代の担い手発掘にも期待がかかります。
それでも河原田さんは「課題はいっぱいです」といいます。作り手の裾野を広げながら、技術向上を目指していくこと。また桐原にはもう田んぼがないため、材料のわらを確保すべく会員の皆さんは奔走しています。
桐原牧保存会は今年の春季例大祭に初披露する巨大わら駒も製作(写真:河原田さん提供)。当日の反応を楽しみにしている
今年は巨大わら駒も初お披露目
取材に訪れた2月15日、わら駒会館には、今年の例大祭に向けて製作されたわら駒が集まりました。会員それぞれが数十体ずつ作りあげて持ち寄り、その数370体ほど。今年はこのほかに、皆の力で高さ2mほどの“巨大わら駒”を製作しました。9時~(予定)、巡幸祭で区内を練り歩きます。
毎年、市内外から多くの参拝者が訪れる桐原牧神社の春季例大祭。準備に関わる人々はもちろん、伝統を後世に守り継ごうという意識が地域で共有されていると感じます。
桐原牧神社の例大祭(写真は2014年、河原田さん提供)。当日は大勢の参拝者で賑わう
Information
桐原牧神社(長野市桐原)
春季例大祭は3月8日(2017年は水曜日)
主な予定
9時~ 巡幸祭(区内を巡る)
10時~11時ごろ くじ引き
10時10分、40分 獅子舞奉納