No.94
秋祭りの風物詩「地口灯篭」
ナガラボ編集部のマイフェイバリット
祭りににぎわいを添える、風刺を効かせた川柳とイラストの文化
文・写真 島田 浩美
8月から10月にかけて、各町で秋祭りが開催される長野市。神社の境内に掲げられるのが「地口(じぐち)」とよばれる川柳と軽妙なイラストが書かれた灯篭(とうろう)です。夕暮れのなかで絵や文字がぼんやりと浮かびあがり、祭りの情緒を盛り上げます。
江戸時代から続く言葉遊びの伝統
「地口」とは江戸時代中期ごろに庶民の娯楽として流行した言葉遊びの一種。だじゃれ、語呂合わせの言葉遊びなどの意味で、似口(にぐち)が転化したものといわれています。昔の人たちはその言葉遊びを競い合い、日常を楽しみました。
長野の地口は川柳のかたちで、日常の悲喜こもごもや社会風刺などを表現する内容が中心。「地口川柳」とよばれており、最初と最後の一字がお題で決められています。
例えば、お題が「ナガラボ」であれば、「な」で始まり「が」で終わる句、あるいは「ら」で始まり「ぼ」で終わる句を、日常の楽しさや苦労、世相などにからめて五七五調で表現するのです。
その地口川柳が書かれ、ユニークなイラストを描き添えられたものが「地口灯篭」です。「地口行灯(あんどん)」とも呼ばれます。
▲和紙を張った縦長の灯篭にひとひねりした川柳と絵が描かれ、明かりが灯されて掲げられる地口灯篭
祭礼の際などには参道に立てられたり家々の軒先に掛けられ、江戸時代から祭事には欠かせなかったものだったとか。長野市の地口灯篭はいつ頃から作られていたか定かではないそうですが、秋祭りでは各神社のにぎやかしとして奉納され、道行く人を楽しませてくれます。お祭りの風物詩として欠かせないものです。
特に中心部である善光寺周辺の神社は、この「地口灯篭」が昔から盛んだそうで、いくつもの神社で見られます。
▲秋葉神社の場合は権堂アーケードに数日間、掲げられるため、多くの人が足を止めて楽しそうに眺める姿が見られます(残念ながら2019年は諸事情により中止だった模様)
▲毎年10月1日開催される妻科神社の例大祭では近隣で最多の160作品が掲げられるそう。2018年のお題は大谷翔平選手の活躍による「二刀流(にとうりゅう)」でした
ユニークな川柳とイラスト、その背景を探る
実は私、以前からこの地口灯篭を見るのが好きなのですが、気になっていたことがあります。それは、川柳がどうやって選ばれ、イラストは誰が描いているのかということ。イラストのテイストから察するに、各神社で同じ画家が手がけていると思われるのですが、こんなにたくさんの数を同時期に描くことは可能なのでしょうか。一体いつから制作しているのでしょう。
そこで各神社に問い合わせ、たどり着いたのが、以前に「ナガラボ」で“かっぱさん”の愛称で親しまれていると紹介をした画家の宮本廣文さんでした。
▲長年、広告美術業に従事し、現在は善光寺門前にアトリエ「廣文」を構える宮本さん
もともと25〜6年前から川柳創作を趣味とし、信越放送(SBC)の『うきうきワイド 土曜痛快大通り』というラジオ番組の『痛快川柳』コーナーには、1998年に番組が終わるまで7年間、毎週欠かさずイラスト付きの川柳をハガキに書いて投稿していたという宮本さん。
「50歳を過ぎた頃から投稿を始め、毎回評価されていました。今でもイラスト付きのハガキはよく取り上げてもらえると聞きますが、その走りのようなものですね。当時のリスナーは“アドさん”のペンネームを聞くとわかるんじゃないかな」
▲投稿をきっかけに坂橋克明さんなど当時のラジオパーソナリティの方々と交流も始まり、宮本さんが似顔絵を描いたテレホンカードも制作されたとか
そして番組終了を機に、中野市のローカル新聞「北信ローカル」で自作の川柳を紹介する「アドさん川柳」のコーナーを10年間、担当するように。さらに2015年からは「信濃毎日新聞」の読者投稿欄「建設標」で世相を風刺する短文の「三行コント」のコーナー「やまびこ」の漫画(毎週木曜に掲載)も手がけています。
そんな宮本さんが善光寺周辺の神社の地口灯篭を手がけるようになったのは、20年ほど前。長野市三輪田町にある「田面稲荷神社」の関係者と偶然知り合い、宮本さんが川柳を作っていることから「現在の画家が高齢のため、半分手伝ってくれないか」と誘われたのがきっかけだそう。
▲広告美術の仕事でイラストもさまざまな書体での手書き文字も手がけ、趣味で川柳を創作していた宮本さんにとって地口灯篭制作は最適でした
その地口灯篭を見たほかの神社の氏子の方々から誘われるかたちで、年々、手がける地口灯篭が増えていくように。今では武井神社、秋葉神社、諏訪神社、妻科神社、中御所の四万八千日縁日などを担当し、計500枚ほどの地口灯篭を7〜8月の2カ月間かけて制作しているそうです。
「仕事柄、長年どんな絵も描けるように努めてきましたが、当初はイラストを描くのに時間もかかったし苦労もしました。それでも次第に川柳の作品を見ただけで詠み手の心の中まで汲み取れるようになってきて、今では詠み手の表したい状況に応じた絵を描くようにしています」
▲善光寺門前にある4畳ほどのスペースのアトリエ。地口灯篭の制作期間中は空間いっぱいに洗濯物のように地口川柳と絵が描かれた和紙が干され、壮観なのだとか
ちなみに、秋葉神社ではかつてはこの地口灯篭の伝統が途絶えていましたが、宮本さんの地口灯篭を氏子の方が見たことで復活し、当初は50作品だったものが、好評により翌年から100作品に増えたそうです。
秋祭りとはまた違った趣を感じる川柳の発表会
今では善光寺周辺で唯一の地口絵職人として伝統を受け継いでいる宮本さん。自身もこれまでに数千作品の川柳を制作し、武井神社や秋葉神社に投稿しているそう。では、各神社の地口川柳のお題はどのように決められ、どんな風に選ばれているのでしょう。
宮本さんによると、お題は各町内の役員が話し合って決めているのではないかとのこと。大体が前年のニュースや流行語、時事ネタによるもので、今年は元号が変わったタイミングだったため「令和(れいわ)」というお題が多かったとか。
お題が決まると各神社の掲示板などに掲げられ、作品は広く公募されます。何度か投稿し、神社からお題が書かれたハガキが自宅に届くようになると常連になった証拠だそう。
▲こちらは秋葉神社に掲示されていた募集告知(小林玲子さん提供)
そして、選んでいるのは全国川柳協会に所属するような、川柳を専門とする一流の川柳作家。各神社にこうした選者がいるといいます。
「川柳が好きな方は各地の吟社とよばれる結社に所属し、作品制作に励んでいます。そうしたなかでも地口灯篭は自分の作品がイラスト付きで境内に飾られ、祭りが終わっても捨てられることなくきれいに木枠から切り取られ、詠み手に郵送で返却されます。それが記念になると喜ばれているのではないですかね」
▲宮本さんが今年、武井神社に応募した作品のひとつ
なお、100作品ほどが選ばれる神社でも500〜600作品の応募があるのだとか。そこから選ばれるのですから、神社の境内に掲げられているだけでも川柳作家にとってはうれしいそうです。
さらに天位(最優秀賞)・地位(優秀賞)といった順位づけが行われるのも地口灯篭の特徴。いずれも発表の場は秋祭りだけなので、実際に神社に足を運ばないと自分の作品が選ばれたのか、また入賞しているのかがわからないのだとか。秋祭りとはまた違ったコンテストのような祭りが、地口灯篭という舞台で繰り広げられていたのです。
▲以前に武井神社で「地位」と「五客」に入賞した宮本さんの作品
▲今年の諏訪神社の入賞作品
最後に宮本さんに川柳の魅力を尋ねると、「上に立つ政治家や経営者を下から柔らかく突き上げ、憂さ晴らしをするのが江戸時代から続く魅力」との答えが。
「江戸時代には人の集まりやすい街角や公共の場に世相を風刺した狂歌を匿名で公開する『落首』が流行しました。その流れがずっと続いているんですね。上手な川柳作家はそこまで読んで作っているし、若い人はサラリーマン川柳のようにストレートに表現する。五・七・五の言葉にはめ込んでしまえば誰でも作れるのも魅力です。ただ、地口は上と下の語が決まっているので、ひとひねり考えないとできないのもおもしろさ。そして、地口灯篭は選者や画家の名前は知られることがないので、それも神秘的なのかもしれませんね」
なお「物語・信州ことば遊び事典(郷土出版社・2007年発行)」によると、長野県下には狂歌や回文などが書かれた江戸時代の石碑や献額された作品が全国的にも最多規模で見られるのだとか。それだけ昔から言葉遊びが盛んだったことがわかります。
秋祭りが開催されるこの時期。地口灯篭のユニークな言葉遊びとイラストに秘められた新たな文化にも目を向けてみてはいかがでしょうか。