No.273
小出
陽子さん
ふきっ子おやき店主/信州おやき協議会会長
「おやきの伝道者でありたい」
文化を守りつつ可能性を広げる
文・写真 安斎高志
東京、インドネシア、そして帰郷
おやきをより多くの人に愛してもらいたい―。そんな思いで、6年前に信州おやき協議会を立ち上げ、おやき店「ふきっ子おやき」を経営する傍ら、作り方の教室も開いている小出陽子さん。おやきに関する著書も出版するなど、普及活動の先頭に立ち、たびたびメディアにも登場します。
情熱的な活動から、その人生の大半をおやきに賭してきたかのような印象を受けますが、実は小出さんが母親のおやき屋を継いだのは11年前、45歳のときのこと。それまで東京の信用金庫、出版社などで働き、その後18年間勤務した建設コンサルタント会社ではインドネシア駐在も経験、大規模プロジェクトのマネジメントをしていたという経歴の持ち主です。
「東京でやり残したことは一切なかったので未練はなかったですね。このままだれかに雇われる人生を送っても先がないなと思い始めたころに、母親がおやき屋を辞めたいと言い出したんです」
化学調味料を一切使わず、素材のうまみを引き出している
高校卒業後、進学で東京へ出るまで、おやきは嫌いだったと振り返る小出さん。しかし、長い東京や海外での生活で、おやきに対する感情も大きく変化していました。
「離れている期間が長かったから、その間にすごく魅力的な食べ物だと気が付いていました。肉も魚も使わない、野菜だけでヘルシーで、栄養バランスがいい。実際、自分でも母親から送られてきたものを冷凍庫にストックしておいて、小腹がすいているときや、朝の時間がないときにすごく重宝していました。だから、自分がおやき屋になったら、こうしていきたいという夢みたいなものがいっぱい膨らんだんです」
駐在していたインドネシアでクーデターに巻き込まれた経験も背中を押しました。目の前を戦車が行き交う中、会社からの指示は「そこに留まれ」。小出さんは命の危険を感じながら、関係者の安否確認などの業務をこなしました。一方で、母親は会社に何度も電話をかけて娘を帰国させてくれるよう直談判したそうです。そのことを聞いたとき、人生について考え直すようになったといいます。
父親が営んでいた郵便局のカウンターを再利用している
おやきは嫌いだった
長野市生まれの小出さんにとって、幼いころ、おやきはあまりに身近すぎる食べ物でした。父親は朝から晩まで粉ものを食べていれば満足していたといい、嫁の条件も「おやきが作れること」だったそうです。
「1週間のうち少なくとも5回は、おやきかうどんが出てきました。お腹がすいているから食べるものであって、おいしいとかまずいという次元ではなかった。うどんも手打ちだったからおいしかったはずなんだけど、そういう記憶がないですね」
しかし、疎ましくさえ思っていたおやきが、東京や海外での生活を続けるうちに、小出さんの中で存在感を増していき、ついには母親に代わって店を継ぐことになるのだから、人生はわからないものです。
帰郷前、それまで大規模な建設プロジェクトなどに携わってきた小出さんにとって、おやき屋は簡単なビジネスに見えたそうです。しかし、店に入ってみると、そう簡単ではないことにすぐ気付きます。
「キャベツの千切りから始まって、完成に至るまで全部手作りなんですけど、それが1個100円なの?!と驚きました。おやき屋が儲けるには、相当がんばらないといけないなということがわかって、でも逆に『じゃあやってやろう』という気持ちになりました」
小出さんは継いで間もなく、化学調味料を一切使わなくなりました。だしは、かつおぶしやこんぶの粉を使い、白砂糖は使わず、塩も天然のものに切り替えました。すると、お客さんの反応も変わったといいます。
「『ここのおやきだと、お野菜をいっぱい食べてくれるんです』と言って買ってくれるお母さんが増えたんです。もちろんコストは天井知らずで上がってしまうんですけど、そういうお客様の反応を見たときに、おやきは商品である以前に、郷土食であり続けなければいけないのかなという思いが芽生えました」
2013年に出版された小出さんの著書「信州おやき巡り」。取材を通じて、おやきを取り巻く現状を知れたことは大きかったと振り返る
よりよいおやきを作る一方で、課題だと感じたのは、県外の人に対する知名度の低さでした。そのため、長野商工会議所と連携して信州おやき協議会を立ち上げ、同業者が協力しながら普及を進める態勢を整えました。
協議会は当初、首都圏でのPRが中心でしたが、徐々に地元の人たちに価値を再認識してもらえるような活動が主体になっていきます。
「地元の人が知らないものを県外に発信はできないと実感したんです。地元でも、おやきがこれだけ種類があるということをあまり知らないし、自分が食べているものだけがおやきだと思っている人が多いと感じました」
現在、協議会には40社が参加し、イベントや広報物の発行を通じて、おやきの価値を発信しています。「おやきスタンプラリー」や「おやきの祭典」などは、市民の間にも浸透してきました。
常時、10数種類が並ぶ。新しい味を開発しているときが一番楽しいと話す
旬を食べてほしい
協議会が発足してから、おやきの市場も変化してきたと話す小出さん。コンビニやスーパーでも買えるようになった一方で、機械による大量生産のおやきが出回るようになってきました。
「消費者の立場からみれば、おやきが身近になったとは思います。だけど、作り方や味を子どもに伝えていく、そのプロセスこそが郷土食の一番いいところ。だから手作りであることが大事なんです。おやき文化を守っていくには、商売として売るだけじゃなく、並行して家庭でも作っていかないと。私はおやき事業者でありながら、『おやきの伝道者』でありたいと思っているんです」
3年前に著書を出版したことで、よりその思いが強くなったという小出さん。定期的におやき教室を開くようになりました。店舗の経営で忙しいなか、イベントなどでも作り方の教室で講師を務めています。
「教室を始めてみたら、思っていた以上におやきを作りたいという人がいました。どこに行けば教えてもらえるかわからなくて、作れなかったという人がすごく多かったんです。おやき作りを伝えていきたいと真剣に思っている生徒さんばかりなので、それが一番の宝ですね」
手前は旬のさつまいもをつかった「カフェおさつ」。やさしい甘みが口の中に広がる。奥は食欲をそそる鮮やかな色の「和のトマト」
おやき文化を守る一方、味や素材に関しては常に新しい挑戦を続けています。小出さんは、それが最も楽しい時間だと笑顔を見せます。
「オリジナルのレシピはこの11年で400種くらいになりました。旬の野菜を旬に食べてほしいので、私は季節のおやきというものをすごく大事にしています。台所にたくさんあるようなお野菜をどうしたらおいしく使えるかとか、そういうことを考えるのが楽しいですね。おやきって『こうあるべき』というものではない。想像して作っていくものなので、作る人のイマジネーションでいくらでも広がっていくんです」
「ふきっ子おやき」には、野沢菜や切り干し大根などの定番だけでなく、トマトや紫いもなど旬の素材が皮に練り込まれた、どんな味がするのかわくわくさせられるおやきも並びます。店先からは、文化を継承するという肩肘張った空気は感じられません。むしろ、おやきを純粋に食事として楽しんでほしいという気持ちがにじみ出ています。小出さんの笑顔を思い浮かべながら、素材のうまみが詰まったおやきを食べていると、おやきの未来は明るいと思えるのでした。
カフェスペースも併設している
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会える場所 | ふきっ子おやき 長野県長野市青木島 1-3-1 電話 026-284-2934 ホームページ http://www.fukikko-oyaki.com/ |
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