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ナガラボはながのシティプロモーションの一環です

No.196

倉島

のぞ美さん

カラー&フード・クリエイター/つた美 代表

心地よい毎日を送るために
「色と食」を上手に取り入れる

文・写真 Chieko Iwashima

二つの仕事の原点の場所

カラー&フード・クリエイターとして「色」と「食」の両面から心地よい生活を提案している倉島のぞ美さん。
食の分野では、料理教室の講師やラジオ、テレビ出演、フードスタイリング、雑誌や企業へのレシピ提供やメニューコンサルティングなど。色の分野では、外面の印象を演出するカラーコンサルタントや、内面への効果を利用したカラーヒーリングの個人セッションなどを行っています。その活躍の場は県内外に広まっています。

料理教室が行われているのは、長野市若穂にある古民家空間「つた美」。もともとは呉服屋「つたや」として昭和初期に建てられた日本家屋で、倉島さんの曾祖父さんと曾祖母さんの住まいとしても使われていた場所です。倉島さんは呉服屋の4代目として生まれた一人娘。そして、この場所で大半の時間を過ごしてきた倉島さんは、ここで経験したすべてが現在につながっているといいます。

取材をしながら、ここはなぜこんなに癒されるのかと不思議に思うほどの居心地の良さでした。その理由は、単にセンスのよさだけでなく、これまで倉島さんが大切に培ってきた日々にある気がしました。

呉服屋をしていた当時、お客さんに食事を用意していたため、おもてなしが日常の中にあったそう。取材時に用意されていたお茶請けに感激!

どうして食と色なのか

倉島さんが料理の先生になろうと思ったのは2歳半のとき。

仕事で忙しい母に代わって、幼い倉島さんの面倒を見てくれたのは曾祖父さんと曾祖母さんでした。

「ひいお祖母ちゃんが簡単そうに出汁巻き卵を作るのを見て、自分でも作ってみたいと言ったのが2歳半のとき。でも、どう見てもおいしくなさそうなものができたし、実際おいしくなかったんです。それなのに、ひいお祖父ちゃんとひいお祖母ちゃんはおいしいって言って食べてくれて、そのことが私はすごく悲しかったんです。大好きな人たちに、おいしくないものを食べさせてしまったことが悔しかった。もっと料理上手になって、料理の先生になろうって思ったことを鮮明に覚えています」

料理に親しみながら育ち、中学生の頃には家族の食事を用意するようになっていたといいます。

「色」に興味を持つようになったのも物心ついたときから。着物の色合いはもちろん、着物が飾ってある空間も大好きで、お母さんの仕事に連れられて京都の呉服屋へ行ったときも着物を見ていれば飽きずに待っていられたそうです。

「よくお客様に、どの色が似合うか聞かれることがあって、はっきりと答えられればいいなと思っていたんです。高校生の頃、カラーコンサルタントという職業があるのを知ってこれだと思いました」

高校卒業後、日本刺繍や色彩、染色などを学ぶため東京にある美大に進学。在学中にパーソナルカラー(その人に似合う色の診断)の資格を取得し、22歳頃からカラーコーディネーターとして仕事を開始しました。その間も料理の勉強を続け、26歳のときに念願だった料理教室を始めました。

日本の食や文化の美しさを発信する場所として生まれ変わった。食と音楽を交えた演奏会、煎茶教室、展示会など様々な用途に利用されている

家族から教えられたこと

幼いころから好きだった二つのことを仕事にした倉島さん。その活躍は、人知れず奮闘した日々に裏打ちされています。

倉島さんは、30代後半までに家族5人を看取っています。高校生の頃には一度に3人の介護をしていたこともありました。毎日の食事も、これが最期になるかもしれないと思いながら丁寧に作り、食の大切さを肌で感じていました。そのような経験から、食がもたらす予防医療の知識を学んだ専門家「アンチエイジングフードマイスター」の資格ももっています。

「現在の仕事で、介護用の嚥下(えんげ)食レシピなども作っていますが、実際に介護で作って食べさせていた経験が生かされています」

そして、倉島さんが38歳のときに亡くなったお母さんを介護した際に「色」に支えられたことがカラーヒーリングを学ぶきっかけになったといいます。そこにはこんなエピソードがあります。

母子家庭で育った倉島さんにとって、お母さんの存在は親友であり、姉妹であり、戦友でもありました。ガンでお母さんの余命が短いと知らされた倉島さんは、お母さんの希望もあって在宅の緩和ケアを選びました。何かあったらいつでも病院に飛び出せるようにと、それまであまり着たことがなかったスウェットやジャージーを着て過ごすようになりました。

「私がそんな恰好でバタバタしていたら、母に言われたんです。『お願いだから綺麗にしてちょうだい』って。娘をそんな姿にさせている自分が辛いと。もう、綺麗にするとか頭の中に一切なかったので、はっとしました」

それからは毎日お化粧をして髪も整え、なるべく気持ちが安らぐような色の服を着るように心がけました。お母さんのパジャマもピンクやラベンダーなど柔らかい色を選び、観葉植物を置くなど、心地よい空間作りに気を配りました。

「母が亡くなって、しばらくして『あなたは人を癒す力があるから、私にやってくれたみたいにほかの人にもしてあげてね』という母の言葉をふと思い出しました。そこで自分ができる癒しってなんだろうと考えて行きついたのがカラーヒーリングでした」

いざ学んでみると、母のために選んでいたピンクやラベンダー色も癒しの効果があったことがわかり、納得することばかり。2人の息子さんの子育てにも生かせるようになり、多くの人に知ってもらいたいと思いました。

長男・祐人くんが小学6年生のときに出版した『ゆうとくんちのしあわせごはん』(ミヤオビパブリッシング)には料理をする倉島さんの姿が生き生きと描かれている。『アンチエイジングフードマイスターという生き方』(株式会社フードアカデミー)には倉島さんのライフスタイルが掲載された

色と食の重なるところにある予防医学

倉島さんは、最近になってある思いが芽生えたといいます。

「どちらか一つのことに絞って仕事をした方がいいのではと言われることもあったんですが、自分でも不思議なくらい私にとっては両方必要なものでした。それが最近、予防医学や未病というところで一致することがわかってきたんです」

カラーヒーリングでは、自分が欲している色によってそのときの体や心の状態を把握します。たとえば、元気がないときには、自分を元気にしてくれる色であるオレンジ色の洋服を選び、無意識にバランスを取ろうとします。倉島さんは、食材の色を体に取り入れること(この場合はオレンジジュースを飲むなど)でも、カラーヒーリング効果を得ようと考えました。

「病気になる前の状態でいかに心地よく過ごせるか、その人に合わせて色と食の両方から提案できたらおもしろいなと思いました。今はカラー&フード・クリエイターなんですが、これからはカラー&フード”ライフスタイリスト”になりたいと思っています」

これまでのたくさんの経験が集約され、新たな目標ができた倉島さん。
ゆっくりと時間をかけて紡ぎ出された確信が、倉島さんを輝かせていることを感じました。

料理教室はデモンストレーション形式。室内からは美しい日本庭園が臨め、幅広い年代の女性の憩いの場となっている

(2015/02/19掲載)

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