No.149
降旗
伸子さん
パネルシアター ティンクル/信州パネルシアター研究会らっぽっぽ代表
国境を超えるパネルシアター
文・写真 Chieko Iwashima
子どもたちが夢中になるパネルシアター
子どもたちが身を乗り出し、釘づけになっているパネルシアター。
その注目を一身に集めているのは、ティンクルこと降旗伸子さんです。
パネルシアター歴30年の降旗さんは、国内のみならず、海外公演の経験も豊富です。
これまでに長野市内の小学校や児童センター、子どもプラザなどにはほとんど訪れ、多くの人へ楽しい時間を提供してきました。
今回、撮影でうかがった長野市北長池にある朝陽児童センターには2カ月に1回のペースで訪れています。初めて児童センターへ行った私は、そこへ集まった子どもたちの遊びへの激しいエネルギーを感じてちょっと面食らいましたが、降旗さんのパネルシアターが始まると、もっと驚かされました。さっきまであんなに騒いでいた子どもたちが一斉に降旗さんの話に集中していたからです。次第に話に聞き入り、降旗さんの問いかけに対して我先にとばかりに反応していました。
『妖怪ウォッチ』でつかみはOK!「少し前まではポケモンを出していたんですが、時代はジバニャンみたいですね(笑)」
「パネルシアターの良さって、コミュニケーションができることなんです。1人の子が答えたことにも、私がそうだね~って言うと、ほかの子も自分がほめられたような気持ちになるんですよ」
物語に合わせて絵を動かすだけでなく、クイズや手遊び、歌などを交えて一緒に楽しんでいる降旗さん。予定では公演時間は30分程度だったそうですが、気が付けば40分。その間、子どもたちの集中力は途切れないどころか、その真剣な眼差しから、どんどんパネルシアターの世界にひきこまれていくのが伝わってきました。
「三枚のお札」を演じる降旗さん。迫真の演技に目が離せなくなる
いつもどこでもパネルシアター
降旗さんは宮崎県出身。パネルシアターをやりはじめたのは短大卒業後、地元の幼稚園で働き始めてすぐのことでした。
「最初、別の幼稚園で働いている学生時代からの友だちに、パネルシアターの伴奏の手伝いを頼まれたんです。そのころはまだパネルシアターというものが世間であまり知られていませんでした。私も初めて見せてもらたんですが、そのおもしろさにすぐに虜になって、そのパネルシアターのグループに加えてもらいました。それから少しずつ、自分の勤めている幼稚園でもやらせてもらうようになったんです」
パネルシアターとは、1973年に浄土宗西光寺の住職・古宇田亮順氏によって創案されたもの。パネル布を貼った舞台(板)に、不織布に描いた絵や文字を貼ったり外したり、裏返したりして物語を進めるもので、動きのある紙芝居のようなものです。当初は、仏教の説話を分かりやすく伝えるために考えられたものだったそうです。
降旗さんは創案者の古宇田さんに直接指導してもらう機会にも恵まれ、現在でも親交が深いといいます。
「パネルシアターは、四角いパネルの空間に絵を貼るだけでいろんなところにワープするんです。地球の絵を貼れば宇宙になるし魚を貼れば水の中という具合に、この大きさの世界がいろんな形に変わる。それが魅力だと思います」
降旗さんは、幼稚園に3年勤務したあと退職し、日本で生まれたパネルシアターを世界に広めたいという思いから、内閣府が青年の国際交流事業として実施している「青年の船」(現在は「世界青年の船」として実施)に乗りました。乗船メンバーの中にパネルシアターをやっている人がいたため、そこでパネルシアターのクラブを立ち上げ、海外の老人福祉施設などで披露してとても喜ばれたといいます。
「オーストラリアの老人福祉施設でやったときは、こんなに素晴らしいもの見たことないと言って喜んでくださって、お気に入りの香水をプレゼントしてくれたおばあさんがいたんです。パネルって言葉を超えるんだってことを知って感動しました」
また、英語が苦手な降旗さんを通訳として助けてくれたのが乗船メンバーだった現在の旦那さんでした。56日間の船の旅を終えてほどなくして結婚。旦那さんの転勤が多かったため、13年前に長野市に移り住むまで1年ごとに県内各地へ引っ越し、子育てのかたわらでパネルシアターを続けました。海外転勤でインドに3年間暮らしたときもボランティアサークルに入ってパネルシアターを披露。巨大なスラムで公演したこともありました。現在も日本ネパール女性教育協会(JNFEA)が支援する、識字率の低い山間部に女性教諭(おなご先生)を100人育てるプロジェクトで1年に1回はネパールに行ってパネルシアターを教えるなど、パネルシアターを通じて国際交流を続けています。
県の図書館協会や教員の研修などで講演依頼も多く、講師としても活躍
演じる楽しさを伝えていきたい
降旗さんが30年間で作った作品は146個という膨大な量になっています。取材日に使われていた『げんこつ山のたぬきさん』は1989年に作ったものだそう。
「最近チャレンジしているのは、『幸せなら手をたたこう』の曲を世界中の言葉でやることです。これまでに、中国語とミャンマー語、英語のバージョンは完成しました」
作品を作るときに気を付けているのは、子どもたちに間違ったことを伝えないということ。たとえば、十五夜にちなんだ物語を題材にするときも、なぜお団子を食べるのか、お団子はいくつあるのかなど細かなところまできちんと調べ、伝統を正しく伝えられるようにしているそうです。
今でも新作を作るときはギリギリまで推敲を重ねるため、徹夜で公演当日を迎えることも珍しくないといいます。降旗さんの公演を見て「パネルシアターがこんなに楽しいものだと初めて知った」という感想をくれる人もいるそうですが、その陰には降旗さんの地道な努力があります。
降旗さんが代表を務めている「信州パネルシアター研究会らっぽっぽ」は、「楽しく(楽)パネルシアターで(P)歩んでいきたい(歩)」という思いから、長野のパネルシアターで活動している3グループで立ち上げたものです。もっと仲間を増やし、たくさんの人に楽しんでもらうために長野でフェスティバルを毎年開催していくことが今の夢だといいます。
「パネルシアターって本当におもしろいのですが、まだ知られていないところもあるので、パネルあるよって聞くだけで行ってみたいって思ってもらえるようになったらうれしいです。でも、演じている私が一番楽しんでいるかもしれません(笑)」
中国語バージョンの「げんこつやまのたぬきさん」
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