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No.035

藤田

さん

藤田九衛門商店 店主

鯉を焼き上げた浪速の革命家

文・写真 Yuuki Niitsu

2014年5月5日こどもの日。この日めでたく1歳の誕生日を迎えたのは、善光寺門前町に店を構える藤田九衛門(くえもん)商店です。
名前だけ聞くと老舗の酒蔵や味噌蔵などをイメージする方もいるかもしれません。
しかしこのお店は「鯉焼き」を販売しているんです。もう一度言います。たい焼きではありません、こい焼きです。

「正直こんなに売れるとは思いませんでした。1日50個売れればいいだろうくらいに思っていましたから」

オープンする前の心境を振り返るのは藤田九衛門商店の店主、藤田治さんです。

藤田さんは大阪で育ちました。先祖が代々商人の家系というルーツを持つ藤田さん。
店名の由来は、本家の現在16代目にあたる藤田九右衛門(きゅうえもん)さんが「九衛(くえ)さん」というニックネームで呼ばれていたことから、藤田九衛門(くえもん)商店と名付けました。
さてその気になる鯉焼きですが、発明したきっかけは編集部・新津の身近なところにありました。

「長野市に移住する前に軽井沢で出張料理の仕事をやっていたんですが、その頃、佐久市野沢にある有名な鯛焼き屋さんによく通っていました。皮がパリッパリでめちゃめちゃおいしいんですよ。でも佐久市なんだから、有名な佐久鯉に因んで”鯉焼き”を作れば絶対ヒットしますよ!って佐久市の社長さんとかに勧めていたんですよ。だけど皆さん、アイデアはいいねって言うけど誰もやらないんです。ほんなら、関西人ですけど、私がやりまっせ!ということで、鯉焼きを作ることにしたんです」

鯉焼きの誕生秘話を教えてくれた藤田さん。嬉しかったのは、この鯛焼き屋さんが、佐久市出身の私が子供の頃から通っていた鯛焼き屋さんだったということです。
「鯉焼きを作るにあたって、一番時間をかけたのはデザインですね。どうせ作るなら、誰にも真似されないような細かい作りにしたろうと思いました」

柔和な印象の藤田さんですが、勝負となると大阪商人としてのDNAが顕著に表に出ます。
また、大阪、東京、オーストラリアと修業を積んできた料理人としてのプライドが拍車をかけました。

まず藤田さんは見本となる鯉焼きを作ることを決めます。驚いたのはそのデザインや型彫りだけになんと1年間もの時間を費やしたそうなんです。
そしてこのデザインを形にするために富山県まで足を運びます。

「富山の井波町というところは、日本一の木彫りの里と言われていて、参道を歩くと木彫り、木彫り、カフェ、木彫り、木彫り、雑貨屋、木彫り、木彫り、木彫り、散髪屋。木彫りしかおれへんやん!っていうくらい木彫りが有名なんです。その井波町の木彫り職人の方に鱗の部分のデザインと木彫りをお願いしたんです」

さらに、デザインした鯉を鋳物にするために、知人を介して金沢にいるオリジナルの鋳物しか作らないという鋳物師と出会います。
こうして最強のパートナーと出会った藤田さんは、順調に商品開発を進めていく予定でした。しかし、意外なところに落とし穴があったといいます。

「普通の鯛焼きは、形がまっすぐで死んだ魚のようなデザインだけど、それじゃあ面白くないんで、うちは裏表の両面に違う鱗のデザインをして泳いでいる感じを出すことにこだわりました。それで鱗を徹底的に細かく作ったんです。でも、いざ焼いてみたら鱗のラインが生地に出てこないんですよ」

まさかのアクシデント。しかし、そこは千軍万馬の鋳物師。

「デザインが細かすぎると、焼き上がりに生地が出てこない」

この的確なアドバイスにより、局面を打開し再出発します。

「最初は私が紙粘土でイメージを作り、それを図面にしてもらって鯉の表と裏の両方のデザインを何回も作りました。デザインで特に苦労したのは、尻尾ですね。角度や、太さによって焼いたあとの仕上がりが全然違うんですよ。あんまり鋭角に尻尾を掘ると焼いた後に、取れてしまうんですよ。それに、角度だけじゃなく太さにも気を遣いました。太すぎると見た目が、かっこ悪いし、細すぎても貧相に見えるし。何度も何度も、デザインしては彫るの繰り返しでした」

鋳物は経費も掛かるため一発勝負ということで、デザイン、木彫りは特に慎重におこなったといいます。
こうして試行錯誤の末、なんと1年という時間を経て1匹の鯉が焼き上がりしました。

善光寺からすぐの場所にある藤田九衛門商店。遠方からの参拝者がお土産を買いに寄ることもあるという

信州の料理人、富山の木彫り職人、金沢の鋳物師。まさに平成の三国同盟により「鯉焼き」という新たな時代が生まれた瞬間でした。

この満を持して生まれた鯉焼きを「垂水(たるみ)」と名付け、世に出すこととなりますが、意外にも藤田さんは冒頭の言葉通り、1日50個売れればいいと控えめな予想をしていたそうです。
しかしその予想が大外れ。とんでもない初日を迎えます。

「オープン前に告知の意味も含めて、知り合いの方や近所の方に鯉焼きを配っていたんです。そしたら、FaceBookや口コミで瞬く間に評判になって、マスコミの取材が入り、なんと初日は6:30にオープンして10時に完売。一度店を閉めてから新たに焼いて、12時に再開して14時に完売。もう焼けない、勘弁してって感じの大忙しの1日でした。しかもこれが3か月間続いたんですよ」

聞いただけでも疲れてくるような、過密スケジュールの日々を乗り越えてきた藤田さん。
ここまで鯉焼きがヒットした要因をこう分析します。

「まず、善光寺門前町で6:30からやっているお店ってなんだ?って評判になって、蓋を開けてみたら鯉焼き?えっ鯛焼きじゃないの?何それ?じゃあ、とりあえず一回行ってみよう。で、食べたら中身は小豆じゃなくて、花豆。斬新!こうなるわけですよ」

ヒットした理由を冷静に分析する藤田さんですが、なんと昨年の5/5にオープンしてから取材日の5/7まで1日も休んでいないそうです。

「今日で連続勤務367日目ですね。とにかく1年間はお客さんの流れを調べたかったので休みを取らなかったんですよ」

カレンダー通りに稼働するサラリーマンである編集部・新津からすると、相当なストイックに感じる藤田さんですが、
「逆に初年度から定休日を設けるお店のほうが勇気があるなと思いますよ」
とバッサリ一言。

そんな激動の1年を過ごしてきた藤田さんに今年1年を振り返ってもらいました。

「一番焦ったのは、オープン前日に知り合いの女性が店内にある木のベンチに座ったら、パンストが破れてしまったらしく、やすりでひたすら削ったことですね。もしも高い着物を破いてしまったら、と考えたら恐ろしくなって、夜な夜な磨きましたよ」

1年という年月をかけて製作した鯉焼きの木彫り。表と裏でデザインが全く違う

笑いながら話す藤田さん。彼はどんな困難にも淡々と楽しみながら立ち向かっていき、決して妥協を許さない人だという印象を受けました。

鯉と共に一攫千金を釣りあげた大阪商人、藤田さん。
最後に今後の野望を聞いてみました。

「2階で軽食を提供したいですね」

鯉焼きを発明した革命家の藤田さんから出た意外にも家庭的な言葉。しかしこの方なら、もしかしたら我々の既成概念を吹っ飛ばすような作品を作ってくれるかもしれません。

大阪出身と聞くと元気でノリが良く押せ押せのイメージがある編集部・新津ですが、藤田さんは非常に物事を冷静に考え、会話もスマートです。しかし勝負事となるとストイックで改革派。
まさに、「冷静と情熱の間」という映画のタイトルのような方かもしれません。

そんな藤田さんが帰り際、
「足元に気を付けてくださいね、階段二段ありますから、ほんと気を付けてくださいね、足元には、こうやって言っても転ぶ方がいるんですよ」
と声を掛けてくださいました。
その心遣いを、笑いの聖地大阪生まれの藤田さんのボケろというフリなのかどうか最後まで判断できず、ズルズルと店を出てしまった私は、やはり「元」芸人と呼ばれるのが相応しいかもしれません。

藤田さんの魂が込められた鯉焼き「垂水」。中身は小豆ではなく長野県産の花豆を使用

(2014/06/20掲載)

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会える場所 藤田九衛門商店
長野市東之門町400-2
電話 026-219-2293
ホームページ http://fujitakuemon.wordpress.com/

6:30~売切れ次第終了  不定休

E-mail fujita.kuemon@gmail.com

物々交換をやっています! 長野県産花豆1キロ⇔鯉焼き6~7個 

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