No.032
水沢
仁亮さん
みずさわ じんすけ
株式会社二見屋 代表取締役社長
人材を育て、伝統の美を守る
文・写真 Chieko Iwashima
2012年10月、約100年前の創建当時の姿へとよみがえった国指定重要文化財の東京駅丸の内駅舎。
駅舎を使ったプロジェクションマッピングやライトアップなどが話題になり、テレビのニュースでもよく目にしましたが、この建物のシンボリックなドーム型の屋根を施工したのは長野市にある会社だということをご存じでしょうか。
手掛けたのは長野市稲里町の建築板金会社「(株)二見屋」。空襲によって焼失し、戦後の修復で姿を変えていた中央正面玄関から北側ドームまでの銅板施工を担当しました。
なぜ、長野市の板金会社が東京駅の再建に関わることになったのか。
そこには、5代目社長の水沢仁亮(じんすけ)さんの「人を育てる」という信念が大きく関わっていました。
江戸時代末期、建築の金物飾りの製作業として創業した二見屋は、現在まで伝統的な板金技術を引き継ぎながら、銅板や金属板素材を使って社寺や商業施設、住宅などの屋根を手掛けてきました。
昭和34年、18歳で二見屋に入社した水沢さん。”仕事が青春だった”と当時を振り返ります。
「入社動機なんてないよ。高校出て、何していいか分からないまま、おやじの弟子として入った。兄弟子について基礎からみっちり教わり遊ぶ暇なんてなかった。23歳で結婚して5代目になってからは、腕を磨くことと会社経営と両方できるようにならなきゃいけない。兄弟子を使う立場になって、人間関係とかいろいろ苦労したよ」
当時、自分が苦労して覚えたことをやすやすと後輩に教えてくれる職人なんていません。見て、盗むようにして技を覚えました。しかし今は時代が変わったといいます。
北側部分(正面から向かって左側)の屋根を施工した(写真:二見屋)
「今は教えるのが当たり前。今の若い子たちにこれやれあれやれって言っても、まだ教わってませんって言われる。でも会社全体のことを考えたら、大きな仕事ができる集団を作るために若い人の力が必要だ。板金業界は個人で技術を持っている人は多いけれど、大勢で大型物件を請け負えるところが少ない」
独立をして、いわゆる「1人親方」で仕事をしている人や、2~3人の職人を雇用している企業が多い板金業界。二見屋のように20人規模の職人を擁し、錺(かざり)工事を請け負える業社は、全国で二見屋と他数社しかありません。
「板金業界では、自分の会社が人材を育てているということに関してトップだと思っている」
さらに、東京駅の再建には、当時の工法で作るという技術も必要でした。新工法として溶接工法を用いて施工してしまえば早くて完全な施工ができます。しかしそれは当時にはない技術。伝統技術を継承する二見屋の職人6人は、天然スレートと銅板の端と端を曲げてかみ合わせる「ハゼ」という昔ながらの工法を守りながら、約2年半をかけて仕上げました。
受注額は決して満足のいく金額ではないのが歴史的建造物の常。職人を送り出すということは、地元の仕事への影響もありました。そんなリスクを背負ってでも水沢さんがこの仕事を受けたのは、若い職人のためにという思いが強かったからでした。
「一生に一度できるかどうかの大仕事。若い職人たちの自信と誇り、財産になったと思う」
松本市美須々にある長野県護国神社(写真:二見屋)
二見屋は、古くから善光寺の出入り職として、伝統的な建造物の屋根工事を多く手がけています。善光寺三門をはじめ、安曇野市の穂高神社や松本市の護国神社など、手掛けた社寺仏閣の新築修復の施工数は水沢さんの代だけでも400件を優に超えます。そのほか一般建築では軽井沢大賀ホール、八ヶ岳高原音楽堂など芸術的な物件が数多くあります。
「自分が関わったものを見ると、あれもこれも俺がやったんだってうれしい。若い人にも生きがいのある仕事をやってもらえるようにしたいんだ。自分の技で誇れるものを作って、俺にはこれができるんだっていう自信を持ってもらえたら、どこへ行っても大丈夫だから」
自社の社員のみならず、板金業界のためにと長野共同高等職業訓練校の講師になり副校長まで務めた水沢さん。若手の育成に尽力し続ける一方で新技術とオリジナル商品の開発も行い、伝統文化との融合に取り組んできました。建築板金技能者として2004年には「信州の名工」の表彰を受け、2006年には「現代の名工」に選ばれ厚生労働大臣から表彰されました。2009年には黄綬褒章を受章。そのほか、水沢さん自身も数えきれない表彰状と感謝状があります。
クラシック音楽のコンサートでよく利用される軽井沢大賀ホール(写真:二見屋)
県板金工業組合理事長を長年務めるなど業界内の要職も歴任してきた水沢さんですが、偉ぶったところがありません。初対面の私にも趣味の写真や旅行の話を交えながらニコニコと取材に答えてくれ、偉い人ほど気さくな人であることを感じさせてくれました。
最後にこれからの目標を聞いてみました。
「これだけやってくると、仕事が体に染み込んだなんてもんじゃない。人生そのものだ。職人はそういうもんだと思う。これから、今までの経験を若い世代の人たちに残していく。それがこれから100歳までの私の仕事だね」
創業120年。20年前から海外からの研修生も受け入れている
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会える場所 | 株式会社 二見屋 長野市稲里町田牧190 電話 026‐284‐3113 ホームページ http://yane-futamiya.jp/ |
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