No.342
轟
理歩さん
グラフィックデザイナー/ Reach代表
さまざまな出会いと刺激を糧に 成長を続ける若手デザイナー
文・写真 島田浩美
ライフワーク「59醸」をはじめ、幅広く活躍
長野県のアートディレクターやデザイナーが会員となり、2015年に設立された「長野ADC(アートディレクターズクラブ)」。年に1回の審査会では、県内のアートディレクターが1年間に手がけた仕事を作品として出品し、業界の第一線で活躍する審査員によって選出された優秀作品が表彰されます。今年度の審査会は9月3日(土)に行われ、司会を務めながらも、グランプリ、準グランプリに次ぐ「長野ADC賞」を受賞したのが、若手デザイナーとして活躍する轟 理歩さんです。
2014年、30歳を機に独立し、「Reach」という屋号で事務所を構えた轟さん。その活躍ぶりを振り返ると、今年は5月に善光寺表参道周辺で開催された「善光寺花回廊」の総合デザインや、長野市芸術館の配布物、長野マラソンのアートディレクションなど、長野市にまつわるデザインだけでも数多くあります。そのほかの制作物をあげるとキリがありません。
中でも、轟さんが「ライフワーク」と話すほど夢中になっているのが、「長野ADC賞」も受賞した「59醸」のデザインです。「59醸」とは、長野県内の昭和59年度生まれの酒蔵跡取り息子5人によるユニット。轟さんも昭和59年生まれであることから、ネーミングやロゴ、酒のラベル、ポスターといったデザインを依頼され、すぐに5人と意気投合しました。今ではまるでメンバーの一人のように全員で一丸となってイベントなども開催し、さまざまな企画を盛り上げています。
「今、仕事をしていて一番楽しいのが『59醸』ですね。『長野ADC』では、東京から招いた審査員に『この作品からはデザイナーとクライアントのよい距離感が伝わってきて、都会にはない温かさを感じてうらやましく思いました』と言われて、本当にうれしかったです」
そんな言葉の一つひとつから、今の仕事の充実度が伝わってきます。
「長野ADC賞」を受賞した轟さん(後列左から2番目)。グランプリを逃したことは残念だったが、今年は非会員のデザイナーがグランプリを受賞し、しかも出品数が少ないWeb作品だったことから「グラフィックデザイン(印刷物)でなくても優れた作品は受賞できることが証明されたよい審査会でした」と話す
「長野ADC2016」の審査会の様子。「出品には費用も労力もかかりますが、自分の作品が第一線で活躍しているアートディレクターに評価していただけるよい機会ですし、300点ものデザイン作品が一堂に会する機会は滅多にないので、一般の方にもぜひ見にきてほしいですね」と轟さん
大切なのは「どこで何をやるか」
高校卒業後、長野から都内のデザイン専門学校に進学した轟さん。しかし、当時はただ東京に行くことが目的で、その口実として少しばかり絵や工作が得意だったことから入学したに過ぎず、特に目標もなく学生時代を過ごしていました。おかげで欠席率は25%。不真面目な学生でした。
就職先も、学校に求人案内がきた「スポーツ情報提供」の会社を適当に選択。ところが実質は競馬の予想会社で、主な仕事は広告用の馬券イメージの制作だったことから、入社半年で「ヤバイ」と思い退社します。その後はデザインの仕事から離れようと思っていたものの、専門学校時代の友人に誘われたことで広告代理店への再就職が決定。その会社は偶然にも前職の競馬予想会社の向かいだった…というのがユニークな轟さんらしいのですが、ここから轟さんの本格的なデザイナー人生が始まります。
「小さな代理店だったので、即戦力としていろいろなデザインをやらされました。気付くと成果物の善し悪しは別として(笑)いろいろな仕事ができるようになっていましたね。デザインを長年やっていたアートディレクターの存在も大きく、ここでデザインの基礎を教えていただきました」
こうして4年が経った頃、次第に自分がやりたいことと会社の方向性にズレを感じるようになりました。そこで、2008年、いずれは帰ろうと思っていた長野に帰郷。地元出版社に就職しますが、ここで大きな出会いがありました。
「地元に戻ったものの、どこかで何だか腰が座らない気がしていて、また東京に戻ろうとも思っていました。でも、その時に、長野の美容室で働きながら東京までSABFA(プロのヘア&メークアップアーティスト養成校)に通っていた今の妻と出会い、大切なのは『どこで何をやるか』ということだと気付いて、僕も何かを頑張ろうと思ったんです」
こうして、長野県のデザインコンペである「LIFE DESIGN信州2009」に応募。見事、特別賞を受賞しました。その時に推進委員を務めていたのが、長野市のデザイン事務所「トドロキデザイン」の代表・轟 久志さんです。その久志さんから、同姓の縁もあって入社を誘われた轟さん。「長野市の第一線で活躍するデザイナーの仕事を間近で見てみたい」という思いから、2009年12月、同事務所で働くことになりました。
「LIFE DESIGN信州2009」で特別賞(デザインPR部門)を受賞した轟さんの作品「木曾赤蕪」
「トドロキデザイン」の自主企画「FARMERS MARKET」の様子。轟さんは同事務所ではデザイナーが外に出る大切さを学んだそうで、久志さんのことは今でも「師匠」と慕っている
デザイン業界の底上げに貢献できたら
「『トドロキデザイン』では、CIやロゴ制作、ブランディングなど、イチから作る仕事が多くてやりがいを感じました。仕事の幅も広がり、打ち合わせに行ったり、見積書を作るといった一連の流れも任せてもらえ、地方でのデザイナーとしての働き方を学びました」
こう話す轟さん。また、久志さんはデザインコンペの実行委員なども務め、数多くのイベントも主催していたことから、「トドロキデザイン」では東京で活躍するデザイナーに会う機会も多くて刺激になったそうです。長野のフリーランスのデザイナー同士のつながりもできました。
こうして、2014年に独立。その後の活躍は先述の通りですが、そんな轟さんが本当にめざしたいのは、実はデザインだけを手がける硬派な会社だと言います。
「僕はいろいろなイベントをやっていますが、それはグラフィックデザイナーとしてのベースがあってこそだと思っています。だから、まずはグラフィックデザイナーとして目の前のお客さんに対しきちんとした仕事をすること。それでお客さんを幸せにすることが、小さいながらも社会貢献につながると思っています」
また、デザイナーが成長していくためには、コンペに出品したりレベルの高い人に出会ったりと、積極的に外に出ていくことが大切だとも話す轟さん。
「そういう意味でも『長野ADC』に出品することはいい機会だと思っています。それに、こうしたデザインコンペへの出品も含めて地道に仕事を続けることで、長野県のデザイン業界の底上げに少しでも協力できれば…というのが僕の思いです。…そう言うとカッコつけすぎですが(笑)」
明るいキャラクターも武器に、目の前のクライアントに真摯に向き合い、同業者からも異業界からも刺激を受けつつ向上していく轟さん。その姿勢に、長野のデザイン界の未来を期待せずにはいられません。
「最近はCI(企業の統一デザイン)やブランディングなどやりたい仕事ができているし、自然とそういったデザインの依頼も多い」と轟さん。写真は「59醸」で制作した5種類の酒ラベル
「59醸」で造った2年目の酒のリリースパーティー「59楽屋台村」。南千歳公園を会場に行い、地域の商店街も絡めた食べ物屋台も用意して約600名を動員し、大いに盛り上がった
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会える場所 | Reach 長野市大豆島2053 電話 026-214-6586 ホームページ http://reach-d.net/ ※59醸に参加している西飯田酒造の杜氏・飯田一基さんもナガラボで紹介しています。 |
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