No.340
宮嵜
令子さん
まほう堂 店主
長く大切にしたい「まほう」が
人と想い、モノ・コトをつなぐ
文・写真 合津幸
長野市桜枝町に、くらしとおくりものがテーマの「まほう堂」というお店があります。店主は、温かな笑顔が印象的な“レイチェル”こと宮嵜令子さんです。学生時代に東京から長野市に移り住んだきっかけ、店名の「まほう」の意味やお店のコンセプト、子育てと仕事のバランスなど、宮嵜さん流の生き方・働き方をご紹介します。
専門学校2年目、20歳の決断
「令子って、命令の『令』の字なのでキツい印象ですよね? でも令子から生まれたレイチェルという呼び名(愛称)は、音もやわらかいし親しみやすいので気に入っています。ただ、30代になった今も使い続けていいものかどうか…本気で悩んでいます」(笑)
と、穏やかな口調で話し始めた「まほう堂」店主の宮嵜令子さん。「本名はわからないけど、レイチェルさんは知っている」という人は多く、広く愛されている存在であることがわかります。
取材でお店にお邪魔した際も、初来店のお客様から「レイチェルさんですよね? 」と声を掛けられていました。共通のお知り合いがおられることもあってか、すぐにお互いをニックネームで呼び合うほどに打ち解けていました。短時間のわずかな会話だけで、相手の心にすぅーっと入り込む宮嵜さん。ふと「太陽のような人だなぁ」と口にすると、こんな言葉が返ってきました。
「いえいえ、私、かなりストレートにモノを言いますし、何でも自分の目で見て確かめたい性分で。知りたい確かめたいと思ったら、迷わず行動に移します。それだけ人よりも言動がハッキリしているので、中にはキツい人と感じる方もいるのでは? と思っているんです」
そんな行動力抜群の積極姿勢を象徴するのが、東京の服飾デザインの専門学校から長野市の学校への編入を決意したエピソードです。
「群馬県出身ですが、服のデザインを学びたくて東京の専門学校に進学しました。でも、2年生になると素材にも興味が湧いて来て、特に自然素材や環境素材についてもっと勉強したいと思うようになったんです。すぐに情報を集めて、独自の取り組みをしている方の元へ出掛けました」
そうして巡り合ったのが長野市の服飾関係の企業と関連する専門学校でした。幸い、良い出会いに恵まれ、3年次への進級と同時にその専門学校に編入。つまり宮嵜さんは、東京での暮らしをあっさり手放し、自分にとって最良の環境と感じた長野市での暮らしを選んだのです。
桜枝町の郵便局真向かいに位置する「まほう堂」。知り合いの大工さんに依頼して、元美容院の建物を改修。一部の壁をぶち抜いて、広々とした空間を確保した
「昔は接客が苦手だった」と言う宮嵜さん。カウンタースタイルの飲食店で働いた時に、お客様と会話を重ね、人生に触れる楽しさを知ったのだとか
その時にベストな道を選択
自身の心が向くままに長野市に移り住んだその年の10月、宮嵜さんは学生を続けながらインターンとして働いていた企業に正式採用されます。その後、同社での店舗運営業務や企画営業業務をこなし、20代半ばで役職を与えられるまでに成長を遂げました。
「会社で新しいポジションや責任の重い役割を与えていただいた時は、やる前から不安に思ったり悩んだりせず、とにかく挑戦しようという気持ちでした。東京から長野に来た時と同じです。だって、実際にやってみたらすごく楽しいかもしれないし、とんでもなく面白いかもしれないんですから」
そのスタンスは、退社後に知人が経営する飲食兼雑貨店での勤務時も、友人たちと始めた雑貨店のバイヤー時代も、そして結婚・出産を経てオープンさせた「まほう堂」を切り盛りしている今も変わってはいません。
とは言え、ただ無鉄砲に突き進んできたわけではありません。
「たとえば、未経験の業種や職種なら、前職での経験や知識が工夫次第で生かせるとか、ちょうど変化を求めていた時期に声を掛けていただいたとか、何かひとつ心にピンと来る前向きな要素があってのチャレンジです。くわえて、その時の自分の状況に合った働き方なのかを、じっくり考えるようにしています」
その考え方が形になって現れたのがこの「まほう堂」だそうですが、よく考えると、お店を始めようと決めた時分、まだ1歳にも満たない第一子の子育て真っ最中だったはず。子育てと仕事の両立をどう捉えていたのでしょうか?
「私は考えをまとめたい時に、やりたいことやアイデアを一度すべて書き出して、この中でできることは何だろう? と必ず自問します。あの時も、母であり妻でもある私ができることとやりたいことをひたすら書き出して、それを元に今の私にとってベストな道は? と考えて答えを出しました。つまり、最良だと思ったのが自分で『まほう堂』をオ—プンさせることだったので、そもそも両立という感覚ではなかったのだと思います」
収納スペースを生かした商品陳列など、センスが光るディスプレイが店内のあちこちに。アイデアや工夫が暮らしを楽しく豊かにするというお手本のよう
赤ちゃんと来店した方がおっぱいをあげたり、おむつを替えられる畳スペースも設けた。宮嵜さん自身、オープンしたての頃は息子さんを背負って仕事をこなした
自然の力、人の知恵
今年の5月に3周年を迎え、オープン4年目となった「まほう堂」。この間、コンセプトである「長く大切にしたい知恵・コト・モノ」を変わらずに貫いてきました。そのコンセプトに添って、商品づくりに関わるすべての人のアイデアや思いを深く理解したうえで、より多くの方に届けたいと思う品を厳選しています。
ところで、店名の「まほう堂」の「まほう」には、いわゆる「魔法」という意味ではなく、魔法のような不思議な力や知恵という意味が込められているのだとか。
「例を挙げると、『ビワの葉エキス』というビワの葉を焼酎に漬けた液があって、それがヤケドや口内炎等に効くんです。そもそも、ビワの実ではなく葉に着目し、それを焼酎に漬けようと思った人がいるということですよね? しかも、傷を癒す力があるんです。
こうなると、葉の存在自体もその力を見抜いて手当てに使おうと考えたことも魔法のように思えます。だから私は、そうした自然の力や人間の発想力を『まほう』と呼んでいます」
それは、作り手の自然を大切にする心であったり、贈り手の相手を喜ばせたいという気持ちであったりします。すると宮嵜さんが照れくさそうに、「もしかすると、『まほう』とは『愛』のようなものかもしれません」と、付け加えました。
こうして、学生の頃から持ち前の探究心、チャレンジ精神、行動力で前進し続けた宮嵜さんですが、さすがに一人では思いを貫くことはできなかったと振り返ります。
「長野は個性的な人が多いから話していて楽しいし、皆さん心が温かい。だから、会社を辞めた時も、あまりに居心地が良かったので、群馬に帰ろうとか再び東京で暮らそうとは考えもしませんでした。これまでもこれからも、そういう周囲の方々の支えがあってこその私なのだと思います」
そして現在は、ご家族はもちろん桜枝町のご近所さんやお店の常連さんの愛という「まほう」に、宮嵜さんと「まほう堂」は力強く支えられているのでしょう。
商品の特徴のほか、携わった人や素材のこだわり等のさまざまなサイドストーリーも語ってくれる。「お客様に新たな気付きや発見を与えられたら」と願っている
店舗入口の手書きインフォメーション。「こうして扉を開けて待っていれば、少なくとも入って来てくださった方には話し掛けてもOKってことですものね」(笑)
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