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No.339

柳澤

博長さん

元茅葺職人

高度な技術を守り続けて

文・写真 飯島悠太

道具は木槌と針とハサミだけ

西長野にある加茂神社。境内へ入ると、立派な茅葺屋根をもつ御社が目を引きます。平成4年にこの屋根を葺いたのが、長野市大岡地区在住の元茅葺職人・柳澤博長さんです。

茅葺はたいへん高度な技術を要求される作業です。しかし、その道具立ては意外にも単純で、木槌と針、ハサミのみ。あとは足場にする太い棒と、茅を留めるための縄と細い棒を使います。材料の茅を、縄を通した針で屋根の梁へと留めていき、木槌で叩いて勾配を調整。大工と異なり、定規などの計測機器はありません。すべて目見当で作業が進んでいきます。

茅葺と言っても、大岡地区では多くの家が麦わらを使用していました。

「たいがいどの家でも小麦を作ってたからね。材料費はタダ、むしろ廃物利用だよね。さすがにその年に穫れる麦わらだけじゃ足りないから、傷んだ部分から少しずつ葺き替えていくんだ。続きは翌年に持ち越し。足りない分は近所で貸し借りしてね。そのとき屋根を葺く家に貸して、自分の家のときには前に貸した家から借りるんだ」

麦わらの屋根がもつのは15年前後。すべて茅で葺けば50年ほどの耐久性だそう。また、木の下や日陰の部分は湿気で傷みやすくなります。当時、大岡地区では全体の6割程度の家が茅葺屋根だったので、職人になれば一生食べるのに困らない状況でした

茅葺に使う道具たち。左から、木槌、針、ハサミ。針は金属のもののほか、竹で作ることもできる

見て覚えろじゃない、やりながら盗め

博長さんが茅葺職人になるための修行をはじめたのは昭和23年。高等小学校卒業後に軍事工場へ入社しますが、数か月後に終戦となり退社。3年ほど実家で農業をし、19歳で弟子入りを決意します。

「実は父親も茅葺職人だったんだが、実の親子間だと口のきき方だとかで師弟関係になるのは難しい。だから、いまの信州新町にいた親方のところへ入ったんだ」

界隈で名手と言われていた親方の家に住み込み、それから5年間かけて技術を磨きます。修行中は無報酬で、親方の言うことには絶対服従です。

「修業はつらかった。親方は手取り足取り教えてくれるわけじゃないんだ。見て覚えろ、ともちがう。技術は実際の現場で教わるしかないんだが、『ただ見てるだけじゃ仕事とは言わない。お金をいただく家の屋根なんだ。おまえも自分の作業をしながら横目で見て盗め』ってな。今考えると、よくあの苦しい時代を乗り切ったと思うよ」

それでも途中で辞めなかったのは、一生もののワザを教わっている実感があったから。

「自分で言うのもなんだけど、親方には『自慢の弟子だ』って行く先々で言ってもらえたよね。俺が戦後一番弟子で、弟弟子も4人めんどうをみた。最初の1年は親方がいなければできなかったが、段々と1人でもできるようになった。一生の仕事になると思ったよ」

現役当時の仕事風景。木で足場を組んでハサミで刈りこむ。5年間の修行と40年のキャリアの賜物が家一軒の屋根を完成させる

茅葺屋根の衰退

「なにが辛いって、当時はほとんど歩きだったんだよ。現場まで」

自動車が普及していなかった当時、主な移動手段は徒歩か自転車。バスもあるにはあったのですが…。

「バスは本数が少ないし、当時はみんな車がないから超満員だったんだよね。しかも、茅葺職人の使う道具は大工の道具箱に収まるようなもんじゃないわけだ。槌も針も1.8mあるんだから。ハサミも大きいし。なんせ乗るのに一苦労で、ほかの乗客にすみません、すみませんって謝って。さすがに遠方へ行くにはバスだったけど、あれは嫌だったね」

そんな5年間の修業期間を終え、一人前となって独立することに。自分ひとりでの仕事のほか、師匠や同業者が忙しいときは応援に駆け付けたといいます。昭和30年代後半~40年代はじめころがピークで、近隣地区の職人による組合には50人ほどが在籍。しかし、茅葺屋根の減少とともに職人の数も減っていきました。

大岡地区にも5人ほどの職人がいましたが、3年ほど前の修繕を最後に博長さんが引退し、その数は0になりました。しかし、現在も大岡には、すべて茅で葺かれた青木邸をはじめ博長さんが葺いた屋根が数軒残っています。

「界隈に技術を継ぐ者はいないから、いずれこのへんにはなくなってしまうかもなぁ」

茅葺屋根の利点は、夏は涼しく、冬は暖かい、材料費がかからないことが挙げられます。丈夫で断熱に優れた素材が普及し、麦を作る農家も減った現代において、これらのアドバンテージも霞みつつあるのでしょう。また、十数年に一度は修繕しなければならない手間は相当なものです。しかし、職人たちが会得してきた精巧な技術が失われていくのは、なんだか惜しい気がするのでした。

大岡地区に残る茅葺屋根の家。この青木邸はすべて茅でできている。博長さんたった1人で10年かけて葺いたという

(2016/09/06掲載)

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会える場所 加茂神社
長野市大字西長野213
電話

(注:柳澤さんの“技術”に会える場所です。柳澤さんが加茂神社にいるわけではありません)

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