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No.004

丹羽

洋介さん

AC長野パルセイロ・アスレチッククラブ代表取締役社長/元サッカー日本代表

J2昇格を担う、往年の名選手であり
経営者のエキスパート

文・写真 Takashi Anzai

2014年シーズンから新たに創設されたJ3での闘いが始まったAC長野パルセイロ。伊東輝悦選手など新加入選手に注目が集まりますが、ナガラボ編集部ではJ2昇格のために不可欠な「健全経営」という使命を担う運営会社の代表取締役社長、丹羽洋介さんにお話を伺いました。

現在の丹羽さんは好々爺という印象でとても穏やかな人柄ですが、サッカー選手としての現役時代は日本代表選手でした。そして引退後は自動車販売会社の社長を歴任した経営のエキスパートでもあります。
こうした経歴のため、お話には夢と現実がバランスよく散りばめられています。

「まずは観客動員が何より優先です。観客が多くなってはじめてスポンサーへのアピールもできるようになりますから。そのためには1試合平均3,000人以上の観客を動員しなければなりません」

経営者らしいシビアな言葉の一方で、「楽しくなければサッカーじゃない」という夢も語ります。

「われわれの時代の日本サッカーは精神主義というところがありましたが、ヨーロッパや東南アジアに遠征に行くと、選手も観客も本当にサッカーを楽しんでいて、生き生きとしていました。サッカーってやっぱりいいなぁと思いましたね。未だに緑の芝を見ると駆け出したくなります」

そう話す顔はサッカー少年のようです。

開幕戦は1-0で勝利。サポーターとともに勝利に酔いしれた

丹羽さんは1940年生まれ、広島県の出身です。高校時代は全国選手権で準優勝。早稲田大学に進み、日本代表に選ばれます。卒業後は東洋工業(現・サンフレッチェ広島の前身)に入り、そこでも日本代表として活躍します。高校時代は鬼武健二氏(元Jリーグチェアマン)、大学時代は釜本邦茂氏(メキシコ五輪得点王)や川淵三郎氏(元Jリーグチェアマン)といった、サッカー界の重鎮とチームメイトでした。

華やかな経歴の陰には誰より強いハートがありました。高校からサッカーを始めた丹羽さん。中学校からプレイしていたチームメイトとは大きく技術の差がありました。名門校の中で他のメンバーに追いつくため、人より相当長い時間練習したといいます。激しい接触で脾臓が破裂したまま試合を続けたり、その脾臓を摘出した後、医師に「体と命を大切にしなさい」と言われてもサッカーを続けたというエピソードが、丹羽さんの気持ちの強さを物語っています。

選手時代は、相手に走り負けない体力とハートの強さに加えて、冷静な判断力で高い評価を得ていました。味方と相手の動きを見ながらベストポジションをいつも取っていたため、パスコースを読んでのインターセプトが得意だったといいます。パルセイロでいうと高野耕平選手にタイプが似ていたと丹羽さんは振り返ります。

現役引退時は、サッカーの指導者になる道もありましたが、「ビジネスの世界で自分を試したい」という思いから、所属していた東洋工業(マツダ)で営業の仕事に就きます。チャレンジ精神は旺盛だったと振り返るサラリーマン時代。石川県と長野県の販売会社に出向して経営を任され、社長を務めます。

その後、故郷の広島へ異動するチャンスが訪れますが、その時に長野で永住することを決めます。

「自然がとても美しいということ、それとここで出会った人たちの素晴らしさ、そして長野のサッカー界にかかわってきたことが大きかったですね」

当時、丹羽さんは長野市や長野県のサッカー協会で要職を務め、高校サッカーのテレビ中継では解説もしていました。また地域の少年サッカーチームを創設し、総監督を務めてもいました。そうしたことが離れがたいと感じた理由の一つだったといいます。その後、8年にわたり県サッカー協会の会長を務めます。

そして、73歳にして、地域の期待を一身に背負うパルセイロの社長という、プレッシャーのかかる仕事を引き受けました。その理由を丹羽さんはこう話します。

「今までお世話になった長野と、長野でサッカーにかかわる人たちに恩返しがしたかったんです」

長野パルセイロ・アスレチッククラブは2014年度の売上目標が4億2,000万円、選手、コーチ、運営スタッフなどを含めて総勢71名の会社です。これまで丹羽さんが経営してきた会社より規模は小さくなりますが、注目度が違います。丹羽さんは会社経営とクラブ経営の違いをこう語ります。

「会社経営は顧客と社員、株主のことを考えれば十分ですが、クラブ経営はサポーター、選手、スポンサー、行政、メディア、株主、スタッフ、ボランティアなど幅広い人が一体となって盛り上げていかなければなりません。これだけの人たちに目配りをしなければならないという大変さはあります」

2015年のシーズンは南長野運動公園総合球技場の改修が終わり、サッカー専用スタジアムでのシーズンが始まります。そのことを話す丹羽さんの顔は希望に満ち溢れていました。

「サッカー専用スタジアムは臨場感がまったく違います。陸上のトラックがあると、どうしても選手との距離が遠くなってしまいますから」

J2昇格を至上命題に掲げつつも、スポーツを通した、地域や子どもたちへの貢献にも具体的な目標を掲げています。

「去年は年間80回サッカースクールをやって4000人参加してもらいました。今年は100回やって5000人くらいに参加してもらいたいですね」

「今の子どもたちはテレビやゲームに夢中になり、外で遊ばなくなりました。そうすると、いろんな弊害が出てきます。まず前頭葉が発達しない。10歳までに体を動かす喜びを感じないと発達しないんです。幼稚園や小学校からスポーツを楽しませて、バランスのいい子どもたちを育てていきたいと考えています」

運営ボランティアとの打ち合わせ。試合会場のいたるところに顔を出す

地域に根差したクラブを目指す丹羽さんの最終的な目標は、地元出身の選手が多いクラブです。

「自分たちが育てた選手で戦うことが夢ですね。一番の草の根がサッカースクールのような活動になるのかな」

最後に、ファンなら誰しも早く対戦が実現してほしいと願うJ2松本山雅FCに対する思いを聞いてみました。

「松本山雅の盛り上がりは正直、すごいなと思います。県のサッカー協会会長をやっていたので、大変嬉しく思っています。信州ダービーは盛り上がると思いますよ。色んなところでダービーはあるけれども、それらとは全く違った、リスペクトされるダービーになってほしいと思っています。バルセロナ対レアルマドリーの対戦に次ぐような」

ゲームとしての面白さと強さを同居させるという、パルセイロの今年のテーマ。丹羽さんはそのテーマが達成されることを信じてやまないようです。

「美濃部直彦監督が就任してから、選手たちは『戦術がわかりやすくて、やっていて楽しい』と言っています。技術も上達しているし、今年新加入した13人もすぐ溶け込んでいます。滑り出しもまずまずで、粘り強くひたむきにクラブ全員でチャレンジします」

サポーターの盛り上がりはJ3屈指。平均3000人以上の観客動員を目指している

(2014/05/08掲載)

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会える場所 AC長野パルセイロ

電話
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※丹羽さんは2016年3月をもって退任しています。

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