No.310
小池
雅久さん
美術家
「美術は社会の中でどう機能するか」
転がる石のごとく追求し続ける゛つくる人”
文・写真 安斎高志
機能より思想
善光寺の門前町に居を構え、美術作品の制作、店舗・住宅・庭などのデザイン設計施工などを手掛ける小池雅久さん。その活動の幅は広く、ある日、建築現場で見かけたかと思えば、次の日は造形にかかわるワークショップを開催していたりと、まさに神出鬼没です。ものづくりに関する、さまざまな相談も寄せられます。
その多彩さと器用さに意識を奪われがちですが、小池さんの活動の根元には常に美術への思いがあります。つくるものは建物をはじめ多種多様ですが、肩書きはシンプルに「美術家」と言い切ります。
「僕のつくるものは、機能より思想が優先されます。それがなくなってしまえば、美術ではなくなってしまう。社会の中で美術がどう機能していくのか、社会が求めている美的要素があるとしたら、自分はそれをかなえられるのか、それが自分の活動の基本です。そういう意味では職人にはなりきれないですね」
現在、進行中の「ずくなし建築プロジェクト」。 セルフビルドで家を建てたいという施主をサポートしつつ、建築に興味ある人々とともに住居を建築中。「できる限り手づくりでというスタンスなので、なかなか前に進まない」と苦笑いする
たとえば、小池さんの活動の中に人気を集めているロケットストーブの制作ワークショップがあります。しかし、小池さんはロケットストーブという”モノ”に頓着しているわけではありません。
「これを普及させたいというわけではないんです。一番は、人間が何をもって自然の中で生きていけるようになったか、そのうちのひとつが火であること、そして、火から遠ざかることがどういうことかを気づかせることが大事なんです」
おもしろそうなこと、自分がやるべきだと思うことに、本能的に従ってきた結果、今があると話す小池さん。
「何かモノをつくりたいというより、今まで美術と関係がなかった人に『あ、これもアートなんだね』という気づきを与えるような場をつくりたいです」
自分で何かを作ってみたいという人に、いろんな素材が触れられる環境をつくりたいと話す
彫刻界の第一人者から影響を受けた青年時代
小池さんは善光寺門前で生まれ育ち、高校卒業後は武蔵野美術大学に進学。同大大学院2年生のときに、作品から思想まで、すべてがあこがれだった彫刻界の第一人者、若林奮(いさむ)氏のアシスタントとして、工房に入ります。
「ものすごく影響を受けました。作品に対する取り組み方、自然に対するものの見方、すべてですね。美術のための美術ではなくて、自分の表現の背景にある思想を常に突き詰めているところにあこがれました」
そのころの小池さんは、インスタレーション(展示空間を含めて作品とみなす手法)に没頭していました。しかし、展覧会を開いても作品が簡単に売れる分野ではありません。やがてバブルが弾け、展覧会や企画展そのものの数が減っていく中、小池さんの関心は美術と、デザインなどそれ以外のものの境い目に移っていきます。
「商業アートと美術界の間には深い溝のようなものがあって、商業アートは美術とははっきりと区別されている。そういうものの見方に疑問があったんです。そこに境い目ってあるんだろうかと腑に落ちていなかった。若林が80年代の終わり頃に商業店舗を手がけたこともきっかけだったと思います。その頃から、美術とは、アートとは何だろうという疑問が大きくなると同時に、美術界の中で作品をつくることへの興味は薄れてゆきました」
小池さん施工の壁面。素材と対話してきたからこそつくれる面構え
若林氏のもとから独立して工房を構え、美術関連の鉄工所で働きながら、徐々に仕事は建築金物などに移っていきました。看板、フェンス、門扉など、金属にかかわるあらゆるもののデザインから制作、施工も手掛けました。
少し美術との距離が離れていた小池さんですが、 1999年に実験的なアートプロジェクトを始めます。都内に古い一軒家を借り、それを全面改装して、屋根も壁も植物で覆い尽くしました。壁面緑化や屋根緑化がまだ世の中に広まっていないころです。
「アーティスト魂というものが残っていて、作品をつくりたいという気持ちはあった。でも、今さら画廊で何かをやるというつもりはまったくありませんでした。それよりも街の中やコミュニティーの中にアートを置くことによって、そこから何が見えるのかを定点観察しようと思ったんです」
すると、周辺の人間関係が変わってきました。パーマカルチャーに関心がある人たちが出入りするようになったのです。パーマカルチャーとは、自然のエコシステムを参考に、持続可能な建築や自己維持型の農業システムを取り入れ、社会や暮らしを変化させる概念のこと。小池さんはそうした人たちとともに、岩手県の山奥で子どもと大人が一緒に環境について学ぶ「森と風のがっこう」の運営に携わるようになり、建物のつくり方を教えるようになります。
街なかの一軒家の壁面と屋根を植物で覆った「実験」的な作品。10年間、どんな人が見に来るかを観察し続けたという
さまざまな素材に触れられる場所をつくりたい
東京と岩手とを行き来していた2009年、小池さんは地元・長野市に拠点を移すことにします。子育てを考えてのことですが、東京では制作活動にも制限が大きかったからという理由もありました。
「音が出たりとか、材料を置く広い場所が必要だったりという条件が東京では満たされず、思う存分、つくれるところでつくりたいという気持ちが大きくなりました。東京に住んでいても、結局、全国あちこちの地方に行っていろんなものをつくるということをしていたので、じゃあ長野に戻ろうと」
善光寺門前の古い倉庫を自らの手で改装し、住居兼オープンスペースとして交流の場としました。住居であり、アトリエであり、ギャラリーであり、 わらべうたを楽しむなども開かれています。それらがマゼコゼとなった空間であることから「MAZEKOZE」と看板を掲げています。
毎日のように、さまざまな人が出入りする空間ですが、小池さんが描く構想に対して手狭になってきたそうです。
自宅兼オープンスペースの「MAZEKOZE」。今はモノより場所をつくりたいという
「何かをつくりたいという気持ちは、人が等しく持っていられるはずなので、それを捨てさせたくないと思っています。たまたま、自分の場合はものづくりに興味があって、幸運にも美大という、ものをつくるのが当たり前の環境にいられた。そして、鉄だったり、石や土、木、その四つはずっと触り続けているので、たいていのことはわかる。今は、多くの人がそうしたさまざまな素材に触れられる場所をつくりたい、そう考えています」
自らを「転がる石のごとく」と笑う小池さん。しかし、つくるとは何か、何のためにつくるのか、といった思考を突き詰めてきた結果、現在の姿があります。そして、これからもその問いは続き、その姿は変化し続けるのではないか、そんな気がしました。
ロケットストーブは「火の存在に気づかせてくれるもの」だと話す
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会える場所 | 美学創造舎マゼコゼ 長野市長門町1076-2 電話 026-225-9380 ブログ 「美学創造舎マゼコゼ日記」https://mazekoze.wordpress.com/ |
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